鶴 光太郎氏
慶應義塾大学大学院商学研究科 教授
東京大学理学部数学科卒業。オックスフォード大学 D.Phil.(経済学博士)。1984年に経済企画庁(現内閣府)入庁。OECD経済局エコノミスト、日本銀行金融研究所研究員、経済産業研究所上席研究員などを経て、2012年より現職。
「働き方改革」の2本柱の一つである「同一労働同一賃金」。ガイドライン案での注目ポイントや日本で導入する際の課題、企業が取り組む意義などについて、有識者に聞いた。
「同一労働同一賃金」とは、属性や働き方の違いによって、合理的に説明できないような賃金や待遇の違いが生じるような事態を是正し、多様な働き方を実現できるよう促す取り組みを指す。長時間労働の是正と並び、「働き方改革」の大きな柱の一つであり、2016年12月に働き方改革実現会議によって同一労働同一賃金ガイドライン案が打ち出された。
「ガイドライン案では基本給や手当、賞与などの賃金体系だけでなく、福利厚生やキャリア形成・能力開発まで盛り込んだ内容になっていますが、長時間労働の是正に比べると議論は緒に就いたばかり。働き方改革関連法案が国会審議される2018 年以降、改めて議論されることになります。実現には企業にとってハードルも高く、中長期的な課題としてしっかりと取り組むことが求められます」
こう語るのは、企業統治、雇用システムを専門とする慶應義塾大学大学院商学研究科教授の鶴光太郎氏だ。
鶴氏は、同一労働同一賃金の本丸は「基本給」体系の見直しであると指摘する。ガイドライン案では、まず、(1)職業経験・能力、(2)業績・成果、(3)勤続年数の三つの要件ごとに賃金を設定し、正社員か非正規社員かにかかわらず、(1)・(2)・(3)のいずれかの要件において同等とみなされる場合には、その要件に対応する賃金は同じであるべきとしている。つまり、正社員の基本給の中でどれくらいが(1)・(2)・(3)に応じた部分かが明確に因数分解できるという考え方が前提となっている。
しかし日本の正社員の給与体系は、欧米のように職務(個々の従業員が担当する仕事内容)に応じて決まる「職務給」ではなく、職務が同じでも職能(職務の遂行能力)が高まれば賃金も高まる「職能給」の性格が強い(図1参照)。しかも勤続年数と職能の向上を結びつけた「年功序列」という日本独特の制度の上に成り立っており、社員一人ひとりの職能を厳格に評価して賃金や待遇を決めてきたというわけではない。
「欧米のような本来の意味での同一労働同一賃金を実現するためには、従来の日本の賃金体系を抜本から見直し、評価と賃金・待遇を明確に結びつけて公表・共有する『見える化』が必要になるでしょう。正社員の賃金体系までをすべて『見える化』できれば、雇用システムに革命をもたらします。極めて高いハードルですが、企業・従業員ともに大きな意義があります」
同一労働同一賃金が注目されるようになったのは、労働人口の4割を占めるまで非正規社員が増えたこと、さらに海外に比べて日本の非正規社員の待遇が低いとの指摘があり、その是正が求められたことが背景にある。パートタイム労働者の時間あたり賃金水準が、欧州諸国ではフルタイム労働者に比べて2割ほど低いのに対して、日本は4割程度も低い状況にあるという統計もあり(図2参照)、これらが注目を集めた面もある。
しかし、このような賃金水準の単純な国際比較は必ずしも適切ではないと鶴氏は強調する。
「パートタイム労働は時給が低い一方で勤務時間の自由度は高く、それを選好している人もいます。パートタイム労働者の待遇には、職務能力や学歴、勤続年数などさまざまな要因がありますし、一口にパートタイム労働者といってもその実情は国によって異なります。合理的に理由の説明可能な要素を取り除いて比較すると、日本が欧米諸国に比べて取り立てて賃金差が大きいとは必ずしもいえないのです」
これはパートタイム労働者に限ったことではなく、正社員と限定正社員の間の賃金や待遇の違いについても同様のことがいえる。正社員に対して、限あたり賃金は高い場合もある。両者の待遇の整合性についても多角的に分析・検討することが必要といえる。また、「同一労働同一賃金」という言葉が先行し過ぎてはいけないと鶴氏はいう。
「大切なのは、あくまで公平性と納得性の確保です。賃金に違いがあっても、それを企業側が合理的に説明できて、従業員側も納得できる給与・人事体系を目指すことが大切です」その意味で、ガイドライン案にもあるように、賃金以外の待遇面の公平性の確保も重要だ。
「基本給以外にも、福利厚生や手当、賞与など、実現しやすい部分からどんどん取り組んでいくべきです。教育訓練が受けられるなど、スキルを伸ばす機会についても同様です。こうした取り組みが非正規社員の正社員化などを推し進める原動力にもなります」
また、日本では働き方の選択肢が「無限定正社員」とそれ以外の「非正規社員」に二極化してしまっている面が強い。業務や労働条件による社員区分を見直し、「限定正社員」を取り入れるなど、働き方の選択肢を増やしていくことも重要だ。
同一労働同一賃金は、賃金制度を含む企業の雇用システムの改革だといえる。今後、多様な人財の活躍を促す意味でも、企業の前向きな取り組みが望まれる。
「政府が改革方針を打ち出したことを" ビッグプッシュ"として、産業界の機運や議論を高めることができれば、日本の雇用システム見直しの大きな契機になり得ます。企業における社員区分の明確化や賃金制度の『見える化』が進めば、中途で転職した場合の給与待遇の公平性や公正性が実現でき、労働移動を高めていくことにもつながります」
鶴 光太郎氏
慶應義塾大学大学院商学研究科 教授
東京大学理学部数学科卒業。オックスフォード大学 D.Phil.(経済学博士)。1984年に経済企画庁(現内閣府)入庁。OECD経済局エコノミスト、日本銀行金融研究所研究員、経済産業研究所上席研究員などを経て、2012年より現職。