働く環境の自由度が高まるなか、仕事に対する集中力やモチベーションを維持していくにはどうしたらよいのか。
HR・組織マネジメント、マーケティングなどの分野を主軸に、脳の働きとビジネスとの関係について研究している早稲田大学理工学術院教授の枝川義邦氏に、脳科学の観点から今後目指すべきテレワークやワーケーションのあり方について聞いた。
臓器の一部として考察する自覚しにくい脳の疲労
働き方改革の一環で推進されてきたテレワークは、生産性の向上やワークライフバランスの充実に貢献するものと考えられていた。しかし、実際に経
験した人々の間では、むしろ生産性やモチベーションが低下したという声も多い。この点について、脳科学の観点から分析しているのが、脳の働きと経営・組織との関係に詳しい脳科学者の枝川義邦氏だ。
「そもそも脳は、心臓や胃腸などと同様に人間の臓器の一つです。ハードウエアとしてさまざまな特徴や制約があり、使い方によっては過労状態になって機能が低下し、モチベーションや集中力などにも負の影響を及ぼします。
しかも肉体的な疲労に比べ、脳の疲労は自覚しにくい。臓器としての脳がどんな性質を持っているのかを理解するとともに、その機能を上手に生かせるようにセルフマネジメントすることが、テレワークを充実させるためにも大切です」
脳で疲れやすいのは前頭前野という部分だ。ここが疲労すると情報処理機能が全体的に低下し、うっかりミスや自律神経の乱れが起こる(図1)。
図1
脳のなかで疲れやすい前頭前野
前頭前野は、人が受け取る情報を処理して、さまざまな判断や意思決定を司っている。過剰な情報の処理が疲労につながる。
脳機能への理解を深めセルフマネジメントする
ではテレワークは、われわれの脳の状態にどんな影響を及ぼしているのだろうか。主な要因と対策を聞いた。
要因 1動機づけ要因の希薄化
まず考えられるのが「動機づけ要因の希薄化」だ。オフィス勤務であれば、上司や先輩から対面での直接の目配りや、業務内容への指示、助言をもらえるが、テレワークでは一人ひとりが働く動機となるような要因を、自ら維持していく必要がある。
「モチベーションと関係が深いのが、『報酬系』と呼ばれる脳内の神経ネットワークです。自分が欲しいと思う報酬が手に入りそうだと期待しているときほど報酬系が活発に働き、神経伝達物質の一つであるドーパミンが分泌されやすくなる。この仕組みがうまく機能すると、モチベーションが上がって行動につながりやすく、望んでいた結果が得られます。テレワーク環境でモチベーションが上がらない人は、仕事に対する目的意識や達成目標を明確化するとよいと思います」
できるだけ具体的で実現可能性の高い目標を設定した方が、モチベーションは高まりやすい。大きな目標だけでなく、そこに到達するまでの小・中目
標を設定し、さらに「今日1 日はこの作業をやろう」と、タスクの単位にブレイクダウンできれば、達成感が得やすくなる。目標設定や行動のタスク化を通じてセルフマネジメントすることは、モチベーションを高める脳の使い方として有効ということだ。
要因 2脳に対する刺激の希薄化
自宅で働く場合、居心地の良い環境で仕事できる半面、ごく限られた風景や情報にしか触れないことになる。
「ドーパミンにはもう一点、新しい物事に触れたときに分泌され、その対象に興味がわくようにする働きがあります。逆に同じ刺激ばかりでは、ドーパミンの分泌が減ることで、飽きてモチベーションも低下してしまうのです。自宅にいる場合は、見慣れた風景や情報にしか触れないため、ドーパミンの作用も期待できなくなりがちなのです」
そのため、座る位置を変えたり、カーテンを開けて外の景色を見ながら仕事してみたり、ルームフレグランスを変えてみるなど、自宅の環境にちょっとした変化を与えることが重要である。脳に新たな刺激を与えて活性化しやすくするためだ。脳が活性化すると、やる気も出て達成感も得やすくなるという。
要因 3注意散漫がもたらす脳疲労の状態
