菅野 百合氏
西村あさひ法律事務所
パートナー弁護士
2001年京都大学卒業。12年ニューヨーク大学ロースクール卒業。労働法アドバイス・労働争訟・働き方改革対応などの労働法分野に加え、国内およびクロスボーダーの事業再生や倒産案件を専門とする。
著書に『働き方改革とこれからの時代の労働法』(商事法務)がある。
2019年4月に施行された働き方改革関連法。今、見えてきた課題や成果は何か。
改めて法案の目的を振り返りながら、働き方改革の3つの柱を軸に、課題を解決する対策や今後の法整備のあり方について、働き方改革対応の労働法分野に詳しい菅野百合氏に聞いた。
「今までの労働立法と比べ、働き方改革関連法は歴史的に見ても突出した大改正といえます」。こう語るのは、西村あさひ法律事務所でパートナー弁護士を務め、外資・日系・ベンチャーなど幅広い企業の働き方改革の推進を法務の側面から支援する菅野百合氏だ。
「突出した大改正」と菅野氏が評するのは、今までの労働法は労働者保護や社会政策の観点が主だったためだ。今回のように、景気対策や経済政策をここまで政府が強く打ち出しているのは稀有だという。
法改正の背景には、日本が直面している少子高齢化による急速な人手不足という社会課題が横たわる。そして、人手不足の中でも経済力を維持するために必要になってくるのが、①少ない労働力で高い成果を上げる生産性の向上、②今まで労働市場に参入していなかった人たちの労働参加率の向上の2点。「この2つの目標に近づくことが、働き方改革関連法が施行された大きな目的です」と菅野氏は語る。
では、実際に働き方改革関連法は、どのようにこの2つの目標に寄与しているか。施行後半年が過ぎて見えてきた課題や成果について、3つの柱である「同一労働同一賃金の実現」「長時間労働の是正」「多様で柔軟な働き方の実現」(図1参照)を軸に解説する。
①雇用形態に関わらない公正な待遇の確保 |
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②長時間労働の是正 |
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③多様で柔軟な働き方の実現 |
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働き方改革関連法の目玉となるのが「同一労働同一賃金」だ。不合理な待遇差があれば、それを是正する対応を企業側が取らなければならないという法律である。どのような雇用形態を選択しても、納得が得られる処遇を受けられ、多様な働き方を自由に選択できるようにするものだ。
大企業では2020年4月に、中小企業では2021年の4月から施行されるが、いまだに取り組むべきことを模索している企業も多いという。
「現状では同じ仕事をしていても、正規と非正規で賃金差が生じるのは一般的です。でもこれからは、なぜ賃金差が生じるかの説明義務を果たす必要があります。それには企業側が従業員一人ひとりに対し、どんな業務を行い、どのぐらいの貢献度があるかを把握していないと説明はできません」
とはいえ、「正規と非正規のすべての待遇差について合理性を持たせるのは簡単ではありません」と菅野氏。特に多くの企業が頭を抱えているのは、日本企業が正社員に支払っている各種手当の存在だ。同一労働同一賃金制度では、こうした手当についても公平性が求められる。
「実は手当の差が合理的であると説明するのは簡単ではない」という菅野氏。明確に合理的だといえるのは「管理職手当」や「専門技術職手当」など、職務の属性があるから支払われるもの。
仕事に関連する「時間外手当」「精皆勤手当」「通勤手当」は、均等・均衡な待偶が強く求められ、突き詰めると雇用形態で差を設けるのは不合理となる。生活保障に関する「家族手当」「住宅手当」についても、正社員・長期雇用だけでは説明にならず、合理性の検証が必要となる。
菅野氏は、公平性を保つために線引きが難しい手当に関しては、制度は一度見直し、あらかじめ基本給に盛り込むような賃金体系の改定を提案しているという。
同一労働同一賃金には罰則はないが、不合理な待遇差がある場合に是正を図らなければ、訴訟を提起されるリスクを抱えることになると菅野氏は指摘する。
