大内久幸氏
三菱総合研究所 ビジネスコンサルティング本部
経営マネジメントコンサルティンググループ 主任研究員
組織・人財領域を中心とした研究および情報発信に加え、主に民間企業を対象に人事制度、組織風土、その他人財マネジメント改革のコンサルティング業務に従事する。
リスキリングに注力しているにもかかわらず、成長部門への人財シフトがなかなか進まないと悩む企業は多い。そこで注目したいのが「スキルベース組織」である。従業員のスキルを客観的に可視化し、柔軟に活用することで、人財の活性化と流動化を図るものだ。欧米企業を中心にスキルベース組織への移行が進んでいる背景や、日本企業の導入の留意点などについて、三菱総合研究所の大内久幸氏・山藤昌志氏に聞いた。
リスキリングがもたらす意義の1つは、社内の人財の流動性を高め、成長部門への効果的な労働移動を実現させることにある。成長部門で必要とされる人財と既存の人財とのスキルギャップを明確にし、そのギャップを埋めるためのスキル習得を促すことができれば、人財の成長部門へのシフトが加速すると期待できる。また図1に示したように、三菱総合研究所の推計によれば、2035年には国内で190万人もの労働需給ギャップが生じると見込まれる。この問題に対応する意味でも、人財流動化を促すリスキリングの機能は欠かせない。しかしながら実際には、日本においてこのようなリスキリングの成果は十分に上がっていないのが現状である。
出典:三菱総合研究所 推計
この状況を打破し、リスキリングの実効性を高めるカギとして注目されるのが「スキルベース組織(skill-based organization)」の考え方である。スキルベース組織とは、従業員をジョブ(職務)や役割で固定的に定義するのではなく、「多彩なスキルを持つ総合的な人格」として捉える人財マネジメント上の概念だ。この考えに基づき、採用や育成、等級評価などの人事施策を働き手のスキルによって行うスキルベース組織への変革が、近年、欧米企業を中心に進んでいる。
スキルベース組織が注目される背景には、欧米でジョブ型雇用のデメリットが明らかになってきたためだと大内久幸氏は話す。
「ジョブ型は企業があらかじめ定義した職務内容を基に報酬などを設定する仕組みですが、生成AIをはじめとする新しいデジタル技術が次々と登場するようになり、同じ職務でも求められるスキルがめまぐるしく変化しています。人財を職務で捉えるジョブ型では、職務遂行に求められる要件の変化を追いきれなくなっているのです。また職務内容を過度に強調してしまうと、自分の仕事以外に関心を持たなくなるという弊害もあります。そこで、スキルを切り口に人財を柔軟に捉え、採用・配置・育成などに反映させるスキルベース組織に移行する企業が増えています」(大内氏)
スキルベース組織に取り組む先行事例としてよく知られるのが、英日用品大手ユニリーバだ。同社は社員のスキル体系をデータベース化しており、人財育成などに活用しているほか、社内で新たな業務やプロジェクトが発生すると、そのスキル要件を満たした社員がそこに柔軟に移行できるようにしている。
ここで注目したいのは、ユニリーバが自社の独自基準ではなく、外部の教育系企業が提供するスキル分類に基づいて社内のスキルを定義している点だ。あえて外部の基準を用いてスキルを整理することで、社内のどの部門でどんなスキルを持つ人財が活躍しているのか、客観的に可視化することができる。外部から同社に転職したいと考える人にとっても、必要なスキルや生かせるスキルが把握しやすいので、人財の流入を促しやすい。
日本企業の現状はどうか。ジョブ型が定着している欧米企業とは異なり、日本では職務や仕事内容を文書で詳細に定義するという土台がない。また人財育成などを目的に、社内で求められるスキルを体系化している企業は多いものの、自社の独自基準を用いているケースが多い。日本では終身雇用が長く定着してきたため、自社のスキルを外部労働市場と連動させることに馴染みがなかったためだ。
「各企業内でも、また日本経済全体で見ても、成長が見込まれるセクターに人財を移動させることは重要です。企業ごと・組織ごとにスキル定義のあり方が閉塞的になっていると、どのようなスキルを持つ人財がいるのか、組織の外部からは把握できません。働き手から見ても、自分が習得したスキルが成長領域のどのような職種で活用できるのかが判断できない。その意味で、まずはスキルを組織の外部からもわかるように可視化していくことが、スキルベース組織への移行の第一歩となります」(大内氏)
終身雇用が長く定着してきた日本では、理念の共有が重視される一方でスキルの可視化はまだ十分でない企業が多い。両者のバランスが重要だ。
出典:三菱総合研究所
スキル可視化を進める具体的なポイントとしては、前述のユニリーバの例のように、外部の基準を積極的に活用することが挙げられる。例えばオンライン求人情報サイトでは、各社が求めるビジネススキルやコンピテンシー、資格要件など幅広い項目を体系化して紹介している。この体系を参考にして、自社の人財要件とスキルを整理していくといった方法が考えられる。また経済産業省では、ビジネスパーソンがDXに関する知識・スキルを身につける指針として「デジタルスキル標準」を公表し、頻繁にアップデートを行っている。これを参考に、自社のデジタル関連のスキル要件を整理・可視化する方法もある。
