仕事の未来 働き方 人間がなくしてはいけない本能は五感を使って気持ちを伝えること

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2020.10.06
人間がなくしてはいけない本能は五感を使って気持ちを伝えること

withコロナにおいて、テレワークが浸透し、コミュニケーション方法も変化しつつある。
オンラインでの業務は効率アップをもたらす一方で、在宅勤務に孤独を感じる人もいる。
動物行動学の観点で見ると、人間は本来、集団のなかで学び生活する性質を持つという。人間の本能を考えたとき、新しい時代のコミュニケーションはどうあるべきか。動物行動学を専門とする、公立鳥取環境大学の小林朋道先生に話を聞いた。

──先生のご専門の“動物行動学”の観点では、動物と人間の違いは何なのでしょうか?

動物行動学では、「人と動物」という分け方で考えることはありません。人も犬もカエルも、すべて対等な個々の存在であるという見方をします。犬には犬の、カエルにはカエルの、それぞれの独自性があります。

そのうえで、人間の独自性とは何なのかというと、私は主に2つあると考えています。1つは、情報処理に関する「階層性」の高さです。例えば、みんな「犬は賢い」と言いますよね。いろいろなことを覚えますし、場合によっては人の言葉を識別できたり、飼い主のどんな動作でドッグフードをもらえるかがわかったりします。しかし犬のこの特性は、「この動作をするからエサがもらえる」というように、因果関係による情報処理です。

これに対して人間は、もう1つ上の次元の情報まで理解できます。例えば、どうやってドッグフードが作られるのか、どんな仕組みでここに運ばれるのかまで考える。これらの情報は動物行動学では「階層性が違う」という言い方をしますが、人間の場合、突出して他の動物より情報処理の階層性が高いと言えます。

スーパーで魚を見たときに、人間はそれがどこでいつ取られたのか、安全なものなのか、あるいはどのように料理をしようか、などと考えますよね。空間的、時間的に広い範囲で、階層性高く因果関係を求めていく。この情報処理能力の積み重ねによって、月に行くといった状況までも作り出すことができるのです。

そして、われわれは処理した情報を記録に残します。昔は口伝えでしたが、今では文字や映像などさまざまな形で情報を残すことができます。そうして知識を共有して他者の知恵と融合させたり、後世に残したりできるのも人間の特性でしょう。

もう1つの独自性が、「協力」です。人間ほど集団を作って生活し、時には解消して新しい集団を作ったり、巧みに集団を変えたり、1人が複数の集団に属したりしながら協力して生きている生物はほかにはいません。協力の基盤となっているのは、「自分と相手は違う思いを持っている」ことを知り、「相手は何を思っているのか」を探ろうとする特性と能力です。

どの生物も、世代を継続する性質がなければ、生き残ることはできません。そのため、生物が持つ能力や性質は、生存・繁殖に有利なように進化していきます。他人の思っていること、望んでいることを読み取ることは集団生活をするうえで非常に重要です。お互いに助け合ったほうが生きやすいですし、1人ではできないことも複数人が集まればできることもあります。3人が知恵を出し合うと、それは3ではなく、5にも10にもなる。そうやってわれわれは集団で生きてきました。人の心を読み取る能力は、生き残るために必要だったために、身につけ、進化させてきたものなのです。

──集団で生きるにはコミュニケーションが欠かせません。人間のコミュニケーションの特徴はありますか?

コミュニケーションは「情報伝達」と訳しますので、誰もがまず「正しい情報を伝達すること」を思い浮かべるでしょう。もちろんそれも大事ですが、もともと能力の起源は、生存に有利なものの表出です。例えば、クジャクは求愛活動のときに尾を広げますが、それが生殖に有利だからです。

それと同じで、情報を相手に伝えるときのひとつの形態が、人間にとっては言語なのです。言葉で「あなたに協力したいです」「敵意はないですよ」と伝える。これを動物行動学では「グルーミング(毛づくろい)」と言ったりします。例えば「今日はいい天気ですね」という世間話もグルーミングです。その内容自体に意味はありません。「私はあなたに対して攻撃的な気持ちはありませんよ」「お近づきになりたいです」と言いたいのです。

一方で、「正しいことを伝える」ことも、人間のコミュニケーションの特性です。こちらは伝える内容に意味を持ちます。狩猟生活の集団は150人以下だと言われていますが、どこにどんな食べ物があるのか、真実を伝えたほうが自分の生存に有利ですよね。

内容そのものには意味のないグルーミングと、生きるために真実を伝えること。われわれの言語によるコミュニケーションは、両方の側面を持っています。

──「喜怒哀楽」の感情も人間特有のものでしょうか。例えば「笑う」ことはほかの動物もありますか?

