働き方 仕事の未来 「幸福学」から目指すべき働き方を紐解く

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2019.12.04

2019年4月からの働き方改革関連法施行により、長時間労働の見直し、有給休暇の義務化など制度面での成果は実感できるようになった。
しかしその一方で、労働時間の短縮化によって生まれた時間をどう充実させ、個人の働きがいや企業の生産性向上につなげていくのか、といった取り組みはまだ十分とはいえない。
「仕事の効率化」よりも「働く人の幸せ」が重要であると指摘する慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科の前野隆司教授に、
今後目指すべき働き方改革のあり方について聞いた。

主観的幸福度が高い人は創造性も生産性も高い

多くの企業が働き方改革に積極的に取り組んだ結果、たしかに残業時間は減り、有給休暇取得率は高まったかもしれない。では、働く私たちは幸せになったのか。幸福感を感じて毎日の仕事ができているだろうか。

その点に疑問符を投げかけるのが、「幸福学」研究の第一人者である前野隆司氏だ。

「もちろん過度な残業をなくすことは大切です。人手不足が深刻化するなかで経済成長を維持するには、無駄を省き労働の効率性を高めることも必要でしょう。しかし働き方改革の議論には、人の心の問題がほとんど含まれていませんでした。そのため、企業における改革推進がむしろ従業員たちを心理的に疲弊させてしまっている面が多分にあります。今からでも方向転換すべきです」

「幸福学(Well-Being and HappinessStudy)」とは、人間がどのような条件下で幸福感を感じるのかを追究する、心理学の基礎研究領域の1 つだ。「幸福学の父」とも呼ばれる米国イリノイ大学心理学部名誉教授 エド・ディーナー氏らの研究によると、主観的幸福度の高い人はそうでない人に比べて、創造性は約3倍、生産性は約3割も高いという。

「単に倫理的な意味合いだけでなく、企業のイノベーション創出や生産性向上のためにも、従業員の幸福感を高めることは重要だといえます」

幸せを左右する4因子とは

では、具体的にどのような条件を満たしたときに、人は幸せ感を得ることができるのだろうか。前野氏は幸せの心的特性を詳細に検証するため、1500人の日本人を対象に29項目87個からなる大規模なWEBアンケートを実施。その結果を因子分析したところ、4つの因子が抽出できたという。

「自己肯定感や自己実現感を感じながら、主体的に仕事や趣味に取り組んでいること」(第1因子:やってみよう!因子)、「周囲の人々に感謝し、利他的に振る舞って人に喜ばれていること」(第2因子:ありがとう!因子)、「リスクのあることにも前向きに、楽観的にチャレンジできていること」(第3因子:なんとかなる!因子)、「人の目を気にせず、自分らしさを発揮できていること」(第4因子:ありのままに!因子)――の4つだ(図1参照)。これらを実感できていればいるほど、幸せ感が高まるといえる。

図1 幸せの4つの因子とは

1 やってみよう! 自己肯定感や自己実現感を持ち、主体的に仕事に取り組んでいること 2 ありがとう! 周囲の人に感謝し、利他的に振る舞って人に喜ばれていること 3 なんとかなる! リスクを恐れずに前向きに、楽観的にチャレンジできていること 4 ありのままに! 人の目を気にせず、自分の意思を表明し、自分らしさを発揮できていること:クリックで拡大
1 やってみよう! 自己肯定感や自己実現感を持ち、主体的に仕事に取り組んでいること 2 ありがとう! 周囲の人に感謝し、利他的に振る舞って人に喜ばれていること 3 なんとかなる! リスクを恐れずに前向きに、楽観的にチャレンジできていること 4 ありのままに! 人の目を気にせず、自分の意思を表明し、自分らしさを発揮できていること

「現在の働き方改革は、この4因子を阻害している可能性があります。せっかく時短策を取り入れても、『18時までに帰りなさい』『今週中に必ず有休を取りなさい』などと強く課されると、お仕着せ感・ヤラされ感が強まり、主体的に働く意識が薄れます。また無駄を省こうと、会議や雑談の機会を減らせば、社内のコミュニケーションの質が低下し、従業員同士で感謝したり助け合ったりする風土が損なわれます」