この際に重要なのは、自社で求められるスキルと、外部のスキル体系をしっかりと紐づけていくことだと山藤昌志氏は指摘する。
「客観的なスキル体系に基づいた求人情報は、その仕事に興味を持つ人財のエントリーを後押しします。加えて、実際にその人に自社で活躍してもらうためには、公表したスキルと、現場で求められるスキルが合致している必要があります。言い換えると、そこが明確になっていれば、足りない要素に対するリスキリングも進めやすくなる。難度は高いですが、スキルの可視化ではこの紐づけがカギになります。最近では、従来よりスキルに基づく人財管理を重視してきた大手メーカーでも、『デジタルスキル標準』を紐づけて活用する例が出ています。あえて外部のスキル体系を自社のスキル体系と紐づけ、スキルベース組織への移行に意欲的に取り組んでいる、と捉えることもできます。
三菱総合研究所としては、こうしたスキルベースの考え方を求人情報サイトなどにも浸透させて情報の質を高めたり、産業別・職業別のスキル体系を互いに連携させたりすることで、日本の産業界全体での共通言語となるスキルの可視化を促進し、成長市場への労働力の流動化を加速していきたいと考えています(図3参照)」(山藤氏)
産業界全体でスキルの可視化を進めることで、内外労働市場の活性化・流動化が図れる。
企業は採用の裾野が広がり、働き手は就業先の選択肢が増えると期待できる。
出典:三菱総合研究所 推計
では、このような自社のスキル体系の定義を、リスキリングにどのように生かしていくべきだろうか。一般にリスキリングというと、各種の研修やOJTなどを想起しがちだ。求められるスキルが変わり続けているにもかかわらず、「リスキリング=資格取得」という施策に寄ってしまい、世の中の変化にマッチせず取り残されている日本企業も少なくないという。学ぶ機会を形骸化させないためには、スキルについて「知る仕組み」と「パフォームする仕組み」をつくることが大切だと大内氏は強調する。
「三菱総合研究所では、以前から日本の人財活性化のために、知る(Find)・学ぶ(Learn)・行動する(Act)・活躍する(Perform)の頭文字を取った『FLAPサイクル』を機能させていくことが重要だと提言してきました。リスキリングでも、まずは『知る(Find)』が重要になります。なぜそのスキルが求められるのか、習得することでどう活躍できるのか、報酬などの待遇はどう変わるのかといった点が見えなければ、人は積極的に学ぼうとは思わないでしょう。業務と密接に関連した形で『組織としてこれを実現したいが、このスキルを持つ人がいない。だから、あなたに学んでほしい』と具体的に示す必要があります。上司と部下との面談などを通じて、スキルについてお互いに『知る』ことができて初めて、スキルギャップを埋めるためのリスキリングが機能していくのです」(大内氏)
リスキリングによってスキルを身につけるだけでなく、その社員に相応しい成長部門や新事業部門に異動してもらうなど、パフォーム(活躍)できる仕組みを企業側が用意することも重要だ。もちろん上司の立場からすると、優秀な社員を自分のチームで囲い込んでおきたいという思いもあるだろう。しかし今後は、新たなスキルを身につけた社員を、活躍できる場に進んで送り出していくような職場風土を醸成していくことが必要になる。囲い込み意識が強い組織のままでは、今後、外部から優秀な人財が入ってくる可能性も狭めてしまうからだ。
「とはいえ、上司自身にマインドチェンジを期待するのは難しい面もあります。そこで最近では、『組織外にどれだけ良い人財を送り出したか』を管理職の評価基準に取り入れて制度化している企業が日本でも出てきています。これも社員がパフォームする仕組みづくりの一環といえるでしょう」(山藤氏)
その意味で、企業がリスキリングに真剣に取り組み、新たなスキルを獲得した社員が存分に活躍できる場を提供するためには、経営トップの強力なコミットメントとリーダーシップが不可欠である。経営トップの理念や人財戦略を明確化したうえで具体的な仕組みに落とし込み、組織風土の変革につなげてこそ、リスキリングは真に機能する。これが企業の持続的な成長や競争力強化につながっていくといえる。
大内久幸氏
三菱総合研究所 ビジネスコンサルティング本部
経営マネジメントコンサルティンググループ 主任研究員
組織・人財領域を中心とした研究および情報発信に加え、主に民間企業を対象に人事制度、組織風土、その他人財マネジメント改革のコンサルティング業務に従事する。
山藤昌志氏
三菱総合研究所 政策・経済センター 主席研究員
人財、労働、社会保障分野を中心とする政策提言、労働需給や人口動態、健康寿命に関するシミュレーション、各種統計手法を活用したデータ解析などに従事する。現在は研究提言チーフとして人財分野の自主研究や企業との共同研究、政策提言の取りまとめを担当している。