テレワークの普及により、多拠点生活やワーケーションなど働く場所の自由度を高めたワークスタイルが日本でも徐々に広がっている。
働く個人や企業にとってどんな意義やメリットがあるのか。実践していくうえでの留意点は何か。
多拠点生活やフレキシブルな働き方の事情に詳しい山梨大学生命環境学部地域社会システム学科教授の田中敦氏とファースト&タンデムスプリント法律事務所・代表弁護士の藤井総氏に聞いた。
多拠点生活の最大の魅力は知識や経験のインプットが増えること
コロナ禍がもたらした働き方の大きな変化として挙げられるのが、「働く場所の多様化」だ。
テレワークが推奨されるなかで、自宅やサテライトオフィス、コワーキングスペースだけでなく、例えば両親の住む実家を働く拠点の1つにすることで、仕事と介護を両立させている人などは珍しくなくなった。また都心と地方の両方に拠点を置き、平日は都心で仕事に専念しつつ、週末は自然のなかで趣味を楽しんだり、ボランティアとして地元の農業を手伝ったりするといったワークスタイルも、以前に比べて広がっている。これらは「多拠点生活」や「ノマドワーク」などと呼ばれ、自営業者やフリーランスが主な実践者だったが、テレワークの定着により、企業に所属するビジネスパーソンにも可能性が大きく聞かれている。
働き手が多拠点で活動するメリットは多い。まず、帰省先や旅先でも業務を滞らせずに臨機応変に対応できるので、結果的に長期休暇が取得しやすくなり、有給休暇の取得が促進される。また、リゾート地など非日常的な空間で仕事することで、ストレスの軽減やリフレッシュ効果が期待でき、従業員のメンタルが健全であることを求める健康経営の実践につながる。
「インプットの絶対量が増えるのも大きなメリットです」と話すのは、ファースト&タンデムスプリント法律事務所の代表弁護士で、コロナ禍以前から多拠点生活を実践してきた藤井総氏だ。
在宅勤務の場合、通勤時間の苦痛から解放され、居心地の良い自宅でリラックスして仕事できる良さがある。
これに対し藤井氏は「多拠点生活は移動が多く、慣れない環境での仕事になるので、必ずしも効率的な働き方がすぐにできるとは限りません。しかしその一方で、在宅勤務だけでは絶対に得られない経験や刺激、さまざまな人との交流があるのが魅力です。私自身、自分とはまったく違う価値観で働いている海外の現地の人や、現地で働く日本人と出会って、人生観が大きく広がりました。在宅勤務だけでは、無駄が減るとともに知識や経験のインプットも減ってしまう。インプットが増える多拠点生活は、多様性が求められる昨今の価値観を実体験として理解できたり、アイデアの創出につながったり、人生の豊かさを体感できる貴重な体験になります」と語る。
期待される柔軟性の高い働き方 旧来の労働観が足かせに
今後、こうした多拠点型のワークスタイルの普及を後押ししそうなのが、「ワーケーション」の拡大だ。「仕事(work)」と「休暇(vacation)」を組み合わせた造語であり、テレワークを活用して、観光地やリゾート地など通常の職場とは異なる場所で余暇を楽しみながら仕事することを指す。ワーケーションは2015年に『The Wall Street Journal』で紹介された欧米発の概念だが、20年7月に日本政府が観光戦略の一環として推進していくと発表したことから、国内でも広く知られるようになった。20年8月の民間調査によれば、その認知度は72.4%にのぼっている。
しかし、高い話題性の一方で、日本企業での導入はあまり進んでいないのが実情だ。上記調査と同時期に行われた別の調査では、ワーケーション制度を導入済みの企業はわずか7.6%にとどまる。導入予定の企業を加えても10.2%だという。その背景を山梨大学教授の田中敦氏は次のように分析する。
「ワーケーションには、『制度を導入する企業』『利用する個人』『利用を受け入れる地域・行政』『関連する民間事業者』という4つのステークホルダーが存在しますが、現状ではこの4者の足並みがそろっていません。それぞれが思い思いのコンセプトを加えて、多種多様なワーケーションが提唱されるようになっています。その結果、本質的な意義が見えにくくなり、普及が進まない遠因にもなっています」
