𠮷野聡氏
𠮷野聡産業医事務所代表 新宿ゲートウェイクリニック院長 精神科産業医
2003年、筑波大学医学専門学群卒業、2007年、筑波大学大学院人間総合科学研究科修了。東京都知事部局健康管理医、筑波大学医学医療系助教・付属学校教育局統括産業医などを経て、2012年に𠮷野聡産業医事務所を設立。これまで50社以上の産業医として、メンタルヘルス対策・指導に取り組んできた。著書に『「職場のメンタルヘルス」を強化する』(ダイヤモンド社)など。
メンタルヘルスを経営課題として捉え、ストレスを前向きな力に変えるような組織風土はどのように構築すべきか。マネジメント層が留意すべき点は何か。個人としてはどう対処すべきか。
精神科の産業医として企業のポジティブ・メンタルヘルス対策に取り組む𠮷野聡産業医事務所代表の𠮷野聡氏に聞いた。
メンタルヘルス対策を、生産性の高い職場づくりのための全社的な経営課題として捉えることが大切だと𠮷野聡氏は強調する。
「現状では、多くの企業の対策は、うつなどのメンタル不調を発症してしまった社員への、事後的なケアや再発予防にとどまっています。しかし、よりよい職場環境を醸成することで全社員の生産性を高め、結果的にメンタル不調の予防にもつなげていくという発想を持つことが重要です。
当然ながら、職場や仕事に対してポジティブな気持ちを持っているかどうかで、個人や組織のパフォーマンスは大きく変わってきます。生き生きと前向きに働けている人たちは、そう簡単に病気にはなりません。メンタルヘルス対策は、一部の社員だけを対象とするものではないのです」
業種・職種や会社風土、個々に抱えている仕事などによって、モチベーションやストレスを左右する要因も違ってくる。これをやれば、必ず職場環境が改善するという特効薬はない。
職場のことを最も知っているのは、当事者である社員たち。特に現場の管理職が、産業医などの協力を得つつ、どうしたらよりよい職場環境をつくれるかを真剣に考えることが、メンタルヘルス対策の第一歩であると𠮷野氏は言う。
「社員のメンタル不調の予兆として、勤怠の乱れや情緒の不安定化などが知られていますが、仮にこうした変化が予兆になるとの知識があっても、日頃から管理職が部下一人ひとりと向き合い、対話を重ねていなければ、変化に気づくことはないでしょう。
だから、テクニカルな知識よりも管理職の意識改革が重要です。個人と組織のモチベーション維持・向上が、自分の最重要任務であると、管理職の皆さんに認識していただきたいです」
以上を前提としたうえで、具体的なメンタルヘルス対策のヒントとして、𠮷野氏は「ABC理論」と「SOC」という2つを挙げる。
ABC理論とは、米国の臨床心理学者アルバート・エリスが提唱した理論で、図1のように、ストレス要因とストレス反応の関係性を示したものだ。
例えば、社運をかけた一大プロジェクトの責任者を任された社員が、メンタル不調に陥ってしまうことがある。責任の重さが過大なストレス要因になったと考えられがちだが、同じようなケースでも「上司から頼りにされているから、この仕事を任されたんだ。一生懸命頑張ろう!」と前向きに捉え、結果的にそのプロジェクトを通じて大きく成長する人もいる。
つまり、同じストレス要因が、同じストレス反応をもたらすとは限らない。その人の「B(Belief=感じ方・捉え方)」によって違ってくるのだ。
「B」の感じ方・捉え方次第で、「C」の反応は変わる。
「A」と「C」が1対1で呼応する(怒られたから、落ち込む)ものではない
この理論が示唆するのは、その社員に与える仕事の質・量を軽減したとしても、ストレス反応が変わるとは限らないということ。
「われわれの研究でも、人がうつになるとき、仕事量の多さや難易度の高さなどは、それほど大きな要因ではないことが明らかになっています。
発症に圧倒的に関係するのは、仕事に対する達成感と裁量権です。労働負荷の小さい業務でも、上司の指示通りにこなすだけでやり甲斐を感じられないような仕事では苦痛を感じます。
逆に、たとえ労働負荷が重くても、自分の裁量を発揮でき、その仕事を通じて成長の実感や達成感、自己実現感が得られれば、それほど苦痛は感じません。
この点を意識して、部下が裁量権や達成感を感じられる仕事の任せ方をし、前向きな気持ちにさせてあげることが重要です」
また個人の心構えとしては、できるだけBの部分を固定化させず、さまざまな角度から物事を見るよう心がけることが大切だ。
例えば「上司に怒られた」という出来事に対し、「もう駄目だ」と落ち込むのではなく、「怒られたのは期待されている証だから頑張ろう」と捉えられるかどうか。
あるいは社運をかけたプロジェクトで失敗したとしても、その失敗から学んで成長しようと前向きな気持ちになれるか。
「誰でも認知の傾向や癖はあるので、自分の力だけで考え方の方向性を変えるのは難しいものです。そこで、柔軟な認知を持つためには、さまざまな人と対話することが必要。
人と話すことで、自分の悩みを客観的に整理できるようになったり、違った視点からの考え方を知ることができる。社内はもちろん、家族や友人など、社外の人々とのコミュニケーションも有効です」
一方「SOC(Sense of Coherence=首尾一貫感覚)」とは、大きなストレス負荷があった場合にも、心身の健康を守るためのポイントとなる概念だ。
第2次世界大戦中、ドイツなどの強制収容所で過ごした人々のなかに、その過酷な環境にもかかわらず健康を保ち、平均寿命よりも長生きした人がいた。研究者がその共通点として提唱したのが、SOCである。
図2に示したように、SOCは①有意味感(どんな仕事に対してでも、そこに自分なりの意味を見出す)②把握可能感(未知の仕事でも要素に分解して全体像を把握する)③処理可能感(未知の仕事でも何とかなると楽観的に捉える)の3つの要素で構成される。
「これらは個人がもともと持っている資質や生まれ育った環境などで決まる部分もありますが、意識することで身につけていくことがある程度可能です。
例えば把握可能感が乏しいと、新しいプロジェクトの責任者を任されたような場合に、自分がやるべきことがわからず漠然としたプレッシャーを感じてしまいます。しかし、仕事を要素分解して段取りを組む資質は上司などからアドバイスを得てトレーニングを積み重ねることで習得できるものです」
最近では、瞑想によって集中力を高める「マインドフルネス」の手法を社員研修に取り入れる企業が増えているが、こうした心理的技法もSOCの向上につながるという。
「上司のSOCが高いと部下のSOCも高いという学術研究の報告もあります。部下に対し、仕事の意味づけをして、段取りの組み方を指導し、『何とかなるから大丈夫』などと声掛けすることは、部下のSOCを高め、ストレスを前向きな力に変える組織づくりにつながります」
𠮷野聡氏
𠮷野聡産業医事務所代表 新宿ゲートウェイクリニック院長 精神科産業医
2003年、筑波大学医学専門学群卒業、2007年、筑波大学大学院人間総合科学研究科修了。東京都知事部局健康管理医、筑波大学医学医療系助教・付属学校教育局統括産業医などを経て、2012年に𠮷野聡産業医事務所を設立。これまで50社以上の産業医として、メンタルヘルス対策・指導に取り組んできた。著書に『「職場のメンタルヘルス」を強化する』(ダイヤモンド社)など。