田中研之輔氏
法政大学キャリアデザイン学部教授
一橋大学大学院社会学研究科博士課程を経て、メルボルン大学、カリフォルニア大学バークレー校で客員研究員をつとめる。博士(社会学)。専門はキャリア開発。民間企業の取締役、社外顧問を22社歴任。著書25冊。大学と企業をつなぐ連携プロジェクトも数多く手がけている。著書に『プロティアン』(日経BP)、『ビジトレ』(共著、金 子書房)他多数。
ニューノーマル時代は、従来の日本のキャリア観が大きな見直しを迫られる時代でもある。
そんななかで関心が高まっているのが、自律型・変化対応型のキャリアモデルである「プロティアン・キャリア」だ。
プロティアン・キャリアとは何か。不確実性の高い環境下で、プロティアンな働き方はなぜ有効なのか。
働く個人として具体的にどう取り組めばよいのか。
プロティアン・キャリア論研究の第一人者であり、企業のキャリア研修でも豊富な実績を持つ法政大学キャリアデザイン学部教授・田中研之輔氏に語っていただいた。
「プロティアン・キャリア」とは、米ボストン大学経営大学院のダグラス・ホール教授によって1976年に提唱された概念である。「プロティアン」の語は、ギリシア神話に登場するプロテウス神に由来する。火や水、竜や獅子など、自らの姿を思うがままに変えることのできる変幻自在の神だ。同教授はここから着想を得て、経済・社会環境の変化に応じて柔軟に変わることのできるキャリアモデルを「プロティアン・キャリア」と呼んだ。
転換期にある今の日本の雇用環境において、不可欠な考え方だと田中研之輔氏は話す。
「2021年4月に施行される改正高年齢者雇用安定法により、企業は70歳までの雇用確保を努力義務として求められることとなりました。その一方で最近は、産業界の重鎮たちの間で『もはや終身雇用を続けることはできない』との発言が目立ちます。明らかに日本的雇用は制度疲労を起こしている。『人生100年時代』が到来し、企業の寿命よりも働く側のキャリアが長くなり、企業任せの雇用モデルは維持できなくなったということです。
さらに新型コロナウイルスのパンデミックにより、当たり前の日常が一瞬で破壊的変化を遂げることがあり得ることを私たちは学びました。自分のキャリアの未来について、文字通り自分事として真剣に向き合わなければならないと、誰もが痛感したはずです。
そんななかで、組織でなく個人に着目してキャリアを形成していくプロティアン・キャリアの理念は、これからの生き方・働き方に指針を与える羅針盤になると考えています」
変幻自在なキャリアといっても、単に転職を何度も繰り返せばいいといった意味ではない。プロティアン・キャリアの本質は、キャリア形成を企業任せにせず、キャリアに対してオーナーシップを持ち、自ら育てていく姿勢にある(図1参照)。
これまでのキャリア論
キャリアは1つの組織で
昇進するための“尺度”だった
プロティアン・キャリア論
組織は地面のようなもの
個人の求める場を提供する
図2に示したのは、田中氏が開発したプロティアン・キャリア度を診断するチェックリストだ。チェック項目が12個以上ならプロティアン人財、3個以下であればノンプロティアン人財と診断される。
項目 | チェック | |
---|---|---|
1 | 毎日、新聞を読む | |
2 | 月に2冊以上、本を読む | |
3 | 英語の学習を続けている | |
4 | テクノロジーの変化に関心がある | |
5 | 国内の社会変化に関心がある | |
6 | 海外の社会変化に関心がある | |
7 | 仕事に限らず、新しいことに挑戦している | |
8 | 現状の問題から目を背けない | |
9 | 問題に直面すると、解決するために行動する | |
10 | 決めたことを計画的に実行する | |
11 | 何事も途中で投げ出さず、やり抜く | |
12 | 日頃、複数のプロジェクトに関わっている | |
13 | 定期的に参加する(社外)コミュニティが複数ある | |
14 | 健康意識が高く、定期的に運動している | |
15 | 生活の質を高め、心の幸福を感じる友人がいる | |
合計数 |
ビジネスパーソンの3類型
チェック数
プロティアン・キャリア形成の行動状態
プロティアン人財
12個以上
変幻自在に自分でキャリアを形成し、
変化にも対応できる
セミプロティアン人財
4 ~ 11個
キャリアは形成できているものの、
変化への対応力が弱い
ノンプロティアン人財
3個以下
現状のキャリア維持にとどまり、
変化にも対応できない
出典:プロティアン・キャリア診断「プロティアン」(日経 BP)より
項目を一読すればわかるように、いずれも企業内で求められている一般的なスキルや評価項目とは異なるものだ。この背景にあるのが「キャリア資本」という考え方である。
これまで「キャリア」というと、組織内での昇進や昇格、部署の異動履歴などを指すことが多かった。これらはあくまで組織の尺度で見た『過去の結果』にすぎないと田中氏は言う。
「変化の激しい時代に自律的にキャリアを形成していこうとするなら、組織内での経歴だけでなく、さまざまなライフイベントの中で培ってきた能力を『蓄積していく過程』としてキャリアを捉えるべきです。自分がこれまでの経験の中で何を得てきたのか、蓄積として把握するためのモデルとして提案しているのが『キャリア資本』の考え方です」
田中氏によれば、キャリア資本とは次の3つから成る(図3参照)
まずキャリアを「過程」ではなく「資本」として捉えること。そのうえで、自身のキャリア資本の市場価値を自己分析し、将来のキャリア像を明確にして戦略的に蓄積していくことが重要だ。
