山田 久氏
日本総合研究所副理事長
京都大学経済学部卒業後、1987年に住友銀行(現・三井住友銀行)入行。経済調査部、日本経済研究センター出向を経て、1993年に日本総合研究所調査部出向。2003年、日本総合研究所調査部経済研究センター所長。2015年、京都大学博士(経済学)。2019年より現職。著書に『同一賃金同一労働の衝撃「働き方改革」のカギを握る新ルール』(日本経済新聞出版社)など多数。
新型コロナウイルス感染拡大の第一波が徐々に収束し、2020年5月上旬から中国や欧米主要国を中心にロックダウン(都市封鎖)措置が段階的に解除されつつある。日本でも緊急事態宣言が解除され、感染拡大を防ぎながら段階的に経済活動の再開を図る「出口戦略」を模索している。
とはいえ仮に感染拡大が収束しても、産業活動や社会生活が完全に元通りになるわけではない。ウイルス感染症のパンデミックによる甚大なリスクが認識された今、「ポストコロナ」の世界では、各国の社会・経済秩序が大きく変化していくと予想される。日本と世界の経済は今後どう推移し、ビジネスのあり方や私たちの働き方は果たしてどう変わるのか。日本総合研究所の副理事長、山田 久氏に聞いた。
2019年12月、中国湖北省武漢市で初めて感染が明らかになった新型コロナウイルスは、瞬く間に世界各国に感染が広がった。感染拡大を防ぐため、各国政府ともに厳しいロックダウン(都市封鎖)や入国制限措置を導入したことから、人とモノの移動が世界的に停滞し、経済に深刻な打撃を与えている。
「人類の歴史を遡っても、1918〜20年に大流行したスペイン風邪(スペインインフルエンザ)以来の、文字通り『100年に一度』の大規模なパンデミック(世界的大流行)です。米労働省が発表した米国の4月の失業率が14.7%と、前月より10ポイント以上悪化するなど、各国の主要経済統計を見てもその経済的なインパクトが極めて大きいことがわかります。リーマンショックをはるかに上回り、世界経済は1920年代に始まった大恐慌に匹敵する危機に見舞われているのです」
リーマンショックの場合、米国のサブプライム住宅ローン問題をきっかけとする金融市場の混乱が、米欧の金融システム不安を引き起こし、世界的な金融危機につながった。危機の震源地は金融市場であり、各国の中央銀行が緊急の金融政策を実施し、金融システム不安を回避した時点で、その後の先行きをある程度見通すことができた。実際、各国政府の積極的な財政出動により、着実に景気を押し上げた。
一方、今回のコロナショックは、各国政府がロックダウンをはじめとする厳しい活動制限措置を実施することで感染拡大には歯止めがかかり、パンデミックによる初期の大きな混乱は収まり始めている。しかしリーマンショックに比べて難しいのは、今後財政出動を一気に増やし、経済活動を再始動させると、第2波、第3波の感染拡大を招いてしまう恐れがあることだ。
「日本でも、緊急事態宣言の解除にあわせて『新しい生活様式』の実践が提言されています。当面は『感染拡大の防止』と『経済の再開』を天秤にかけ、行ったり来たりを繰り返す状態が続く可能性があります。
仮にワクチンが開発されて、世界の主要国にある程度配布が行き渡れば収束すると期待できますが、それには最低1年から1年半はかかるといわれています。あるいは、人口の大部分に感染が広がって免疫を獲得する『集団免疫』と呼ばれる状態まで収束しないとみる専門家もいて、その場合は今後5年程度かかることもあり得ます。
私は『半値戻し経済』と呼んでいるのですが、その間、経済活動の規模はコロナ前を大幅に下回る状態が続くでしょう。企業は固定費があるので、収益が上がらなければ赤字が続く。事業縮小や雇用調整の圧力が長期化することを想定せざるを得ない。それが今回の厳しさであり、リーマンショックと質的に違う点だと捉えています」
山田氏も指摘するように、コロナショックの産業界への影響は部門ごとに異なる。
最も深刻なのは、入国制限措置やロックダウン(都市封鎖)、外出自粛要請などの影響を直接的に受けている航空産業やホテル・旅館、外食産業、個人向けサービスなどだ。また食品などの一部を除き、製造業の多くでは、需要が減退している上に、サプライチェーンの寸断によって生産縮小を余儀なくされ、大きな打撃を受けている。一方、業績好調とまではいえないが、コロナ禍のなかでも需要が続いているのは社会インフラに関係する業種だ。スーパーやコンビニエンスストア、ドラッグストア、金融機関、電力・ガス、医療・介護、宅配業などがこれに当たる。