「同一労働同一賃金の推進は、労働条件を引き上げる動きになるため、企業側の負担は少なくありません。さらに制度改革を行う人事や総務担当の人手不足も重大な課題です。
とはいえ、この法案をきっかけとして、各種手当のあり方や賃金体系、人事評価制度の見直しを行えれば、正社員も非正規雇用労働者も、それぞれが達成目標に応じた報酬を与えられるようになるでしょう。それがモチベーションの源泉になり、生産性向上につながる。こうした前向きな取り組みこそが働き方改革本来の目的なのです。
特に、中小企業やサービス業、小売業のように、人財獲得が経営課題となっている業界こそ、同一労働同一賃金に積極的に対応することで、雇用形態に関わらない待偶を図っている会社だというアピールにもつながります」
今回の法改正のなかで「時間外労働の上限規制」に対しては明確な罰則が設けられている。
時間外労働の上限は、原則月45時間・年360時間で、特別な事情があっても720時間を超える労働はできない。さらに、1カ月の上限が100時間未満、複数月の平均の上限が80時間未満であることも定められている。
そのため、企業側は労働時間をタイムリーに管理しなければ、上限規制には対応できない。2020年4月からの施行となる中小企業も、勤怠管理システムを導入するなどすでに労働時間管理を進めている。
「法案をきっかけに労働時間管理の意識が高まっているのはいい傾向です。なぜなら、長時間労働の改善にはまず現状把握が大事だからです」(菅野氏)
一方で、労働時間削減だけを目標にしてはならないと警鐘を鳴らす。「業務の量が変わらないのに従業員の労働時間削減を目指すあまりに、その分が管理監督者や裁量労働制で働く人へのしわ寄せとなっているケースもあるようです。この法案を形骸化させないためにも、各企業が、業務工数を見直したり顧客対応のやり方を変えたりして、生産性向上につながらない業務は見直すなどの工夫が必要でしょう」
3つ目の柱、「多様で柔軟な働き方」が目指しているのは、育児中の女性や高齢者などの労働参加率の向上だ。いわゆる「一億総活躍社会」の実現を後押しする施策で、一人ひとりに合わせた柔軟な働き方の環境整備が求められる。
「今は、マスではなく個の時代です。従来のように残業も転勤もいとわない正社員を前提にした働き方や制度設計を根本から見直す時期になってきています」と菅野氏は語る。
昨今注目しているのは、クラウドワーカーやフリーランス(個人事業主)
などの「雇用によらない働き方」を選ぶ人たちだという。「インターネット経由で仕事を受け、時間や場所の制約を受けずに働く『ギグワーカー』は世界的にも増加傾向にあります。カルフォルニアの州法では、2020年からギグワーカーも労働者と認め、最低賃金や労災補償の給付を受けられるようになる法律が実現に向かっており、日本での今後の議論が注目されます」
欧米諸国では、働きたい人は高額な報酬をもらったうえで好きなだけ働くという選択肢がある。そういう人たちが起業したり、将来のエグゼクティブ候補になっていくことで、経済が活性化しているという一面もある。
「今回の働き方改革を経済政策の一環として捉えるならば、国際競争力の向上という観点が課題になる」と菅野氏。
現行の高度プロフェッショナル制度では、労使委員会の決議と労働者の同意が必要なうえ、年間104日以上の休日確保が義務づけられている点で、「成長意欲が高く、能力を兼ね備えた人たちに向けた柔軟な働き方をどのように確保するのか。経営幹部候補やスタートアップで働く従業員など、働きたい人や働く必要のある人に対してのメニューについても、国際競争力の観点から検討が必要」だという。
ビジネスが多様化している今、業種や企業の成長段階に応じた、横並びではない柔軟な労働法の法改正が求められる時期にきているのかもしれない。
菅野 百合氏
西村あさひ法律事務所
パートナー弁護士
2001年京都大学卒業。12年ニューヨーク大学ロースクール卒業。労働法アドバイス・労働争訟・働き方改革対応などの労働法分野に加え、国内およびクロスボーダーの事業再生や倒産案件を専門とする。
著書に『働き方改革とこれからの時代の労働法』(商事法務)がある。