巳波弘佳氏
関西学院大学 学長補佐/理工学部 情報科学科 教授/博士(情報学)
1992年東京大学理学部数学科卒業。2000年京都大学博士(情報学)取得。NTT研究所勤務を経て、2002年に関西学院大学専任講師、准教授を経て2012年より同教授。
専門は数理工学、アルゴリズム工学、情報科学、数学。AIの高性能化、リアルなCGの製作、AIドローン制御、新材料開発、ブロックチェーン、インターネット制御、宇宙物理学や化学におけるビッグデータ解析など、数理的な研究から実用化領域まで幅広く手がける。
先端テクノロジーに対応できる人財の不足を踏まえ、日本政府は「AI 戦略2019」を発表。「AI を各分野で応用できる人財を年間25 万人育成する」との目標を掲げ、国内の全大学生がAI の初級レベルの教育を受けられるよう大学に要請した。これを受け、大学では現在どのような教育を行い、どんな人財を産業界に輩出したいと考えているのか。AI 人財育成において先進的な取り組みで注目される関西学院大学の理工学部情報科学科教授・巳波弘佳氏に聞いた。
政府の「AI戦略2019」発表を受け、多くの大学が独自の人財育成講座の開講に動いている。なかでも特徴あるカリキュラムで話題を集めたのが、関西学院大学の「AI 活用人材育成プログラム」である。日本IBM との共同開発により2019年4月から開講しており、深層学習やデータサイエンスのテクニカルな知識はもちろん、経営やビジネスのスキルを身につけ、AI をより実践的に活用できる人財の育成を目指している。
「AI を中心とする技術革新が急速に進み社会構造も大きく変わる中で、将来に向けてふさわしい人財を輩出することは、教育・研究機関である本学にとって急務でした。一方、日本IBMは最先端AI の"Watson" を擁する有力なIT 企業です。本学と同様の問題意識から、人財教育に積極的に取り組んでいました。そこで政府の戦略発表以前の2017年9月から、人財育成や産学連携を含めた包括的な共同プロジェクトを開始。2018年7月には『AI活用人材育成プログラム』の実行計画を発表し、カリキュラム作成に着手しました」
開講までの経緯を巳波弘佳氏はこのように語る。
こうして生まれたのが全10科目からなる教育プログラムで、すべての科目が新たに開発されたオリジナルの内容となっている(図1)。
基礎的なAI リテラシーはもちろん、データサイエンス、機械学習や深層学習に関するプログラミング、Web アプリケーションデザイン、実際に企業等から提供される課題に対しAI を活用してソリューションを提案する発展演習まで網羅している。
いずれも、いわゆる「選択科目」に位置づけられ、履修した学生にはそれぞれ2 単位を付与。10 科目すべて修了すると独自の修了証が与えられる。
最低限のパソコンスキルなどは必要だが、プログラミング言語のような専門的な知識がない初学者でも無理なく受講できるように配慮されている。もともと関西学院大学は「文理横断」の教育・研究を重視しており、このプログラムも文系・理系を問わず、すべての学部学生が履修可能となっている。現状では、文系学生の履修が圧倒的に多いという。
なお、現時点ではあくまで同学の学部生が対象で、社会人向けの講座は行われていない。ただ「企業からの問い合わせは多く、e ラーニングなどの方法で学外に提供していくことは今後の重要な検討課題」と巳波氏は話す。
このプログラムでは、「AI 活用人材」を明確に定義している。巳波氏によれば、一般にAI の普及に必要な人財は「①AI研究開発者」「②AIユーザー」「③AI スペシャリスト」の3つの類型に整理できる(図2)。AI 人財というと一般には①をイメージしがちだ。しかし今後、AI が産業界で広く活用され、課題解決やイノベーション創出などに着実につなげていくには②と③が重要であり、人財需要のボリュームゾーンになると考えられる。