そんななかで、数は少ないがコロナ禍のなかで急成長している分野もある。世界的な外出自粛とテレワーク要請に伴い、オンライン会議システムをはじめとするコミュニケーションツールや、人事管理システムの需要が伸びているのはその一例である。個人向けにはネット配信動画サービスなども好調だ。デジタルプラットフォームを提供している米GAFAも業績を伸ばしている。
「インバウンドの急激な減少もあり、日本でも航空産業やホテル・旅館、外食産業への影響は甚大です。また日本は製造業のウエートが高く、サプライチェーンが寸断され、貿易量の水準もしばらくは低迷しますから、特に輸出型の製造業は当面深刻な状態が続くと考えられます。一方、デジタル分野は、日本ではまだ成功例は多くはないものの、大きく成長する可能性があります。規模の大小や業種を問わず、デジタル化を進めている企業は厳しい環境下でも徐々に持ち直してくる。デジタル化に出遅れた企業との格差が今後鮮明になるかもしれません」
山田氏によれば、コロナショックに対する政府や企業の今後の対応は「感染拡大阻止」「感染収束と経済回復の両立」「コロナ後の経済復興」という3つのフェーズで捉えることができる。
第1フェーズ 感染拡大阻止 |
第2フェーズ 感染収束と経済回復の両立 |
第3フェーズ コロナ後の経済復興 |
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緊急事態宣言時期とその前後しばらく | 約1年間から数年 | 2〜5年 |
優先的に感染を抑え込む措置をとりつつ、「医療体制整備」「雇用維持・生活」「事業継続」に向けた緊急経済対策で、事業者や労働者への当面の支援を行う。 | 第2、3波への対策として自粛と解除を繰り返しつつ、財政のサポートを受けながらも、民間経済が極力自立的に成長を模索する時期。 | コロナ後の経済・社会構造の転換を進める好機と捉え、デジタル変革を加速して内需主導型の経済回復を目指す。 |
すでに第1フェーズの「感染拡大抑止」は徐々に実現しつつあり、出口戦略が模索されている。この時期は医療機関のキャパシティの範囲内に重症者の発生を抑えることが重要であり、このフェーズはかなり慎重に、経済活動より感染拡大防止を優先して考えていくべき局面だと山田氏は話す。
「経済活動が大きく抑制されれば、企業収益は悪化し、雇用が失われる可能性が高い。そこで政府には思い切った救済措置が求められます。すでに政府は2度の補正予算を組んで経済対策を打ち出していますが、柔軟に内容を見直して効果のある支援をしていくべきです」
足許は「半値戻し経済」のフェーズに入っている。政府の緊急事態宣言は5月に解除されたが、一定程度の新規感染者数が増えれば、宣言が再度発令され、活動制限を強めることになる。実際、一時収束していた韓国では集団感染の再発生が報告されている。活動制限を強めたり弱めたりを繰り返す状態がしばらく続く可能性がある。
「この状態があまりに長く続くと国の財政に大きな負担がかかり、将来的な財政破綻のリスクを高めてしまいます。たとえ今回のウイルス感染症に勝っても、財政破綻してしまえば、国民生活が守れないばかりか、仮に数年後に新たなウイルス感染症が発生したら太刀打ちできない。第2フェーズでは、財政のサポートを受けながらも、民間経済が極力自立的に成長を模索していく必要があります。
すでに小売店等では来店時にマスク着用や手の消毒を求め、店内ではソーシャルディスタンスを確保するといったルールが定着しつつあります。企業側は今後そうしたさまざまなルールを提案し、消費者・生活者側もその遵守に協力して、感染拡大を抑えながら経済を再開していく意識を醸成していく。こうした共生意識の醸成は、日本人は得意なはずで、よい成果が出てくることを期待したいですね」
ワクチンや治療法の確立、集団免疫獲得などにより、新型コロナウイルス感染をほぼ警戒しなくてもよいフェーズに入るが、ここまでの過程で、各国の政府も企業も大きな債務を抱えていく。借金返済を優先する必要性が高まり、各国の経済成長が遅れ、貿易は従来ほど活発ではなくなる。外需に依存した成長は難しくなる。
「この段階で日本に求められるのは内需主導の成長です。すぐに内需型産業を創出できるわけではないので、第2フェーズの間から変革を進めることが必要になります」
