山口周氏
独立研究家
1970年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒業。同大学院文学研究科美学美術史学修士課程修了。
電通、ボストン・コンサルティング・グループ、コーン・フェリー・ヘイグループなどで企業の戦略策定、文化政策立案、組織開発などを担当する。
現在は「人文科学と経営科学の交差点で知的成果を生み出す」ことをテーマに独立研究者、著述家として活動している。最新著作は『思考のコンパス』(PHPビジネス新書)。
『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』『ニュータイプの時代』といった著書で、これからのビジネスパーソンに求められる思考や行動のあり方を鮮やかに示した山口周氏。
コロナ禍を経た時代の「働き方」と「学び」のあり方とはどのようなものなのか。現在の考えを語っていただいた。
コロナ禍以降、多くの企業がリモートワークを導入するようになっています。私の仕事の大半もリモートになりましたが、リモートワークには良い点と悪い点があるとあらためて感じています。仕事に移動が伴わないので、効率は非常に良くなりました。短期的に見れば、企業の労働生産性は上がることになると思います。
一方、リモートワークにはセレンディピティ(偶発的な出会いや発見)が起きにくいという問題があります。コロナ禍以前は、地方で講演などをする機会がよくありましたが、「どうせ行くなら」ということで、1泊くらいはして、街を歩いて、地元のおいしいものを食べて、いろいろな情報を仕入れていたものです。そして、そこで思わぬ発見があったりするわけです。
コミュニケーションがオンラインになると、例えば午前中は福岡の皆さんに向けてお話をして、午後は札幌の人と話をして、その次に新潟のクライアントと打ち合わせをするといったことができてしまいます。効率は非常にいいのですが、この状況があと何年も続くと、私たちは人間として大変弱くなってしまうのではないか。そんな危惧があります。
一昨年、コロナ禍前に広島を訪れる機会がありました。実際に原爆ドームの前に立つと、70年以上前にこの上で原子爆弾が爆発したのだというイメージがありありと想起され、圧倒されてしまいました。私の周りにいた観光客の3分の1くらいは外国人だったと思いますが、その人たちも一様に圧倒されている様子でした。このような感覚をリモートで得ることは難しいと思います。
AIと人間社会の関係を詳細に論じた『シン・ニホン』のなかで、著者の安宅和人さんは知性の本質は「知覚」だとおっしゃっています。私もまさにそのとおりだと思います。AIは「目」、つまりセンサーによる視覚を得たことによって格段に進化しました。しかし、現在のAIには味覚や触覚はありません。同じように、私たちはバーチャル空間では視覚と聴覚以外の五感を使うことは、今のところできません。限定された知覚に頼って長い間情報処理をし続けると、私たちの知性は劣化してしまうのではないか。そんなふうに思うのです。
リモートワークで時間を有効に使えるようになったことで、もう一度勉強したいと考えている人が増えているようです。いわゆる「学び直し」です。しかし、私はどうも「学び直し」という言葉自体に違和感があります。以前学んでいた時期があって、その後は勉強しない日々が長く続いていた。しかし、また仕事上学ぶ必要が出てきたからあらためて勉強する時間をつくろう──。そんなニュアンスがこの言葉にはあるからです。
必要なのは「学びに時期を設ける」という発想を変え、「学び続ける」ことだと私は思います。日本人の多くは大学に入ると勉強をしなくなります。だから、1日1時間でも勉強し続けた人は、かなりの確率で成功できます。会社に入ってからも、地道に勉強を続けていた人とそうではない人の間には、50代くらいになって歴然とした差が出ます。今後は、継続的な学びの差が、収入や仕事のチャンスを大きく左右することになると思います。
経済学者の竹中平蔵先生は、学びには「天井のある学びと天井のない学びがある」と表現されています。「天井のある学び」とは職業的要件による学びで、いわゆるビジネススキルなどはここに含まれます。一方、「天井のない学び」とは、教養やリベラルアーツ、あるいは自分が好きな趣味の分野の学びのことです。
例えば、ファイナンスは比較的シンプルな学問なので、定番書籍を10冊ほど読めば、ある程度の基礎は身につきます。つまり「天井がある」わけです。もちろん、新しい情報をそのつどキャッチアップしていく必要はありますが、基礎的な知識や原理が大きく変わるわけではありません。一方、教養やリベラルアーツは限定された知識ではないので、勉強しようと思えばどこまでもできてしまいます。すなわち「天井がない」ということです。その両方の学びが必要なのだと思います。
