濱口桂一郎氏
独立行政法人労働政策研究・研修機構 労働政策研究所長
東京大学法学部卒業。労働省(現厚生労働省)入省。東京大学大学院法学政治学研究科附属比較法政国際センター客員教授、政策研究大学院大学教授などを経て現職。専門は労働法政策。近著に『働く女子の運命』(文春新書)。
「2018年は、『長時間労働是正』と『同一労働同一賃金』という雇用の2大課題への取り組みについて法整備が進み、その道筋が明らかになります。それと同時に、今後10年先、20年先を見据えた新しい雇用のテーマについての議論が本格的にスタートする年です。日本の雇用にとって、大転換の年になるといってよいでしょう」
独立行政法人 労働政策研究・研修機構の労働政策研究所長、濱口桂一郎氏はこう語る。
2017年に「働き方改革」の名の下で重点的に議論されてきたのは、「長時間労働是正」と「同一労働同一賃金」の2点。10年以上前から日本的雇用の重要な課題として指摘されてきた。
それが政府の成長戦略の一環として位置付けられ、2017年3月には「働き方改革実行計画」を策定。残業時間の上限規制などを盛り込んだ「働き方改革関連法案」が2018年の通常国会に提出される見込みだ。
しかし、日本における雇用問題の議論は「世界標準から見れば後れを取っている状況。新しい動きに対し鈍感になってしまっている」と濱口氏は指摘する。
「すでに海外ではシェアリングエコノミーやクラウドワークスなど、新たに生まれるビジネスモデルや働き方に対して、労働者保護の観点をどう取り入れるかといったことへ議論の焦点がシフトしています。日本的な雇用の見直し論議に一刻も早くメドをつけ、世界標準のテーマに追いつくべきです」
働き方改革関連法案では、残業時間に罰則つきの上限を設けるなど、長時間労働の是正を今まで以上に企業に強く求める内容となっている。長時間働くこと、遅くまで職場にいることを評価するような日本独特の企業文化を改める契機にするという狙いもある。併せて、終業から翌日の始業までに一定の休息を求める「勤務間インターバル制度」を努力義務として課すなど、働き過ぎの抑制や健康確保にも配慮している。
長時間労働是正の機運が本格的に高まることで、そのほかの働き方の見直しも進めることができると濱口氏はいう。その一つが「リモートワーク(テレワーク)」に代表される柔軟な働き方の推進だ。
スマートフォンやタブレットをはじめとするICTの発達・普及に伴い、場所や時間を選ばない働き方がすでに可能になっている。
「リモートワークが広範に定着すれば、育児や介護を理由に仕事の継続を断念しているような人々も在宅で柔軟に働くことができ、多様な人財が能力を発揮することにもつながります」
このように語る濱口氏は、それにもかかわらず、日本での普及が遅れている理由として長時間労働の問題が背景にあるからだという。
「従来の日本型の働き方を在宅に持ち込んでしまえば、労働時間に歯止めがかかりにくくなり、長時間労働を助長してしまうという指摘があります。それを防ぐために、オフィス外での社員の一挙手一投足を確認するような仕組みを導入しようという発想も出ていますが、これでは本末転倒です。社員の働く意欲やモチベーションを抑制してしまうでしょう」
しかし長時間労働の是正が定着し、長く働くことよりも、限られた時間でできるだけ生産性や業務効率を高めることが重視されるようになれば、細かな時間の管理は重要ではなくなる。むしろ働く側本人の業務管理能力が重要になってくる。
また高度な専門職を対象として、働いた時間ではなく成果に応じて賃金を決める「脱時間給制度(高度プロフェッショナル制度)」も、働き方改革関連法案に盛り込まれている。
例えば金融ディーラーやコンサルタントのような職種では、労働時間と成果の関係がそれほど密接ではない。1日10時間以上を要する場合もあれば、3時間で済むこともあり得るだろう。
あくまで成果を主軸に考え、働く時間(あるいは働かない時間)を本人が自由に決められるのが高度プロフェッショナル制度の基本的な考え方だ。これもあくまで長時間労働の是正が前提になると濱口氏は話す。
「この制度は長時間労働を助長するとの批判が根強くあります。制度が想定するような職種かどうかにかかわらず、日本では長時間労働を求められるという実態があるからです。この点が改善すれば、高度プロフェッショナル制度のような新しい働き方の具体的な運用についても議論が進むようになるはずです」
2018年は有期雇用や派遣労働のあり方にとって大きな転機の年となる可能性があり、「2018年問題」と呼ばれる。濱口氏はこの2018年問題を、単に有期雇用や派遣労働者の処遇の問題だと捉えるべきではないと指摘する。
「現在、日本の雇用者全体に占める非正規雇用の割合は4 割を超えています。このことは、多くの企業が自社のコアとなる業務の一部を非正規社員にゆだねていることを表しているといえます。2018年は、自社の業務を支える社員が最もその能力を発揮してくれる待遇のあり方を考える契機になるべき年なのです」
2018年問題には二つの改正法施行が背景にある。
一つは、2015年施行の改正労働者派遣法だ。派遣事業者は、同じ職場で3年続けて働いた派遣労働者に対し、雇用安定措置をとることが義務付けられた。2018年は施行から3年となるため、派遣先による直接雇用や派遣事業者による無期雇用が拡大する可能性がある。
もう一つは2013年施行の改正労働契約法だ。これにより、同じ職場で5年を超えて働いている労働者が、希望すれば無期雇用に転換できると定められた。これも施行から5年目の2018年が期限となる。
「新卒正社員の3年以内離職率が30%を超える中、3年以上働いてくれる派遣労働者は、正社員より職務を熟知しているケースも多い。企業は正社員も含めて、中長期的に核となる仕事を担っていく社員の待遇をどう整合的に扱っていくか、より明確化する必要があります」
クラウドソーシングとは、ネットを通じて不特定多数の人々(クラウド)に業務を依頼する新しい雇用形態の一つ。企業に外注(アウトソーシング)するのではなく、仲介システムを介して個人に直接依頼するのが特徴だ。登場した当初はプログラミングやウェブデザインなど在宅での業務が中心だったが、最近では家事代行やチラシ配布のような軽作業などの需要も増え、業務の幅が広がっている。育児休業中の女性が1日数時間だけ働くなど、限られた時間を有効に活用する働き方としても期待できる。
また一般のドライバーが有償で乗客を運ぶ「ライドシェア」など、シェアリングエコノミーも新しい働き方を生み出しつつある。
今後、日本企業の間で副業・兼業の解禁が進めば、会社勤めをしながらこれらの働き方をする人が増える可能性もある。人手不足が進む中、企業が必要な人財を効率的に確保する手段として、活用の余地があるだろう。
「これらの働き方は、勤務時間などに自由度が高い半面、雇用契約を持たないため、通常の労働者保護の法的な枠組みが適用されないなど、多くの課題があります。今後、企業で働く従来の被雇用者に加えて、自営業者やフリーランスといった雇用契約に基づかない働き方が広がっていく時代に、誰もが安心して働ける新しい枠組みをどう構築していくか、早急な議論が必要だといえます」(濱口氏)
濱口桂一郎氏
独立行政法人労働政策研究・研修機構 労働政策研究所長
東京大学法学部卒業。労働省(現厚生労働省)入省。東京大学大学院法学政治学研究科附属比較法政国際センター客員教授、政策研究大学院大学教授などを経て現職。専門は労働法政策。近著に『働く女子の運命』(文春新書)。