土橋隼人氏
PwCコンサルティング合同会社
People & Organization マネージャー
会計系コンサルティングファーム2社を経て現職。
10年以上組織・人事領域のコンサルティングに従事。人材マネジメント戦略策定、人事制度改革、コーポレートガバナンス改革、組織・人事デューデリジェンス、組織・人事統合支援、働き方改革支援などに携わる。近年は、エンプロイー・エクスペリエンスやピープル・アナリティクス領域に注力している。日本人材マネジメント協会(JSHRM)執行役員。
エンプロイー・エクスペリエンスの施策を取り入れるうえで、カギとなるのが「エンプロイー・ジャーニーマップ」の作成による経験価値の見える化だ。 日本においてエンプロイー・エクスペリエンス施策の導入に先進的に取り組んでいるPwCコンサルティングPeople & Organization マネージャーの土橋隼人氏に、ゴール設定のポイントから、ジャーニーマップの描き方、具体的な施策の留意点までを語ってもらった。
「はじめにエンプロイー・エクスペリエンス(EX)の概念を理解するとともに、その向上が日本企業の成長性にとってどれだけ重要であるかを認識することが大切です」と土橋氏は強調する。
EX が重視されるようになった背景として、1980年以降に生まれた「ミレニアル世代」が、組織の中核的存在になっていることが大きいという。そのなかでも生まれた時からインターネットやデジタル機器が当たり前に存在していたのがデジタルネイティブ世代。彼らはデジタルデバイスに慣れ親しんできた世代であると同時に、顧客として非常に高い経験価値を享受してきた世代でもあるからだ。たとえばECサービスなどのように、膨大な商品がコンシューマーの購買履歴からニーズや嗜好を読み取って丁寧にレコメンドされ、決済手段や受け取り方法も多様に用意、しかも注文などに対するレスポンスも極めて早い。
「物心ついて以来、この感覚に親しんできた世代は、勤務先企業に対してもデジタル化された経験価値を求める傾向が強いのです。管理職世代としては『仕事とは別問題だ』と考えがちですが、デジタルネイティブ世代の比率がマジョリティになることが確実である以上、むしろ彼らの感覚や思考を前提に、その能力を最も発揮できるような職場環境を整えるのは必須。発想の転換を図らなければ、激化するタレントの獲得競争でますます劣勢となってしまうでしょう」
では具体的にはどう取り組めばよいだろうか。有効な手法として、土橋氏はエンプロイー・ジャーニーマップを活用した施策導入を挙げる(図1参照)。
エンプロイー・ジャーニーマップとは、対象となる人が自社と出会い、入社して従業員として働き、やがては退職してOB・OGとして過ごす──。この長い時間軸のなかで、従業員は具体的にどんな経験をしたときにどのような感情・思考を抱くのかを整理し、EX 向上のための施策とマッピングして体系だてる手法だ。
「『入社』から『退職』まで従業員をどう管理するか、というのが従来の人事の発想。EXは従業員の目線に立って施策を検討するものであるため、視点の転換が求められます。また対象とする範囲はずっと広く、入社前の出会いの段階でいかに良いイメージを持ってもらうか(候補者の経験価値)、あるいは退職後にどれだけ自社に関してポジティブなメッセージを発信してもらえるか(退職時のコミュニケーション、退職後のネットワーク形成・コミュニケーション)なども検討課題になるでしょう」
図2に示したように、エンプロイー・ジャーニーマップによるEX 施策の検討プロセスは【1】ゴールの設定、【2】ペルソナの設定とジャーニーマップの作成、【3】施策の立案・実行──という3つのステップからなる。
まず、目指すべきゴールと対象となるタイプを明確にする。たとえば「今後の事業展開を加速させるためにデジタルスキルを持つ人の獲得を強化する」「現在、自社にいる若手従業員のエンゲージメントを高める」といったことだ。
「人事施策は、得てして手段が目的化してしまいがちです。EX の取り組みでは、どのような目的で、誰の経験価値を高めるのか、事前に明確にすることが大切です」
次の「エンプロイー・ジャーニーマップの作成」には、さらに3つの要素がある。①対象とする人のペルソナを複数設定したうえで、②現状提供できている経験を整理し、ジャーニーマップとして記載していくのだ。
