松元健二氏
玉川大学脳科学研究所教授
博士(理学)。1991年、帯広畜産大学畜産学部獣医学科卒業。
1996年、京都大学大学院理学研究科博士後期課程修了。理化学研究所基礎科学特別研究員、理化学研究所脳科学総合研究センター・研究員、カリフォルニア工科大学神経科学訪問研究員などを経て、2008年玉川大学脳科学研究所・准教授。
2011年より現職。認知脳科学、神経経済学、システム神経科学を専門とする。
心理学の領域で提唱された概念である「グロースマインドセット」が、企業において注目されるようになったのは、脳科学研究の進展により、脳の機能として裏付けられたことが大きい。人が主体的・創造的な行動を起こす要件とは何なのか。
脳の機能と主体性について研究している、玉川大学・脳科学研究所の松元健二教授に聞いた。
──近年、企業のマネジメントや人財育成において、心理学の概念である「グロースマインドセット」の考え方が取り入れられつつあります。こうした人の心理や行動を裏付けるような脳科学の研究も注目度が高まっています。この状況をどう見ていますか?
脳科学分野のテクノロジーの発展により、人の心理現象を、脳の機能として捉えられるようになったことが大きいと思います。1990年代に入って、fMRI(機能的磁気共鳴画像撮影法)の技術が普及し、人の脳機能をより詳しく調べることが可能になりました。
脳のある領域の神経細胞の活動が活発になると、そこに酸素やブドウ糖を供給するために、血液がより多く流れ込みます。これを画像として捉えられるのがfMRIです。fMRIは脳の働きをビジュアルで示すので理解されやすく、心理学や経済学などの他分野の研究者も脳のメカニズムに着目するようになりました。
最近は、社員の創造的能力を高める人財育成法と脳の関係について、脳科学者としての分析を求められることが増えました。私は、人間の主体性に興味を持ち、それを支えるやる気、動機づけや社会性と脳との関係について研究してきましたので、人財育成に注力する企業のニーズと合致しているのかもしれません。
──実際、松元先生は人間のやる気と脳の関係について、興味深い研究結果を発表されていますね。
教育心理学では有名な「アンダーマイニング効果」が生じるときの脳活動を調べた研究のことですね。
人間にせよ動物にせよ、外的報酬(金銭、水、食料など)は、それを得るための行動を強く引き出します(図1参照)。これを「外発的動機づけ」といいます。しかし人間の場合、外的報酬がなくても「純粋に楽しいからやる」といった、その行動自体が目標となって行動を起こす場合がありますよね。これが「内発的動機づけ」です。
内発的動機づけは、外的な報酬を目標として示されると低下してしまいます。このように、内発的動機づけを低下させる外的報酬の効果のことを、アンダーマイニング効果といいます。ある人が純粋に楽しんでいた行動に対し、「うまくできたら1万円をあげます」と言って外発的動機づけを与えると、その行動の目標が、行動自体から1万円という金銭報酬にすり替わってしまいます。そうなると、金銭報酬のためには頑張れるものの、その報酬がなくなると、当初感じられた行動自体の楽しさは失われてしまうのです。
綿条体は前頭葉から行動と、その関連情報を受け取り、中脳からは報酬に関する信号を受け取っている。
綿条体の活動が、価値と動機づけに重要な役割を果たしていると考えられる。
──報酬と脳内の活動との関係をどのように実験されたのでしょうか。
「ストップウォッチをできるだけ正確に5秒で止める」という、ごく簡単ながら楽しめるゲームを使った実験を考案しました。このゲームをMRI 装置のなかで実施してもらいました。そして、成績に応じて報酬が支払われることを説明した報酬群と、成績による報酬については何も説明されなかった統制群とで、脳の活動の違いを調べたのです(図2・図3参照)。
ストップウォッチゲームは30回×2セッションでトライしてもらいました。報酬群の人たちには、成績に応じて報酬を支払うことを第1セッション直前に伝えましたが、統制群の人たちには伝えませんでした。第1セッション後、報酬群の人たちには伝えた通りに成績に応じた報酬を現金で支払いました。一方、統制群の人たちには、報酬があることを第1セッション後に初めて伝え、本人の成績とは無関係に、報酬群のなかのある1人と同じ額の現金を報酬として支払いました。第2セッションでは、それ以上の報酬は支払わないことを両群ともに伝えて、ゲームに取り組んでもらいました。
ストップウォッチゲームの成功時と失敗時の脳活動を調べた結果、大脳の深いところにある線条体という部位の活動が、報酬群と統制群とで大きく違っていたのです。第1セッションでは、報酬群・統制群どちらも、失敗時より成功時で線条体の活動が高くなっていました。統制群では、同様のパターンの線条体活動が第2セッションでも引き続き起こっていました。しかし報酬群では、成功時の線条体活動が第2セッションでは著しく弱くなり、失敗時と区別できなくなってしまったのです。
──この結果は、企業活動との関係ではどう捉えたらいいでしょうか。
あくまでもストップウォッチ実験の結果からの推測にすぎませんが、企業において、特にイノベーティブな成果を求められるような業務の場合には、報酬のあり方には注意が必要だろうと思います。イノベーションの創出には、好奇心や、失敗を恐れずチャレンジする姿勢が必要ですから、成果主義とは相性が良いとはいえなさそうです。
──企業は今後、報酬以外の動機づけを積極的に取り入れていくべきだということでしょうか。
誤解してほしくないのですが、多くの人々が企業の社員として活動することで生活費を得ている以上、報酬=外発的動機づけが基本であることに変わりはありません。一部の創造的な業務に、ある社員が内発的動機づけに基づいて取り組んでいるとき、成果主義を持ち込んで外発的動機づけに置き換えてしまわないように注意する必要があるということです。
内発的動機づけに関連しそうな実験がもう1つあります。デザインが異なる2種類のストップウォッチを毎回用意し、どちらかを使って5秒で止めるゲームにトライしてもらうのです。その際、プレイするストップウォッチを「あなたが選べます」とする場合(自己選択条件)と、「あなたは選べません」として、コンピュータが強制的に一方を選ぶよう指示する場合(強制選択条件)を用意しました。そして、ストップウォッチゲームの成功時と失敗時の脳活動を、自己選択条件と強制選択条件の間で比較しました。
報酬が得られると活動が高まり、得られないと活動が弱まる脳部位として、先ほどの線条体に加えて、前頭葉の一番深いところに位置する「前頭前野腹内側部」があります。この前頭前野腹内側部の活動パターンが、自己選択条件と強制選択条件の間で大きく異なることがわかりました。強制選択条件のときは、成功時の活動が高まり、失敗時には弱まったのですが、自己選択条件になると、失敗しても活動が弱まらず、成功時と同様だったのです(図4参照)。しかも、ストップウォッチゲームの難しさは変わっていないのに、自己選択条件では、強制選択条件よりも明らかに良い成績でした。
自分で選んで行動したという"自己決定感"という感覚があると、失敗してもやる気を失わず、次の糧にしようとする心の働きが生まれてパフォーマンスがアップします。この心の働きに、前頭前野腹内側部が一役買っていると考えられるのです。
松元健二氏
玉川大学脳科学研究所教授
博士(理学)。1991年、帯広畜産大学畜産学部獣医学科卒業。
1996年、京都大学大学院理学研究科博士後期課程修了。理化学研究所基礎科学特別研究員、理化学研究所脳科学総合研究センター・研究員、カリフォルニア工科大学神経科学訪問研究員などを経て、2008年玉川大学脳科学研究所・准教授。
2011年より現職。認知脳科学、神経経済学、システム神経科学を専門とする。