山田久氏
法政大学ビジネススクール
イノベーション・マネジメント研究科 教授
京都大学経済学研究科博士後期課程修了。博士(経済学、京都大学)。専門は人的資源管理論、労働経済。日本総合研究所調査部長、副理事長などを経て、2023年から法政大学ビジネススクールイノベーション・マネジメント研究科教授。著書に『賃上げ立国論』(日本経済新聞出版)など多数。日本総合研究所客員研究員。
2025年、米国では第2次トランプ政権が発足し、世界情勢は再び大きな転換点を迎えている。
こうしたなか、日本企業は人手不足やインフレを前向きな契機と捉え、変革を進めていくことが重要となる。2025年の世界経済の展望と、日本企業が進むべき針路と変革のヒントについて、法政大学ビジネススクール イノベーション・マネジメント研究科教授の山田久氏に聞いた。
2025年の世界情勢を左右する最大のイベントはなんといっても“トランプ2.0”だ。第1次トランプ政権時代には、米中の二国間での対立が強まったが、その後のロシアのウクライナ侵攻により、世界の分断は「民主主義陣営vs権威主義陣営」という構図に拡大した。加えて第三の勢力として、グローバルサウスも台頭。こうした状況下で、米国は「自国第一主義」を強硬に推進する。とりわけ世界を揺るがしているのは、第2次トランプ政権が打ち出した関税政策だ。2025年4月、米国は貿易赤字が大きい国を対象に大規模な「相互関税」を発動する方針を示した。特に米中間では追加関税や報復を繰り返し、対立が深まっている。
トランプ関税の影響で、金融市場では世界的な景気後退リスクへの懸念が急速に強まっている。2024年10~12月期の米国の実質GDP成長率は2.3%(前期比・年率換算)と堅調だったが、今後、経済指標は下振れする可能性が高い。中国は長期化する不動産不況や製造業の過剰な生産能力などの構造的な課題が解消できず、景気低迷が続いている。そこに米中貿易戦争の再燃が加わり、中国経済にも打撃を与えかねない。また欧州経済を牽引してきたドイツの製造業不振に対してもその影響は大きい。2025年の世界経済はますます複雑性を高めていくと考えられる。
山田氏は「米国が、国際協調路線を歩めば世界情勢は安定するはずですが、トランプ政権はその路線を歩まず、各国への相互関税をはじめ、自国優先の政策を断行していくでしょう。米国の比重が高まっているだけに、その政策動向に世界経済が翻弄されるような事態になっています。またトランプ外交は“ディール(取引・交渉)”と呼ばれ、経済原理を無視した条件を相手国に突きつけてくるようなケースも多い」と語る。日本企業も自動車や半導体など重要産業、関税の影響を受けやすいセクターでは、事業戦略の再構築が急務になる。
世界経済の先行きは予断を許さないが、日本経済にとっての前向きな要素もあると山田氏は指摘する。
まず、インフレに伴う産業の新陳代謝の活性化だ。デフレ経済が長く続くなかで、これまで多くの日本企業はコスト削減によって収益性を確保してきた。しかし、あらゆるモノの値段が上がるインフレ下では、コスト削減は難しくなる。製品・サービスに新たな価値を付与し、コスト増も価格に転嫁して、売り上げを伸ばしていく努力が必要だ。従業員のスキルを向上させるリスキリングや、モチベーションを高めるような人事施策も欠かせない。これらは決して簡単ではなく、企業は今まで以上に経営手腕を問われることになる。
「個々の企業にとって厳しい話ですが、インフレ時代の到来は産業の新陳代謝を活性化させ、成長産業への人財の移動などを促す面があります。日本経済全体には良いことで、2025年はこの流れが加速すると見ています」(山田氏)
また世界の分断傾向が進むなかで、政治・経済情勢が相対的に安定している日本を再評価し、生産拠点を中国から日本に移すケースもここ数年目立つ。これも引き続き日本にとっての追い風といえる。