「ペルソナ」とはマーケティングで用いられる概念で、ターゲットとなる人物像をさまざまな属性によって明確化したものだ。年齢層、これまでのキャリアや現在の役職、キャリアビジョン、仕事において重視していることなどを挙げていく。たとえば、《現在20代で新卒で入社し、海外で生活した経験を持っている。スキル獲得に熱心で、他社でも活躍できるスキルを早く身につけたいと思っている。PCよりもモバイル端末を利用することが多く、メールよりもチャットでのコミュニケーションを望む。同僚と仲良く仕事し、残業はしたくない》。このように、ターゲットとなる人物タイプを明確にすることで、彼らにどのような経験を提供することが望ましいかがイメージしやすくなる。
「人事部門だけでなく、ワークショップなどを通じて現場をよく知る管理職の意見を聞いたり、対象になる属性の従業員にインタビューしたりして、ペルソナを設定していくとより良いでしょう」
ペルソナを設定したら、タッチポイントごとに「従業員が期待している経験」と「現状提供できている経験」を記入していく。当然、この両者にはギャップがあり、この差を埋める作業が3つ目の「アクション=EX施策の立案・実行」になる。
エンプロイー・ジャーニーマップを作成してみると、人事施策として抜け落ちている部分が意外に多いことに気づくという。
「たとえば『採用』や『研修』のプロセス、メニューは詳細に決まっていても、組織の一員として定着・活躍するまでの『オンボーディング』については曖昧にしている企業が多い。オンボーディングは従業員の短期離職を防ぐことや、早期活躍を実現するために非常に重要なプロセス。新卒・中途採用された社員の目線に立って、オンボーディングの段階でどんな経験が得られると好ましいかを考えれば、取り入れるべき施策もおのずと明らかになるはずです。年齢や属性の近しい社員をメンターに選任し、新人社員のオンボーディングを支援する『メンター制度』の導入などはその一例です」
土橋氏はEX を高めるために必要な4つの観点(図3参照)を挙げている。
これに照らせば、「キャリア・能力開発」においては同年次の社員に一律の研修メニューを提供するよりも、本人のキャリア志向性、スキルや過去の受講履歴などを踏まえて最適な研修プログラムをレコメンドできる方が望ましいといえる(個別性)。また、パフォーマンスに関するフィードバックについても年に1~2回の面談だけでなく、モバイル端末やチャットアプリなどを活用して日常的にコミュニケーションする仕組みを取り入れた方がよいだろう(即時性)。
その前提となるのはデジタル化だ。海外では、エンプロイー・エクスペリエンス施策とデジタルテクノロジーが密接に結びついている。入社希望者からの問い合わせや、社員からの社内制 度・手続きに関する質問に自動対応するチャットボットを導入している例は珍しくないという。オンボーディングに関しては、入社の事務手続きや、上司・同僚のプロフィール情報の提供、採用担当者とのコミュニケーションまで、一元的に支援するアプリを開発・導入した企業もある。
「もちろん前述のメンター制度のように、こうしたデジタルツールに頼らずにEX を高める施策はたくさんあります。ただ、デジタルネイティブ世代が求める個別性や即時性の高い経験価値を提供するには、デジタルツールの活用なしには難しいでしょう」
さらにEX向上を図るうえでは、人事部門の変革が必要だと土橋氏は語る。
「EX施策は『採用』『労務』『人材開発』といった枠組みでは捉えきれないものが多数ありますし、『時間をかけて完成度の高い制度を設計し、全社一律で導入すべき』という文化になじみにくい面もあります。また、EXの取り組みは制度を整備しただけでは終わりません。ターゲットとする人に対して自社が魅力的な経験を提供できる場所だと効果的に伝えることができるかがタレント獲得の面では重要なポイントとなります。その意味ではマーケティング的な発想も必要となります。EXへの取り組みを契機に、人事部門の役割を『人と組織の専門家』としてゼロベースで見直し、より機動的に施策を立案・実施していくことが求められていくはずです」
土橋隼人氏
PwCコンサルティング合同会社
People & Organization マネージャー
会計系コンサルティングファーム2社を経て現職。
10年以上組織・人事領域のコンサルティングに従事。人材マネジメント戦略策定、人事制度改革、コーポレートガバナンス改革、組織・人事デューデリジェンス、組織・人事統合支援、働き方改革支援などに携わる。近年は、エンプロイー・エクスペリエンスやピープル・アナリティクス領域に注力している。日本人材マネジメント協会(JSHRM)執行役員。