実は先ほどの診断表の項目は、1~11の項目がビジネス資本、12~15の項目は社会関係資本に関する内容になっている。
「キャリアを蓄積として捉えること。そして、組織にどう評価されるかではなく、自ら主体的にキャリアを形成し、それを評価していく姿勢が大切です」と田中氏は強調する。
この発想に従えば、仮に望まない部門に異動することになったとしても、その人のキャリア資本が減るわけではない。むしろそこでの新たな経験が、ビジネス資本や社会関係資本につながっているかもしれない。その成果はすぐには表れないが、いずれは経済資本に変わる可能性を秘めているのだ。
キャリアを組織内での評価や異動履歴のことだと思ってきた多くのビジネスパーソンにとって、「キャリア=資本」となかなか捉えられないかもしれない。意識転換が必要だ。
「今回のコロナ禍で、突然テレワークへの対応を求められ、戸惑った方も多かったはず。しかしあのとき、先行きを企業任せにせず、主体的な行動として何をしたのか、自分のキャリア資本を貯めるような行動ができたかが、プロティアン・キャリアの観点では重要です」
キャリア資本の概念を取り入れていくと、女性のキャリアに対する見方も大きく変わってくると田中氏は指摘する。
「キャリア資本は、子育て中に仕事のペースを変えたからといって減るわけではありません。なかなか計画通りにはいかない子育てに日々対応しながら、限られた時間の中で仕事もちゃんとこなしていく。それは複数同時作業のマネジメントスキルといった形でビジネス資本につながっているはずで、実際にそういう調査結果も出ています。それと同時に、働くママ・パパたちのコミュニティなどを通じて、社会関係資本も醸成されていきます。子育てによってキャリアが停滞してしまうというのは、これまでの組織目線のキャリア観にすぎないのです」
プロティアン人財は自走する組織の成長にも欠かせない存在では私たちがプロティアン・キャリアを実装・実践していくには、どうすればいいのだろう。いくつかのポイントを田中氏に聞いた。
「まず認識してほしいのは、キャリア開発は誰でも何歳からでもどこからでも始められるということ。自分は管理職だからキャリア開発なんて必要ないよと言う方が多いのですが、それは全く違います。人生100年時代でありVUCA時代である今、何歳からでも、どの職位からでもキャリア開発を始めるべきです」
キャリアに関する課題は人それぞれで一様ではない。自分のキャリアの課題がどこにあるのかをしっかりと見つめて、最初の小さな一歩を踏み出すことが大事だという。
そこで田中氏が推奨しているのが、「プロティアン瞑想」だ。
「テレワークが普及し、多くの方々が内省的な時間が増えたと思います。そこで簡単なワークとして、1日たった10分でいいので、今後自分は何をしていきたいか、どんなキャリアを積んで社会にどんなインパクトを与えたいか、などを自分に問いかけてみてください。そして、小さなことでいいので、何か具体的な行動に結びつけていく。
プロティアン・キャリア診断のチェック項目を1個ずつ増やしていくのもいいでしょう。行動につながるようにフォーカスするポイントを絞ることが大切です」
プロティアン・キャリアを実践していくうえでは、変化へのアダプタビリティは重要だ。その意味でも「やったことがないことをやってみる」のは重要だと田中氏は言う。
「挑戦するというほど仰々しいものでなくて構いません。難しく考えず行動に移すことが大切です。長年、同じ組織で働き続けていると、新たなキャリア資本が蓄積されないのです。もちろん副業でもいい。外に出て新しい技術やスキルを学んだら、それがビジネス資本や社会関係資本として蓄積され、必ず本業にも生かされていきますから」
もう一つ、田中氏が提案するのが、個人で「キャリア戦略会議」を実践することだ。3カ月後、3年後といった単位で今後自分が取り組むべきミッションを決めて、その達成のために企業では何をするのか、どんなキャリア資本を蓄積していくのかを明らかにしていく。頭で考えるだけでなく、できるだけ言語化・見える化するのが大切だという。
「頭で考えているだけでは、自分に足りないものに気づくことができないものです。自らのキャリア資本を棚卸しして見える化し、足りない部分がわかったら戦略設計をして、行動に移していくことが大切です」
プロティアン人財を増やすことは、経営者にとっても欠かせない最善の策だと田中氏は話す。
「プロティアン・キャリアとは、キャリアを変形し続けるという意味ではなく、キャリアオーナーシップを持って自らをハンドリングしていく生きざまです。プロティアン人財の存在は、組織の成長にとっても確実にプラスに働くはずです。なぜならプロティアン人財は自走する。つまり、自分でキャリア開発をしていくので、組織にとって生産性の高い人財になっていくのです。
そういう経営をしている企業にはますますプロティアン人財も集まってきます。今後企業は、プロティアン経営のできる企業とできない企業に二極化していくはずだと私は考えています」
田中研之輔氏
法政大学キャリアデザイン学部教授
一橋大学大学院社会学研究科博士課程を経て、メルボルン大学、カリフォルニア大学バークレー校で客員研究員をつとめる。博士(社会学)。専門はキャリア開発。民間企業の取締役、社外顧問を22社歴任。著書25冊。大学と企業をつなぐ連携プロジェクトも数多く手がけている。著書に『プロティアン』(日経BP)、『ビジトレ』(共著、金 子書房)他多数。