デジタル化を背景に、経済・社会環境の変化や産業構造の転換のスピードが劇的に速まっている。より成長性の高い産業に向けて、労働力の適切な移動を促すことは重要な課題だ。円滑な労働移動を支える要素の1つが経済学でいう人的資本投資であり、これがいわゆる「リスキリング」に当たる。
このようなマクロ経済的観点から、リスキリングについて積極的に提言する日本総合研究所主任研究員の安井洋輔氏に、企業と個人にとってのリスキリング実践のポイントを語っていただいた。
リスキリングをサポートする公的サービスの積極活用を
社会人のリスキリング(学び直し)は近年、厚生労働省をはじめ政府としても政策的に力を入れている重要テーマでもある。
図1デジタル化による雇用の構造変化
(資料)総務省「産業連関表」、内閣府「GDP統計」を基に日本総合研究所作成
(注)ICTサービスの中間投入比率が2倍となった場合の試算。
前提条件等は安井(2021)「デジタル化による雇用の構造変化」JRIレビューVol.2,No86を参照
コロナ禍を契機に、わが国ではデジタル化による雇用の構造変化が起きている。ICT先進国並みにデジタル化が進めば、2015年対比、自動車の運転手は11万人、販売店員は10万人、ビル清掃員は9万人ほど減少する一方、デジタル人財(システムコンサルタント・設計者、ソフトウェア作成者、その他の情報処理・通信技術者)は60万人ほど増えることになる(CGEモデルによる試算)
出典:日本総合研究所の資料を基に作成
図1に示したように、コロナ禍を契機に日本でもデジタル化による雇用の構造変化が加速している。システムコンサルタント・設計者やソフトウェア作成者をはじめとするデジタル人財の雇用が60万人ほど増える一方で、雇用が急減する職種も多い。こうした産業構造の変化に合わせて、より成長性・生産性の高い産業に労働力が適切に移動できるよう政策的に支援することは、日本経済全体の成長を促し、働き手の経済的・精神的な満足度を高めることにもつながる。円滑な労働移動を支える要素の1つとして位置づけられるのが、リスキリングである。
「今ではリスキリングを支援する公的サービスが数多く提供されています。必要なスキルに関する情報や、キャリアコンサルタントとの面談など、無料で利用できる制度が多いので、ぜひ活用していただきたいと思います」と安井洋輔氏は話す。
漠然と学び直し講座などを受講するのではなく、あくまでキャリアチェンジを前提に、必要なスキルを十分見極めて学ぶことが重要だ。そのためにも、自分の資質やキャリア観に合致した職種、今後安定的な雇用が見込める職種、より良い賃金・待遇が望める職種などを把握して、そこで求められるスキルについての情報を収集する効果的なリスキリングが重要になる(図2参照)。
図2効果のあるリスキリングの実践
- 1 適切なテーマの設定
- 職業情報提供サイト「job tag(日本版O-NET)」などを参照
- 2 適切な講座選び
- 教育機関へのヒアリングや体験受講など
- 3 時間の捻出
- 通勤時間や帰宅後、週末などに時間の確保を。家族等への理解も必要
- 4 補助金の活用
- 教育訓練給付金の活用を検討。勤務先の制度の確認
- 5 モチベーションの維持
- 学ぶ仲間との励まし合い、希望の職業への就職をイメージする
出典:学び直しの効果的な取り組み方 日経産業新聞 2022年2月3日 15ページ
この際に利用できる公的サービスとして、2020年3月に厚生労働省が開設した職業情報提供サイト「job tag(日本版O-NET)」が挙げられる。単なる職業紹介ではなく、約500の職業について仕事内容、就業経路、賃金といった労働条件の特徴、求められるスキルや資格などを整理して紹介している。
リスキリングする前に、自分の経験やスキルを客観的に捉えたい場合は、専門家であるキャリアコンサルタントと面談し、対話を重ねながら洗い出していく方法も有効だ。これも無料で利用できる公的な制度がある。「専門実践教育訓練給付金」制度がそれだ。
同制度は、学び直し費用を国が支援するもので、指定講座を受講した場合に費用の50%(年間上限40万円)が給付金として支給される。さらに、訓練修了1年以内に目標の資格等を取得するなど一定の条件を満たすと、費用の20%が追加されて、合計70%(年間上限56万円)が支給される。雇用保険の被保険者であれば誰でも利用できる。