「感情」という話になると、動物に感情があるのかないのか、簡単に判断することはできません。これは非常に難しく、永遠の問題とも言えます。

「喜怒哀楽」も人間にとって有利な感情に名を付けたものにすぎません。動物によって感情の種類は違いますから、まだわれわれが知らない感情がたくさんあるはずで、それをほかの動物は持っているかもしれません。

喜怒哀楽は人間の生存・繁殖に有利だから生まれてきたのです。例えば怒りは相手の行動を変えさせようとする機能があります。それに対して「笑い」というのは少し複雑です。例えば、「ほほ笑み」と「笑い」は違います。転校生には笑いはあまり出ないけれど、ほほ笑みはたくさん出るという研究結果があります。ほほ笑みは「自分には攻撃の意図はありません」、つまり「宥和」の意味が込められています。

一方で、笑いとなると、攻撃的な場合もあります。「嘲笑」という言葉があるように、これは笑いによって相手を攻撃することです。

そのなかで笑いが持つ明確な機能は、「遊び」の信号です。タコやカメなどいろいろな動物も遊ぶことがわかっています。この「遊び」が実は生物には非常に大事なのです。怒っているときはその感情にとらわれた行動や発想しかできませんが、遊びのときはさまざまな行動や発想ができます。行動のレパートリーが広がったり柔軟性が出てきたりするため、遊びによって生物は成長するのです。

遊びの信号としての笑いとはどんなものかというと、例えば、「いないいないばあ」という遊びがあります。「ばあ」の瞬間に子どもは笑いますよね。「いないいない」で一瞬緊張して、「ばあ」と笑顔を見せることで、「あ、遊びなんだ」と安心して笑いが起こるような仕組みになっているのです。

動物の場合、チンパンジーは笑うことが知られており、笑い顔というのもハッキリわかります。そのため、人間の幼児とチンパンジーの遊びは成立します。笑いの条件は「ハッハッハッ」という呼吸です。これは運動能力を高めるために空気を吸って吐く非常に合理的な方法です。犬もハッハッハッと息をしますよね。人間と似たようなところがあって、そのために人間に飼われた犬は人と一緒に遊ぶことができます。

手段や形が変わっても人は気持ちを伝え続ける

手段や形が変わっても人は気持ちを伝え続ける

──遊びによって成長するということですが、人間が学ぶことの意義とはどんなことでしょうか?

学習も生き物の本能のひとつです。学ぶのは人間だけではありませんが、特に寿命の長い人間は、狩猟採集生活の時代から、生存・繁殖のために学びを繰り返してきました。私たちは学習することによって生き延びていくのです。学習は生きることそのものと言ってもいいでしょう。

問題を解決することに喜びを感じ、達成できたときには「やったー」という快の感情が出てきます。しかし、その学びが終わると満足感がなくなるため、また新しいことに挑み、絶えず学ぶことが必要です。

では、人は何を学んだときに喜びを感じるのか。子どもはスポーツで技術を身につけ、より強くなれたとき、あるいは親から独り立ちしたときに学習意欲が高まります。これもやはり生存の本能に関連しています。

そのため企業の経営者も社員の学習意欲を高めたい場合は、「この資格を取得すれば生きていくことに有利になる」「暮らしが良くなる」など、動機付けに直結することを伝えることが重要です。

―テレワークが浸透して、寂しさを感じる人が増えていると言われています。「孤独」という感情は動物にもあるのでしょうか?