そもそも幸せ感の大半は、人と人との関係性のなかで生まれるものだ。一見無駄に思えても、ちょっとした雑談の際に個人的な悩みを吐露したり、将来の夢を語ったり。あるいは自分の仕事ではないけれど、少し残業して仲間を手伝ったり。これらすべてを無駄と捉えて排除し、関係性を分断してしまうのは好ましくない。幸せの4因子に照らし合わせると、現在の働き方改革の課題が見えてくると前野氏は話す。

幸せ感の大半は、人と人との関係性の中で生まれる

そこで、幸せ感を高める働き方改革のためのヒントを4つの因子ごとに聞いた。

1「やってみよう!」因子
~権限移譲、理念共有が重要

働き方改革により、時短など目先の小さな目標ばかりを課せられると、ヤラされ感につながり、この因子が低下してしまう。自己決定感が感じられるようなマネジメントや組織のあり方が必要だ。

「対応策の1つが、権限移譲と組織のフラット化です。指示・命令だけで部下を動かすのではなく、『君に任せたぞ』『自分が思った通りにやってくれ』と、主体性を引き出すような仕事の差配とマネジメントが好ましいといえます。働き方改革についても、マニュアルやルールで縛ろうとすると従業員の自己決定感を阻害してしまいます。できる限り、従業員主導で改革を進めるとよいでしょう」

一般に、単純作業の仕事ばかりをしていると幸福度が低くなりやすい。しかし、言われた通りにいつも同じ仕事をするというのではなく、日本の自動車業界が製造現場で取り組んできた「カイゼン活動」のように、働く人々の主体性や自己決定感につながるような工夫を取り入れることは可能だ。

もう1つ重要なのが理念の共有だ。自分の目の前にある仕事が、企業理念とどうつながり、社会にどのように貢献できているのか。ここを理解できているか否かで、従業員の主体性が左右され、幸せ感も変わってくる。

「大きなビジョンや目的意識を持って働くほうが、元気が出ますよね。最近では日本でも理念経営が重視されつつあります。幸せ感の向上のためにも、社内での理念浸透にはぜひ力を入れるべきです」

2 「ありがとう!」因子
~コミュニケーションの機会創出を

働き方改革の弊害として、コミュニケーション機会の喪失や人間関係の希薄化が指摘されている。働き手の幸せのためにもこれは好ましくない。

「最近は、職場にプライベートの話題を持ち込むのはよくないと考えられがちです。しかしプライベートも含めて、互いの人間性をある程度理解していないと、信頼関係も支え合う風土も生まれません。従業員同士が内面性を自己開示できる何らかの機会を、会社として確保しておくべきです。

毎朝、従業員全員でオフィスの掃除をしたり、経営者や管理職との昼食会を定期的に行ったり、家族で参加する社内運動会を開催するなど、方法は何でもかまいません」

なお、ハラスメントへの対応にも注意すべき点があると、前野氏は付け加える。

「セクハラやパワハラをなくすべきなのは当然ですが、本来はハラスメントを防ぐためにも、信頼関係を築くことが不可欠。ハラスメントを過度に恐れて、私生活に関する会話を禁じるような取り組みは本末転倒になります」

3 「なんとかなる!」因子
~支えあう風土が挑戦心を育む

物事を前向きに、楽観的に捉え、新しいことにチャレンジできるような心理状態は、幸せ感の向上につながる。

しかし日本人は心配性の傾向が強く、なかなか「なんとかなる!」と思えない国民性がある。

「まず企業においては、失敗を許容し、チャレンジすること自体をプラスに評価するような人事の枠組みが必要でしょう。また互いに支え合い、『失敗しても私がフォローするよ』と言い合えるような社内風土も大切。たとえ心配性だとしても、みんなが支えてくれる安心感があれば、未知の仕事にも踏み出せるようになり、それら全体が従業員の幸福感につながります」

4 「ありのままに!」因子
~言いたいことを言えるコミュニケーションスキルが重要に

イノベーション創出を目指すなら、社内での激しい「知」と「知」のぶつかり合いが欠かせない。たとえ異論や反論があっても、新たな分野に前向きに挑戦していく姿勢は大切だ。しかし日本では、たとえ自分が正しいと思うことでも、人の目を気にしてはっきり言えない人が多い。

