篠原菊紀氏
公立諏訪東京理科大学
情報応用工学科教授
1960年生まれ。東京大学教育学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程等を経て現職、地域連携研究開発機構・医療介護健康工学部門長。専門は脳神経科学、応用健康科学。学習、学び、運動など、日常的な場面での脳活動を調査している。著書に「『すぐにやる脳』に変わる37の習慣」(KADOKAWA)、「もっと! イキイキ脳トレドリル」(NHK出版)ほか多数。
人間の知能は加齢とともに低下する――。そう考えられていたのは一昔前のことだ。
現在の脳機能に関する研究からは、知能は年齢とともに向上するだけでなく、60歳を過ぎてピークを迎える知能があることが解明されており、経験の積み重ねの重要性が注目されている。
脳活動について調査・研究している脳科学者の篠原菊紀教授に、歳を重ねても脳が成長し続けるメカニズムとトレーニング方法について聞いた。
多くの人は、脳機能は年齢とともに衰えていくと思われているようですね。「もの忘れがひどくなった」「頭の回転が鈍くなった気がする」など、自分で実感があるからでしょうね。
しかし、人間の脳は年齢の積み重ねによって知識や経験といった情報が記録されていくので、むしろ知能は伸びていきます。ただ、ある程度の年齢になると、蓄積した知識を取り出すのに時間がかかるようになってくるのです。それは蓄積している量が膨大になったこととも関係しています。
これまで脳の機能には、「流動性知能」と「結晶性知能」という2つの概念があると考えられてきました。流動性知能とは、経験とは無関係の知的能力で、直観力や処理のスピード、暗記力、集中力などをいいます。新しい情報を得て、それを処理し、操作していく知能です。
一方、結晶性知能とは、経験を積むほどに高まる知的能力のこと。言語力や理解力、洞察力、社会適応力、コミュニケーション力といった能力が含まれます。これは積み上げ型で消えてなくなることはありません。
流動性知能は経験に基づかない素質そのものの能力として、IQテストによって測れるものとされてきました。しかし、計算や脳トレのようなトレーニングをすると、IQテストの成績が上がることがわかってきたのです。
つまり、流動性知能を測るテストも経験を重ねればレベルアップが期待できる。すなわち、流動性知能と結晶性知能は明確に分けられるものではないということなのです。脳内は年齢に依存する部分とそれほど依存しない部分が組み合わさっており、そのいずれの部分も経験によって向上するというのが、現代の脳機能に対する見解です。
知能の分野によって、ピークとされる年齢が異なるということはわかっています。IQテストに代表されるような瞬発的な処理能力は18歳頃がピークだとされます。
しかし一方で、社会人になり多くの人と出会う機会が増える30歳頃になると名前を覚える能力がピークを迎えます。ほかにも、仕事での集中力が43歳、相手の表情を読む力は48歳、新しい情報を学び理解する能力が50歳、さらに語彙力などは67歳頃がピークだといわれています(図参照)。
もちろんこうした年齢は平均値にすぎませんが、加齢により経験を積んでいくに従って伸びる能力があることを示しています。
あらゆる能力が経験に依存するという研究結果からすれば、シニアになってからも経験が生かせる仕事をすることは確かに幸せではあると思います。
ただし、社会は加速度的に変化していますから、これまで経験によって蓄積してきた能力がいつまでも使えるかどうかはまた別問題です。
今後AIなどがさらに普及すると、それらを使いこなす能力は欠かせなくなるでしょう。この分野に拒否反応を示すシニアは少なくないように思います。しかし今後、AIもコモディティ化が進み、今よりも手軽に使えるようになりますから、シニア世代も積極的に取り組むことをおすすめしたいですね。新しいことにチャレンジすると脳活動は活性化するので、こうした分野に取り組むこと自体が脳機能の低下予防に役立つことにもなります。
人は、自分の興味がある分野には集中力を発揮できるものなので、年齢によって対応を変える必要はないでしょう。ただし、やる気という側面から見た場合は工夫が必要かもしれません。
やる気に関わる脳内の線条体という場所が、加齢によって発火しづらくなります。発火させるためには、快感という報酬が必要です。人から感謝されたり、世の中から認められたりといった報酬が得られることで、シニアの線条体が活発に発火する。すなわちやる気のスイッチをオンにするような環境づくりは必要かもしれません。
本来、人の脳は領域固有性を持っています。例えば、算数の勉強をしたら算数の成績は良くなりますが、国語の成績まで伸びることはありません。ところが、双方の能力には共通の因子があり、算数のある解き方のメカニズムが国語にも役立つという感覚を持ったことがあるのではないでしょうか。
これを可能にするのがメタ認知で、領域固有性を超える方略なのです。スポーツでいえば、俯瞰して戦況が見られる戦術眼のようなもの。優秀なスポーツ選手が自分の目の前の状況だけでなく、周囲を俯瞰するように把握して動けるのは、まさにメタ認知能力が優れているからですね。
プロ経営者と呼ばれる人たちが、それまで1つの会社の経営で培った能力を異なる業種で適用できるのは、やはりメタ認知能力に優れているからなのです。ですので、普段から「ほかの業界ではどうだろう」というように周囲を俯瞰的に見て、領域固有性を壊す習慣を持つとよいでしょう。
とはいえ、特別なことをしなくても、こうした習慣はマネジメントクラスのビジネスパーソンなら、すでに抽象的なレベルでのメタ認知はできているのではないかと思います。ただし、それを部下に伝えるのに「あのプロジェクトの時のようにがんばれ」というのでは抽象的すぎて伝わりません。
もう一歩掘り下げて、「プロジェクトを進めるにあたって障害になっている交渉や資金調達のプロセスは、あの時の手法が役立つ」といったスキルレベルでのメタ認知を意識することが重要です。このようにメタ認知とはどういうものかを把握したうえで仕事に落とし込む習慣を身につければ、メタ認知能力はいくつになっても鍛えられます。
2019年5月に発表された世界保健機関(WHO)の見解によれば、「有酸素運動や筋トレなどの運動」と「禁煙」が推奨されています。また、健康的な食習慣や脳トレ、肥満や高脂血症、高血圧、糖尿病の防止も効果を認めています。
つまり、知力を維持する習慣は、生活習慣病の防止のための習慣とほぼ共通しています。認知症とは、流動性知能の低下と考えられます。発症してからも働いていくことはできますが、シニアになっても元気に働き続けるためには、少しでも認知機能低下予防を意識した生活に努めてほしいですね。
篠原菊紀氏
公立諏訪東京理科大学
情報応用工学科教授
1960年生まれ。東京大学教育学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程等を経て現職、地域連携研究開発機構・医療介護健康工学部門長。専門は脳神経科学、応用健康科学。学習、学び、運動など、日常的な場面での脳活動を調査している。著書に「『すぐにやる脳』に変わる37の習慣」(KADOKAWA)、「もっと! イキイキ脳トレドリル」(NHK出版)ほか多数。