逆に、脳に対する刺激が多すぎて、脳が過労状態になってしまうケースもある。
脳内には、「ワーキングメモリ」と呼ばれる情報処理のための認知機構がある。脳のなかにある‟作業台”のイメージだが、このスペースは限られているため、そこに載せる情報の量が増えたり、複雑性が高まったりすると空きスペースが減り、今まで処理できていたはずの情報が処理できなくなってしまう。このような情報の量や複雑さを「認知負荷」と呼ぶ。認知負荷が高いと、単純ミスが起きやすくなり、作業効率も低下する。
「特に、脳はコンピューターと違って、複数の情報群を同時並行で処理できません。テレビをつけっぱなしにしたり、SNSを時々チェックしたり、家事も気にしながら仕事していると、マルチタスクになり、脳はそれらを処理するために、ワーキングメモリ上で何度もタスク処理の切り替えを行うことになります。
これを長く続けると脳過労の状態になり、もの忘れやイライラの原因にもなります。ある程度のところまで脳を働かせたら、ワーキングメモリを解放する工夫が必要です。脳を休ませるという意味で睡眠は大事ですし、瞑想などもワーキングメモリを解放する効果が期待できます」
脳の疲れを回復させるためにも、脳が積極的にタスクを行わない「デフォルトモードネットワーク」優位の状態をつくることが重要だと枝川氏は指摘。
これは何も考えずにぼんやりしているときに働く神経ネットワークで、脳の疲労回復だけでなく、アイデアやひらめきにもつながるという(図2)。
図2
デフォルトモードネットワーク
デフォルトモードネットワークは、脳の内側前頭前野、後帯状皮質、楔前部、下頭頂小葉などから構成される神経ネットワーク。ぼんやりしているときに働くことが最近の研究で明らかにされている。
ワーケーションのように働く環境を変えることも効果的
働きながら休暇をとるワーケーションのように、働く環境を変えることも、脳の活動にとって良い効果が期待できると枝川氏は話す。
「自宅の環境に変化を加えることで脳に刺激を与えるのが重要だと言いましたが、やはり自宅では限界があります。思い切ってリゾート地などに働く環境を移してみることは、普段の気分転換とは違った意義があるでしょう。もちろん都市に比べて不便なことも多いと思いますが、それも脳には良い刺激になります。自然が近くにある環境に身を置けば、いわゆる『ゆらぎ』が良い効果を与えるのです。脳をリラックスさせ、タスクで一杯になった脳内を整理しやすくする効果があります。そもそも海外のバケーション文化に憧れを抱いている人たちにとって、『ワーケーション』という言葉は魅力的ですよね。その期待感が、脳の報酬系を活性化させる効果もあるかもしれません」
一方で、新しい環境に身を置くと、好奇心がかき立てられ、仕事以外のことに気持ちが向かいがちになる可能性もある。その点には注意が必要だと枝
川氏は指摘する。
「新しいものに注意が向きやすいのは脳の基本的な性質ですから、気をつけないと仕事への集中度が下がってしまう恐れがあります。前述のように、しっかり目標設定やタスク管理をしたうえで、『この時間帯は必ずこの部屋で仕事に集中しよう』とあらかじめ決めておくことが、脳科学的にも良いと考えられます。いつもと違う環境で優れた成果を上げるためにも、脳の働きをきちんとセルフマネジメントしていくことが求められるでしょう」
Profile
枝川義邦氏
早稲田大学 理工学術院 教授
東京大学大学院薬学系研究科博士課程修了、博士( 薬学)。早稲田大学ビジネススクール修了(MBA)。早稲田大学スーパーテクノロジーオフィサーの初代認定を受ける。研究分野は、脳神経科学、HR・組織マネジメント、マーケティングなど。2015年ティーチングアワード総長賞。
2017年「睡眠負債」で流行語大賞受賞。主な著書は、『「脳が若い人」と「脳が老ける人」の習慣』『記憶のスイッチ、はいってますか~気ままな脳の生存戦略』『「覚えられる」が習慣になる! 記憶力ドリル』など。