最も重要なのは経済活動のデジタル化だ。すでに人同士の接触を避けながら経済活動を継続する手段として、デジタル技術の活用が進んでいるが、コロナ後の内需拡大のためにもデジタル活用は欠かせない。
「わかりやすい例では、自粛要請のなかでネット販売の利用が急激に伸びています。ウイルス感染が収束しても、ネット販売の利用は定着するでしょうが、一方で、リアル店舗におけるヒューマンタッチのコミュニケーションの意義が失われるわけではありません。顧客価値を最大化するようなネットとリアルの新たな関係を、第2フェーズから第3フェーズへの移行期に模索していく必要があります。
すでにデジタル化の必要性は叫ばれていましたが、日本企業の対応は出遅れていました。キャッチアップする大きな契機ともいえます。デジタル化を適切に進めることで、コロナ後の内需拡大を実現し、第3フェーズでの日本の経済成長が高まっていくことを期待しています」
コロナショックのなかで急速に進むデジタル化は、日本の働き方や組織形態にも変革を迫ることになりそうだ。
「テレワークはコロナ後の日本でも定着していくと予想されます。同じ職場で働いていればプロセス評価をしやすかったですが、テレワークが主流になれば、成果を重視した評価にシフトせざるを得ない。日本企業は一種の疑似家族のような関係性を構築してきましたが、今後はより契約的な関係性に移行すると考えられます。
単純にいって、テレワークが増えれば働く側も兼業・副業はしやすくなりますし、企業側も外部の人財を活用しやすくなる。かつて『バーチャルカンパニー』という概念がありましたが、多かれ少なかれ、日本の企業も有機的な人の集まりから、プロジェクト単位の機能的な組織体へとシフトしていく傾向が強くなるでしょう」
プロジェクト型組織への移行が進む中で、企業は今まで以上に強い求心力が求められる。
「経営層・マネジメント層に求められるのは、一つは『価値観の共有』ですね。この企業はどんなビジョンを持ち、社会にどう貢献していくのかを明確に示し、社員たちに浸透させていく。もう一つは、個の成長に着目したマネジメントです。社員一人ひとりのキャリア観に寄り添い、その企業の一員であることが自分にとって長い目で見てプラスだということを『見える化』する。積極的に取り組んでいかなければ社員のコミットメントを引き出すことはできません。
いずれも以前から求められていたことですが、アフターコロナではそれが加速するということです」
もう一つの重要なキーワードとして山田氏が挙げるのが、「エッセンシャルワーカー」だ。人間の生命や暮らしを守る仕事に就く人々のことで、医療関係者はもちろん、食料品店の販売員や物流の配達員、保育・介護の職員、清掃や警備の従事者など幅広い職種を指す。不特定多数の人と接触するため感染リスクは高く、精神的なストレスも多い。しかも一般に労働待遇は低い傾向がある。
「エッセンシャルワーカーの人々は、リスクに直面しながら我々の生活を支えてくれている。なのに待遇が低いのはおかしいのではないかという機運が、自然な感情として広く湧き上がり、エッセンシャルワーカーの評価見直しが求められつつあります」
これまで政府が推進してきた働き方改革の方向性は、図らずもこの流れに合致しているのだと山田氏は指摘する。過度な残業を抑制して労働時間を削減し、同一労働同一賃金によって不当な待遇差を是正していく。
「実際、エッセンシャルワーカーは人手不足で、ボーナスを拡大するなど待遇改善に動いている企業も出ています。所得改善は購買力につながっていくし、コロナ後の新たな内需の基盤を生み出すことにもつながります。
ただし、このような変化は自然に起こるわけではなくて、人々の価値観の変革が必要です。企業の経営者が率先して、サステナビリティのためにエッセンシャルワーカーの待遇改善に取り組むなど、広く社会に対してメッセージを発信していくことが求められるでしょう」
山田 久氏
日本総合研究所副理事長
京都大学経済学部卒業後、1987年に住友銀行(現・三井住友銀行)入行。経済調査部、日本経済研究センター出向を経て、1993年に日本総合研究所調査部出向。2003年、日本総合研究所調査部経済研究センター所長。2015年、京都大学博士(経済学)。2019年より現職。著書に『同一賃金同一労働の衝撃「働き方改革」のカギを握る新ルール』(日本経済新聞出版社)など多数。