日本の従来の労働観や企業風土も、ワーケーション普及への足かせになっていると田中氏は話す。日本では長らく、オフィスで長時間働くことを評価する傾向があり、公私混同を慎み、オンとオフをしっかり切り替えるのがビジネスパーソンに求められることとされてきた。これらの価値観は、仕事とプライベートな時間を上手に融合させて相乗効果を生み出すワーケーションの発想には馴染みにくい。
田中氏らの研究グループが実施した「ワーケーションに関する調査(2021年3月)」によれば、会社の制度をあえて利用せず、有休などを活用してワーケーションを実践した人や、会社に制度がないため、勤務先には報告せずに遠方で業務を行った人(隠れワーケーター)が約4割もいたという(図1参照)。
図1
勤め先でのワーケーション制度の導入状況
出典:山梨大学とクロス・マーケティングが実施した
「ワーケーションに関する調査(2021年3月度)」
「現状の職場では、ワーケーションの制度があっても、『自分は今、リゾート地で仕事しています』と公言するのは難しい。まわりの目を気にして、働き手が罪悪感を覚えることが、普及のハードルになっています。ワーケーションの本質的な意義は、テレワークを行う場所の自由度を高め、多様な働き方を認めることで、働き手自らが新たな価値を創造していくことにあります。この点を理解することがまず重要であり、そのうえで、企業が各種制度を整備するとともに、マネジメント層から意識改革を進めることが不可欠です」(田中氏)
働く場所の自由度を一気に高める フレックスプレイス制度
企業が実際に柔軟性の高い働き方を推進する場合、労務管理上の問題がボトルネックとなるケースが多い。企業がワーケーションを制度的に取り入れやすくするために、田中氏が提唱するのが「フレックスプレイス制度」の創設だ。就労時間(タイム)の自由度を高める「フレックスタイム制度」にならって、就労場所(プレイス)に柔軟性を取り入れる発想である。
ワーケーションを社内制度として定義すると、[1]休暇中などの一部の日や時間帯に、[2]会社に申請し承認を得たうえで、[3]通常の勤務地や自宅とは異なる場所で、[4]テレワークなどを活用して仕事をすることとなる。このうち、すでに1、2はコロナ禍に伴って多くの企業で実施可能だ。
「ただし3の働く場所の柔軟性については、ほとんど議論されてきませんでした。そこでフレックスプレイス制度という形で、働く場所を社員が自由に選べる規程やガイドラインを企業が策定・導入することで、ワーケーション実現のためのハードルを大幅に引き下げることができます」(田中氏)
このほかにも、社員の安全性の確保や、情報セキュリティの問題など、実際の運用に当たってはさまざまなルールづくりが必要になる。
「フレックスタイムを導入したからといって、働く時間のすべてが自由になるわけではないように、フレックスプレイスといっても、1年中旅しながら働くわけではないでしょう。厚生労働省は2021年3月に、『テレワークの適切な導入及び実施の推進のためのガイドライン』の改定版を発表し、労務管理のあり方などについても体系的な指針を打ち出しました。これに基づきながら、自社にふさわしいフレックスプレイスの枠組みをつくっていくことが第一歩になります」(田中氏)
多拠点での活動が自律的・創造的な人財を育む
前述のように、場所にとらわれない多様な働き方を尊重し、前向きに受け入れられるような企業風土を醸成していくことは重要だ。そのためにも経営陣やマネジメント層が、ワーケーションや多拠点生活のもたらす意義を認識していく必要があるだろう。
ワーケーションが人財の価値を高める効果や、優秀な人財が外部から集まりやすくなる意義を、企業はもっと重視すべきだと田中氏は強調する。
「私がお手伝いしている静岡県下田市のワーケーションプロジェクトには、東京の会社に勤める若い人たちがたくさん参加しています。あるWebデザイナーは縁あって地元の神社のWebサイトの企画・制作をしたところ、関係者たちにとても喜ばれて、そこからどんどん発展していき、地域の情報発信の仕事を手がけるようになりました。そうして現地の方たちと交流しながら、役に立てるようにと働いているうちに、自己効力感が高まって、本業のクオリティも上がり、東京の会社でもますます活躍できるようになったのです」