なぜ、「天井のない学び」が必要なのか。実はキャリアと勉強との間には、意外な関係があるからです。
私は以前、経営戦略系のコンサルティングファームに勤めているときに、自分の専門領域を定めるよう言われました。私が考えたのは、デジタルや情報通信の専門家になることでした。最先端でかっこいいから、というのがその理由です。
専門家になるためには、その分野の専門書や雑誌をたくさん読まなければなりません。しかし、どうしても読めないのです。読み始めると、すぐに鼻提灯を膨らませて寝てしまう。一方、室町時代の日本人について書いた本や、フランスのブルボン王朝の宮廷の夕食について書いた本はいつまででも読めてしまいます。
私の先輩にやはりデジタルや情報通信の専門家がいたのですが、彼は毎朝何紙も新聞を読んで、自分の専門領域に関する記事を切り抜いて整理していました。まるで、昆虫好きで知られる解剖学者の養老孟司先生が昆虫採集をしているように、本当に楽しそうに記事の収集をしているのです。それをはたから見ていて、自分には絶対無理だと思いました。
そのとき私が思いついたのは、「逆転の発想」が必要だということです。私には何時間でも読んでいられる本があります。哲学、歴史、心理学などの人文科学の本、それから組織やリーダーシップなど「人」に関する本です。そういう本が好きということは、自分の適性はどうもそちらのほうにあるのではないか。そう私は考えました。
やりたい仕事があって、それに必要とされる勉強がある。それが一般的な発想です。それを逆に考えてみる。自分が本当に楽しいと思えるインプットは何かなとまずは考え、それが成果やアウトプットに直結する仕事は何だろうと考えてみる。そうすると、本当に自分に合った仕事が見えてくるかもしれない──。それがすなわち「逆転の発想」です。
その発想の転換によって、自分が目指しているキャリアは、実は意外と自分に向いていないかもしれないということがわかってきました。自分が本当にやりたいことは、もっと「人」に関連する仕事である。そのことを本が教えてくれたのです。もし私が、「天井のない学び」に属するような自由な読書体験をしていなければ、そのような発見もなかったでしょう。結局私は、戦略ファームを退社して、組織開発や人財育成を専門とするファームに移りました。
もちろん、読みたい本だけを読んで、好きなことだけを学んでいればいいということではありません。100%自分が読みたい本だけを読んでいたのでは、セレンディピティの機会も限られるし、知識やものの見方の幅も広がらないでしょう。理想的なバランスがどのくらいかはわかりませんが、総読書量のうち、「天井のない学び」に属する本が6〜7割、仕事上の要請に応じた本が3〜4割というのが一つの目安になると私自身は考えています。
学びのなかには、自分の「スペック」を高めることを目的とした勉強もあります。その代表的なものが語学、特に国際語である英語の習得です。英語ができないことは、仕事で直接的に英語を使うかどうかとは関係なく、情報の摂取という点で決定的なハンディキャップになります。世の中の優れたコンテンツの多くは、まず英語で発信されるからです。それが日本語になるのを待っていたのでは、時間軸で大きく遅れてしまいます。
私が『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』を書いたきっかけになったのは、イギリスの経済紙「フィナンシャルタイムズ」の記事でした。本を書くにあたっては、それ以外にも英語のメディアや雑誌の情報をたくさん参考にしています。
孫正義さんは、海外で成功しているビジネスモデルを日本でいち早く展開して時間的に優位に立つことを「タイムマシン経営」と呼び、それを実践されてきました。彼は「未来は偏在している」と表現しています。未来につながる要素は特定の場所にある、だからそれを探しにいかなければならないということです。これは情報についても当てはまります。未来に通じる窓があるとして、その窓の向こうにあるあらゆる物事は英語で書かれています。したがって、英語ができなければ「未来を読む」ことができないわけです。
知的生産能力を高めるためのハウツー本が世には五万とありますが、その多くは、話し方やプレゼン術、あるいは思考法について書かれた本です。しかし、考えてみるとそれはおかしい。「生産」ですから、「インプット」と「処理」と「アウトプット」が必要なのですが、それらの本は思考法すなわち「処理」と、話し方やプレゼン術すなわち「アウトプット」のことしか語っていません。「インプット」について論じないということは、まるで資材が搬入されない工場で生産効率を上げる努力をしているようなものです。