「この制度自体も学び直しに有効です。利用する前に必ず訓練前コンサルティングとして、ハローワークが提携するキャリアコンサルタントと面談することを義務づけている点が大きな特徴です。これまで培ってきたスキルを専門家に客観的に指摘してもらえるので、スキルの棚卸しができてお勧めです。
前述のjob tagもこの訓練前コンサルティングも、意外と知られていません。悩んでいるばかりで、なかなか学び直しを始められない人も多いでしょう。金銭的な負担の少ない公的サービスをきっかけとして、ぜひ学びの第一歩を踏み出していただきたいです」
社員の学びを積極的に評価する社内風土の醸成も重要
このほか、個人がリスキリングを実践するうえでのポイントや留意点を安井氏に挙げていただいた。
1無理せず、長期的な視点で
社会人にとって、学びの時間を確保するのは容易ではない。仕事はもちろん、子育てや介護など家庭での役割も果たしたうえで、限られた時間のなかで課題を解いたり論文を執筆したりしなくてはならない。
「せっかくリスキリングに取り組んでいるのに、かえってストレスを抱えたり、体調を崩したりしては本末転倒です。リスキリングを長続きさせる最大のポイントは、無理をしすぎないこと。1科目単位で受講できる制度を用意している大学もありますから、5年、10年という長いスパンで、不足している知識やスキルを1つずつ身につけていくという方法もあります。たとえ学習時間はわずかでも、何もやらないより確実にプラスなので、できる範囲で取り組んでいくのがよいと思います」
2家族の理解と協力は不可欠
リスキリングを円滑に進められるかを、現実的に大きく左右するのが「家族の協力」だ。週末の余暇時間を学習に充てようと考える人は多いが、その分、家族と過ごす時間や家事・育児・介護などに参加できる時間は減ってしまう。家族の理解を得ることは不可欠だ。
「しっかりとコミュニケーションをとって、リスキリングに対する理解を求めると共に、家事分担などもルールを決めてそれを実践する。ストレスを感じている状態では、脳の学習能力が下がってしまうので、家庭内などのストレスを増やさないことは大事だと思います」
3副業・兼業を活用する
これまでのキャリアを大きく転換することを目指すなら、一般的な学び直し講座やOff-JTだけでは十分ではない。そこで副業・兼業によって、現在の職場で仕事を続けながら、自分がこれから希望する職業を外部で実際に経験してみるのがよいと安井氏はアドバイスする。
「事前の情報収集が重要だと言いましたが、そのキャリアチェンジは自分に本当に向いているのか、足りないスキルは何なのか、実際にやってみないとわからないことも多い。キャリアチェンジとリスキリングのための手段として、兼業・副業をもっと活用すべきだと思います。仮に転職しなかったとしても、普段の仕事とは違った予期せぬ出会いや発見があるはず。それが本業にもプラスに働くことが、学術的研究でも明らかになっています。企業側もぜひ社員のリスキリングのためにも、兼業・副業を前向きに取り入れていただきたいです」
最後に、社員のリスキリングを促すための企業側へのアドバイスを聞いた。
「最も重要なのは、社員の外部での学びを積極的に評価する社内風土を醸成することです。これまでの日本企業では、社内のさまざまな部門の仕事を経験したゼネラリストを重視する傾向が強かったと思いますが、企業の競争環境がこれだけ激化しているなか、むしろ社員の専門性を高めることを重視する必要があります。リスキリング自体を推奨するだけでなく、いわゆるジョブ型雇用を導入するなど、外部で身につけた専門的スキル・知識が社内の評価に直結するような人事の枠組みをぜひ取り入れていただきたいと思います」
Profile
安井洋輔氏
日本総合研究所
調査部 主任研究員
2004年3月東京大学経済学部卒業、2004年4月日本銀行入行(調査統計局、金融機構局、国際局等)、2009年10月コロンビア大学国際公共政策大学院(SIPA)卒業(Master of Public Administration)、2015年7月内閣府(経済財政分析担当)出向(参事官補佐<上席政策調査員>)、2017年9月(株)日本総合研究所調査部マクロ経済研究センター国内経済グループ、2019年7月調査部経済構造の変化と課題プロジェクト、現在に至る。