これは非常に示唆的なエピソードといえるだろう。社員たちに複数拠点での勤務を促すことは、いわゆる「越境学習」的な効果をもたらし、自律的・創造的な人財を育成することにもつながる。さらに副業(複業)・兼業やオープンイノベーションの議論と同様、外部から知見を取り入れ、新たな価値創造の契機となる可能性を秘めているのだ。地方が求める関係人口の増加というメリットは、流入する側の個人・企業にもメリットをもたらすのである。
「ワーケーションや多拠点生活は、人事制度・労務管理の領域にとどまらず、企業のビジョンや経営戦略につながる重要なテーマです。ビジネスがハイスピードで変わっていくなか、自律的な人財を求めるなら、フレックスプレイスを起点に、企業経営のストーリーを描いていってほしいと思います」と田中氏。
さらに、「ワーケーションの経験者は成長意欲があり、会社への帰属意識も高い。趣味やボランティア活動など、自分がやりたいことに積極的に取り組む姿勢があるから、仕事もライフも充実し、人生全体の満足度が上がると考えられます。働く場所の制約を取り払うことは、多様な経験のチャンスを個人にもたらし、成長の結果は企業に還元されるのです(図2参照)」と語った。
図2
ワーケーション経験者、テレワークのみの経験者、テレワーク非経験者では、
仕事への意欲、自律性、会社への帰属意識に差が出ている
エンゲージメント
■ワーケーション経験者(n=1,000)
■テレワークのみの経験者(n=300)
■テレワーク非経験者(n=300)
ワークエンゲージメント尺度(ユトレヒト・ワーク・エンゲージメント尺度)の算出方法
「活力」「熱意」「没頭」のそれぞれのグループの平均値を3つの属性で比較する
「全くない」0点~「いつも感じる」6点として、下記の3つのグループの平均値を算出
尺度 |
活力 |
- 仕事をしていると、活力がみなぎるように感じる
- 職場では元気が出て精力的になるように感じる
- 朝に目が覚めると、さあ仕事へ行こうという気持ちになる
|
熱意 |
- 仕事に熱心である
- 仕事は、私に活力を与えてくれる
- 自分の仕事に誇りを感じる
|
没頭 |
- 仕事に没頭しているとき、幸せだと感じる
- 私は仕事にのめり込んでいる
- 仕事をしていると、つい夢中になってしまう
|
志向性タイプ
■ワーケーション経験者(n=1,000)
■テレワークのみの経験者(n=300)
■テレワーク非経験者(n=300)
ワーク志向性と満足度
■ワーケーション経験者(n=1,000)
■テレワークのみの経験者(n=300)
■テレワーク非経験者(n=300)
出典:山梨大学とクロス・マーケティングが実施した「ワーケーションに関する調査(2021年3月度)」
Profile
田中敦氏
山梨大学 生命環境学部 地域社会システム学科 教授
JTBに入社後、米国本社企画部、欧州支配人室人事部や首都圏営業本部(総務・人事・労務担当)、本社経営改革部などを経て、2000年に社内ベンチャー制度を活用し、福利厚生アウトソーシング業である(株)JTBベネフィットを起業し30歳代で取締役に就任。その後、JTBグループ本社事業開発室長などを経て、2012年にJTB総合研究所に主席研究員として参画。2016年に山梨大学に観光政策科学特別コースが新設された際に転進。日本経済団体連合会起業創造委員会委員・座長などを歴任、ワーケーション政策を援検討する国土交通省観光庁「新たな旅のスタイルに関する検討員会」委員等歴任。
日本国際観光学会ワーケ―ション研究部会部会長。
藤井総氏
ファースト&タンデムスプリント法律事務所代表弁護士
慶應義塾大学法学部卒業。IT関連企業を中心に、コーポレート、契約書・Webサービスの利用規約、労働問題、債権回収、知的財産、経済特別法、訴訟など、企業法務全般に対応している。業務はチャットを活用し、事務所は丸の内でありながら、全国の顧問先とリアルタイムでのやり取りを可能にしている。コロナ禍以前は、世界中を旅しながらテレワークを実践しており、毎年100日以上を海外で過ごしながら、弁護士業務を遂行していた。「1カ月かけて世界を1周したときも、問題なく働けた」と語る。