さらに人手不足を契機に、企業の変革が進むことも期待できるという。人手不足は負の要素だが、それを補うために企業はDXを推進したり、リスキリングなど人財育成の仕組みの強化を図る必要が出てくる。つまり人手不足が、新たな投資のインセンティブとして働く可能性があるのだ。これも経済全体で見れば活性化要因となる。
「良い人財を集めて、その力を存分に発揮してもらうには、賃上げも重要です。前向きに発想を転換して、賃上げと人手不足解消、収益性向上の良い循環を生み出せる企業は伸びて、それができない企業は人が集まらず事業を縮小せざるをえない。そうした意味での二極化が進むかもしれません」(山田氏)
ただし近い将来、個々の企業の力だけでは対応できない、新たな人手不足問題が浮上する可能性があると山田氏は指摘する。AIの発達に起因するミスマッチ失業の増大だ。
これまでのテクノロジーによる自動化は、主に製造業や建設業などの現場の物理的な作業を対象としてきた。しかし最近のAIの急激な進化により、これまで自動化が難しかった知的作業もAIによって代替可能になってきた。その結果、これまでホワイトカラーが担ってきた仕事の総量が減っていくのはほぼ間違いない。
一方で、現場労働のなかでも物流や介護、小売り、教育などでは自動化しきれない部分が多く、労働需要は依然として高い。いわゆる「エッセンシャルワーカー」と呼ばれる領域だ。しかし、賃金水準が低いなどの理由で担い手が減っている。ホワイトカラーの余剰と、現場労働=エッセンシャルワーカーの不足というミスマッチの拡大により、失業が増加し、中長期的にマクロ経済が低迷する恐れがあるというのが、山田氏の見立てである。
この問題に対応するには、現場労働に新しい魅力的な受け皿をつくる必要がある。そこで山田氏が提唱しているのが、「アドバンスト・エッセンシャルワーカー(高賃金な高度現場人財)」の創出だ。
まず、これまで自動化しにくかった物流や介護などのエッセンシャル領域に、生成AIやロボティクスなど先端テクノロジーを積極的に導入し、物理的な負担をできるかぎり軽減する。そして人間は、AIやロボティクスをパートナーとして現場で活用しながら、複雑な人間的判断やヒューマンタッチのコミュニケーションなどを担っていく。現場労働を支え、なおかつ付加価値の高い知的スキルやマネジメント能力が求められる、新しいタイプのエッセンシャルワーカーである。日本の強みである現場力や品質力も生かせると期待できる。
出典:「賃上げと人手不足解消の好循環に向けた政策対応」(山田久氏、2024年11月26日)より
「エッセンシャル領域は産業や生活に不可欠であり、人手不足は深刻な社会問題になる可能性があります。時間はかかるでしょうが、賃上げを促す職業能力資格の整備や、就業を後押しする支援基金の創設など、産官学が連携して普及に取り組み、アドバンスト・エッセンシャルワーカーを魅力的な職業として確立させていく必要があると考えています」(山田氏)
世界情勢は「分断」の傾向を強めていくと予想されるが、そうしたなかでも、日本は「統合」や「連携」を志向していくべきだと山田氏は話す。アドバンスト・エッセンシャルワーカーの創出も、産官学の分野横断的な連携がなければなしえない。また、より実効性の高いリスキリングの実現のためには、個々の企業内で取り組むだけでなく、業界全体での実践的学習機会の創出や、教育機関との綿密な連携などが欠かせない。
「世界情勢においても、日本は米・欧・中をつなぐ橋渡し役を果たすことが期待されています。分断の時代に、ぜひつなぐことの大切さを再認識し、政府も企業もそこに貢献していくことを目指してほしいと考えています」(山田氏)
山田久氏
法政大学ビジネススクール
イノベーション・マネジメント研究科 教授
京都大学経済学研究科博士後期課程修了。博士(経済学、京都大学)。専門は人的資源管理論、労働経済。日本総合研究所調査部長、副理事長などを経て、2023年から法政大学ビジネススクールイノベーション・マネジメント研究科教授。著書に『賃上げ立国論』(日本経済新聞出版)など多数。日本総合研究所客員研究員。