知的生産におけるインプットは情報であり、最新の情報の多くは英語で書かれている。だから英語が必要なのです。もう一つのインプットは、自ら見て体験することです。いろいろなところを歩き、人に会うことです。コロナ禍ではそれが制限されているために、インプットがどうしても弱くなってしまう。それが私の見方です。
これから先、リモートワークが社会に定着することになると、働く人が住む場所と会社の場所とが物理的に切り離されることになります。これは企業にとって大きな問題です。これまでは、東京の企業は基本的に東京の人財を採用し、福岡の企業は福岡の人財を採用してきました。逆にいえば、福岡の企業に入りたければ、福岡に移住する必要があったわけです。
しかし、リモートワークが当たり前になれば、そのような制限はなくなります。これは国境に関しても同様です。アメリカの企業が、「英語ができて、プログラミングができる人を募集。仕事はすべてリモートで可」という求人を出したら、東京に居ながらにしてその会社に入社することができます。企業から見れば、世界中の企業と優れた人財を取り合う時代になるということです。
多くの優秀な人財が海外企業に流れていくでしょう。これは現在でも起こっていることです。リモートワークが進むことでこの傾向に拍車がかかり、いわばグローバル人財メガコンペティションが進んでいくことになるでしょう。その結果、日本企業が採用できるのは、その土俵に乗らない人財に限られてしまうことにもなりかねません。あくまでも可能性の話ですが、リモートワークが定着するということは、すなわち採用の地理的条件が解除されることを意味する。そのことを企業の経営者や人事の皆さんは知っておくべきだと思います。
話を「学び」に戻しましょう。学びは、キャリアビジョンを実現するために必要であるといわれます。一般に、キャリアビジョンを持つということは、30代、40代、50代のそれぞれの自分をイメージし、それに向かって準備をしていくということです。しかし現実的に、そのビジョンがそのまま実現される可能性は決して高くはありません。私は、自分の将来の姿を自分で決めてしまうよりも、「打席に立ったときにどのくらいの飛距離を出せるか」と考えて学び続けることが大事だと思っています。
レナード・バーンスタインというアメリカの世界的指揮者がいました。彼は、ニューヨーク・フィルハーモニックで、ブルーノ・ワルターという20世紀前半を代表する大指揮者のアシスタントをしていました。ある演奏会でワルターが急病でタクトを振れないという事態になったとき、その代役を務めたのがバーンスタインです。演目には難曲として知られる曲が並んでいました。「この難しい曲を振れるのか?」と聞かれた彼は、ひと言「アイム・レディ(準備はできています)」と答えたといいます。それをきっかけとして彼は、世界のクラシック界で認められることになったのです。
同じようなエピソードが、漫画家の赤塚不二夫にもあります。若手の漫画家が集まっていたことで知られるトキワ荘で、石ノ森章太郎が一番の売れっ子だった頃の話です。ある雑誌連載に穴が開いて、担当編集者が石ノ森に手持ちの原稿を提供してもらえないかと相談に行ったところ、石ノ森はこう言いました。「赤塚不二夫という男がいるから、彼に相談してみればいい」。赤塚は当時まったくの無名漫画家でしたが、編集者はそのアドバイスにしたがって赤塚のところへ行ってみた。すると、すでに完成している原稿がいくつもあって、「どれでも使ってください」と赤塚は言ったそうです。そうして世に出たのが、彼の代表作の一つである「おそ松くん」です。その作品が読者の圧倒的な支持を受けて、彼は一躍人気漫画家となったのでした。
チャンスはいきなりやって来ます。自分のこれまでの人生を振り返ってみて、私はそう実感しています。しかし、準備をしていない人のところにはチャンスは来ません。準備ができている人から順に神様が打席を用意してくれるのだと私は考えるようにしています。「学び続ける」ことは、チャンスに備えた準備をしておくことである──。そんなふうに考えてみてもいいのではないでしょうか。
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山口周氏
独立研究家
1970年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒業。同大学院文学研究科美学美術史学修士課程修了。
電通、ボストン・コンサルティング・グループ、コーン・フェリー・ヘイグループなどで企業の戦略策定、文化政策立案、組織開発などを担当する。
現在は「人文科学と経営科学の交差点で知的成果を生み出す」ことをテーマに独立研究者、著述家として活動している。最新著作は『思考のコンパス』(PHPビジネス新書)。