「言いたいことが言えない状態がずっと続くのは、まさに不幸なことです。不満がたまるとメンタル不調にもつながりやすい。意見を言うことを躊躇せず、また意見を相手に押しつけずに、互いを尊重し合うコミュニケーションのスキルを『アサーション』といいます。日本では意見の対立を避けたがる人が多いので、こうしたスキルを学ぶ必要があるでしょう」

「職場の笑顔が増えているか?」を働き方改革の指標に

最後に前野氏は、今後の働き方改革の取り組み方についてこうアドバイスする。

「人事部門やマネジメント層の方々には、ぜひ『働き方改革はこれからが本番だ』と考えていただきたい。大切なのは、残業時間などの数値目標を達成することではなく、従業員一人ひとりが本当に笑顔で仕事できているのかどうかです。従業員の幸せや笑顔を判断基準にしたら、働き方改革としてやるべきことはまだまだあるはず。

社内だけを見ていると、新しいアイデアが思い浮かびにくいので、外部に目を向けてほしいですね。例えば、他社の工場見学をしたり、人財交流をしたり。従業員に副業を認めるのも、外部の知見を取り入れる大きな契機になります。

とにかく、働く人が幸せな会社が生産性も創造性も高いのはまぎれもない事実です。このことを念頭に、『従業員が幸せになる働き方改革』をぜひ実践してほしいです」

また働く個人に対しては、「自分は幸せに働けているだろうか」と自問してほしいと前野氏は語る。

「新しい仕事にチャレンジしたいと思えているか。上司や部下に感謝の気持ちを感じているか。失敗してもなんとかなるという安心感はあるか。ありのままの自分で働けているか……。4因子に照らして、自分の働きぶりを振り返ってみてください(図2参照)。

図2 当てはまる項目が多ければ、幸福度は高い

やってみよう因子 □ 1.私は有能である
□ 2.私は社会・組織の要請に応えている
□ 3.私のこれまでの人生は、変化、学習、成長に満ちていた
□ 4.今の自分は「本当になりたかった自分」である
ありがとう因子 □ 5.人の喜ぶ顔が見たい
□ 6.私を大切に思ってくれる人たちがいる
□ 7.私は、人生において感謝することがたくさんある
□ 8.私は日々の生活において、他者に親切にし、手助けしたいと思っている
なんとかなる因子 □ 9.私はものごとが思い通りにいくと思う
□ 10.私は学校や仕事での失敗や不安な感情をあまり引きずらない
□ 11.私は他者との近しい関係を維持することができる
□ 12.自分は人生で多くのことを達成してきた
ありのままに因子 □ 13.私は自分と他者がすることをあまり比較しない
□ 14.私に何ができて何ができないかは外部の制約のせいではない
□ 15.自分自身についての信念はあまり変化しない
□ 16.テレビを見るとき、チャンネルをあまり頻繁に切り替え過ぎない
出所:前野隆司「幸せのメカニズム 実践・幸福学入門」(講談社現代新書)

至らない部分があるなら、見直したほうがいい。自分一人の力で職場を変えるのは難しいと思いがちですが、チーム内だけでもやれることはあるはず。自分のいる風景だけでも笑顔が増えれば、それは幸せにつながります。創造性や生産性も高まり、会社全体に良い影響を与えます。こうして皆さんが、毎週月曜の朝に笑顔で会社に行けるような社会になることが、働き方改革の本当の目指すべき姿なのだと思います」

Profile

前野 隆司氏
慶應義塾大学大学院
システムデザイン・マネジメント研究科 教授

1984年東京工業大学工学部機械工学科卒業、86年東京工業大学理工学研究科機械工学専攻修士課程修了、同年キヤノン株式会社入社、93年博士(工学)学位取得(東京工業大学)、95年慶應義塾大学理工学部専任講師、同教授を経て2008年より同大学院研究科教授。
著書に『感動のメカニズム 心を動かすWork&Lifeのつくり方』(講談社現代新書)、『幸せな職場の経営学~「働きたくてたまらないチーム」の作り方』(小学館)など多数。