最先端のAI 技術・データサイエンスを研究・開発する
AI 技術・データサイエンスを活用してAI ユーザーの抱える課題に対してソリューションを提供する
AI 技術・データサイエンスを活用したソリューションを用いてビジネス上の課題を解決する
「そこで本学では②と③を『AI 活用人材』の中核と位置づけ、そこに明確にターゲティングした育成プログラムを作成しました。AI に関するテクニカルスキルだけでなく、マーケティングの基本的なフレームワークやユーザーエクスペリエンス(UX)を意識したWebアプリケーションデザイン、ロジカルシンキングなど、ビジネスに欠かせない要素を各科目の随所に盛り込んでいるのもそのためです」
大学教育におけるAI を活用できる人財を育成するうえで重要なのは、「さまざまな専門分野・得意分野を持つ学生たちが横断的に集まり、チームでの課題解決を体験すること」と巳波氏は強調する。
例えば、古文書に書かれた文字を機械学習・深層学習を活用して解析するという研究領域がある。特に日本の崩し字は漢字・ひらがなが混在しているため、世界の古文書解読の中でも難易度が高いという。当然ながら、AI のプログラミングに詳しいだけでは解読はできない。日本語の表記法に詳しい古典文学専攻の学生や研究者がAI の研究開発チームにもっと積極的に加わるようになれば、今までになかったアルゴリズムを生み出し、解読の精度を飛躍的に高められるかもしれない。
このような発想は、AIをビジネス領域で活用していくうえでも不可欠だ。
「福祉関連サービスへのAI 活用は以前から期待されています。例えば、動画解析等の技術を使って、寝たきりの高齢者の方が寝返りを打ってベッドから落下しそうになったり、尿漏れしたりするのを逐次検知して、自動的に看護師を呼び出してくれるシステムは、比較的容易につくることができます。
でも、このようなシステムを高齢者自身がどう感じるか。プライドを傷つけたりしないか。もっと前向きに生き甲斐を感じてもらうためにAIを活用できないか――。あくまでAIをツールとして、世の中にどんな新しい価値を提供できるかという視点こそが重要です」
そうした視点を育むためにも、学部や学科を超えた分野横断的な交流が欠かせない。実際、理工学部と人間福祉学部の学生がチームをつくり、高齢者からのヒアリングを行いながら実験的なAI 福祉プログラムの開発に取り組むといった事例が生まれつつある。
この教育プログラムは初年度から履修申込がたいへん多く定員を超えるほどだったため、2 年目からは定員を大幅に拡大した。
大学教育においてAI 人財の育成が広がるなか、企業側に求められることは何か。「まずもって自社に必要な人財像を明確化していただきたい」と巳波氏は話す。
「今後の事業展開に必要なのはAI 研究者なのか、あるいはAI ユーザーやAI スペシャリストなのか。そこが不明確なまま、実際にはAI ユーザーが必要なのにAI 研究者ばかりを採用してしまうといったミスマッチがすでに起こりつつあります。
人財獲得競争が激化するなか、求める人財像を明確化して適切に発信し、採用につなげていくことが企業の競争力を強化することになるはず。これはAI 人財においてもまったく同様です。
ぜひそれを意識したAI 人財戦略を発信し、採用に反映させてほしい。我々大学側もそうした要請に相応しい人財を輩出していきたいと考えています」
巳波弘佳氏
関西学院大学 学長補佐/理工学部 情報科学科 教授/博士(情報学)
1992年東京大学理学部数学科卒業。2000年京都大学博士(情報学)取得。NTT研究所勤務を経て、2002年に関西学院大学専任講師、准教授を経て2012年より同教授。
専門は数理工学、アルゴリズム工学、情報科学、数学。AIの高性能化、リアルなCGの製作、AIドローン制御、新材料開発、ブロックチェーン、インターネット制御、宇宙物理学や化学におけるビッグデータ解析など、数理的な研究から実用化領域まで幅広く手がける。