人間に限らず、群れを作って生きている動物は孤独を感じます。人間は群れで生きる典型的な動物です。孤独とは、誰かに会いたい、集団になりたいという行動を引き起こす、あるいはその意欲を作り出す感情のことです。そのため、群れで暮らす社会的な動物が1人になったときは非常に危険です。

例えばヤギは1匹になると非常に不安定になります。メェメェと鳴いて仲間を探し、体調も悪くなります。タヌキも夫婦の絆が非常に強く、2匹のつがいのうち片方が死ぬと、もう1匹は大きなストレスを感じて、場合によっては死んでしまうこともあります。この動物たちが「孤独」という意識を持っているかどうかはわかりませんが、孤独に関連する症状が出ることはわかっています。

集団で生きる人間にとって、孤独は大きなストレスになり得るということですね。テレワークで人とのつながりが減っている今、必要なコミュニケーションはどんなものでしょうか?

──集団で生きる人間にとって、孤独は大きなストレスになり得るということですね。テレワークで人とのつながりが減っている今、必要なコミュニケーションはどんなものでしょうか?

まずは視覚と聴覚を使って、オンラインでもお互いに話すことが大事です。「大丈夫?」「元気?」と、グルーミングのような意味のない会話で構いません。少しでも「自分は1人じゃない」と感じられることが重要だと思います。

ただ、われわれは五感で生きていますから、視覚と聴覚だけではやはり限界があります。映画で危険な場面や悲しいシーンを見たりしたときに感情移入することがありますが、人間は情報処理の階層性が高いために、これは映画であるということは分かっています。同じように、たとえ人と話ができても、「これは画面越しで相手は自分のそばにはいない」「何かあってすぐ駆け付けられる場所にはいない」ということがわかってしまうのです。

アカゲザルの古典的な実験があります。子どものサルに、親ザルの形をした金網の模型で胸の位置から母乳が出るものと、母乳は出ないけれど、アカゲザルと同じ肌感覚のぬいぐるみの2つを与えます。すると、子ザルはお腹がすいたら金網サルのほうで母乳を吸うけれども、すぐに肌感覚が同じぬいぐるみのほうに抱きつきました。この実験からも、やはり肌の接触は非常に大事だとわかります。

生物の本能のなかには、非常に強固で「絶対に外してはいけない」という種類のものと、ある程度変えられるものがあります。これからますますデジタル化が進むなかで、私たちはそれらを見極めなければなりません。

IT社会に緩やかに融合できる本能であれば変えていけばいい。でも、映像と音声だけでは補えない接触感覚や匂いの感覚を伴うコミュニケーションをないがしろにしてはいけないし、本能の部分として大事に残していく必要があります。

今でも、重要なお願いや謝罪、大事な契約のときはオンラインではなく、対面で相手と接しますよね。「あなた方に熱意を持っています」「誠実に対応しています」とどれだけ文字で書いても限界があります。相手の五感に感じさせなければ伝わりにくいです。

その背景にあるのは、「エネルギーを使う」ということです。自分のためにこれだけのエネルギーを使ってくれるのであれば、信頼していいのではないかと相手は思うのです。「申し上げる」「おっしゃる」などの敬語が普通の言葉より長いのは、より多くのエネルギーを使うようにできているからではないでしょうか。

携帯電話のメールが発達したときに、「絵文字」が生まれました。文字だけの情報でも事実を伝えることはできるけれど、「あなたに会いたい」「ごめんね」といった感情までは伝わりません。そのため、文字を補い感情を伝える手段として、人間の表情を表す絵文字が生まれたのでしょう。

IT化が進んでも、こうして人が思いを伝えることは、人間の強い本能の部分なので、何らかの形で残していかなければならないし、きっと若い人たちがどんどん新しい方法を作り出していくのだと思います。

Profile

小林朋道氏
公立鳥取環境大学 環境学部 環境学科 学部長

1958年岡山県生まれ。岡山大学理学部生物学科卒業。京都大学で理学博士取得。岡山県の高等学校教師を経て、2001年鳥取環境大学講師、2005年教授。専門は動物行動学、人間比較行動学。ヒトも含めた哺乳類、鳥類、両生類、爬虫類、魚類などの行動を、動物の生存や繁殖にどのように役立つかという視点から調べてきた。現在は、ヒトと自然の精神的なつながりについての研究や、水辺や森の絶滅危惧動物の保全活動に取り組んでいる。

小林朋道氏