同じアジアの国でありながら、日本人にとって距離的にも文化的にも遠い存在であるといえるインド。
およそ10年前、その「遠い国」に移住して、会計事務所を立ち上げたのが田中啓介氏だ。2020年DXコンサルティングなどを手掛ける2つめの会社を設立した田中氏に、インドの人々のキャリア観、企業の組織風土、組織と社員の関係などについて聞いた。
──インドで働き始めた理由をお聞かせください。
面白そうだったから。そのひと言に尽きますね。30歳の頃に海外で英語を使って働きたいと考えて、どの国で働くのがいいか悩んだのですが、インドは「行きたいという人が少ないけれど、ビジネスのチャンスがある国」という点で、圧倒的にチャレンジのしがいがあると思いました。
あえてアジアの国を選んだのは、日本で就職した外資系企業での経験があったからです。その会社では台湾人、中国人、インドネシア人、インド人といった同僚が普通に働いていて、みんな英語でコミュニケーションをとっていました。日常的にはそれでまったく問題ないのですが、ミーティングに英語がネイティブの欧米人が加わると、とたんにコミュニケーションがぎくしゃくするんです。「英語がネイティブでない自分が英語を話している」という意識が出てしまうんですね。
でも、アジア圏の人口は増加しているので、英語を使ってグローバルに活躍するアジア人もどんどん増えていくはずです。そうなれば、英語を使ってコミュニケーションすることが普通になるし、アジアの国々で英語を使ってビジネスをすることも当たり前のことになる。そう考えました。「英語を使って海外で働く」ことと「英語圏の国で働く」ことはイコールではないということです。それがアジアの国で働こうと思った理由です。
──会計士のスキルはどのように生かされると考えましたか。
会計士はたくさんいますが、会計ができて英語ができる人となるとその数はぐっと絞られます。さらに、インドの会計がわかり、かつインドで起業する人となると、かなりレアなキャリアになるはずです。会計を軸にしていろいろな要素を掛け合わせていくことによって、自分の価値を高められる。そんなふうに考えました。
──実際にインドに行ってみて、どのように感じましたか。
居心地の良さをすごく感じましたね。とにかく自由な人が多いんです。他人に迷惑をかけてはならないというのが日本人の感覚ですが、インドでは、他人に迷惑をかけてもいいから、まずは自分のわがままを優先する。その分、他人のわがままを受け入れる。そんな文化が根づいています。
失敗を恐れない「鋼のメンタル」がビジネスのスピードを上げる
──ほかにはどのような文化の違いがありますか。
失敗してもまったくめげない「鋼のメンタル」を持った人が多いですね(笑)。仕事でミスをして上司から叱られても、次の日にはケロッとして、新しいことにチャレンジできてしまいます。これは日本人が見習うべき点だと思います。リスクをどんどんとってアクションを起こして、その結果失敗してもそれを許容する。そんなマインドが根づいているので、ビジネスのスピードが速いんです。何かを始めるまでの準備に時間をかける日本の慣習とは正反対だと感じます。
それから、人生の価値観が日本人とは異なる気がします。インドの人たちにとって何よりの幸せは家族とともに時間を過ごすことで、「家族のために働く」という方針が徹底しています。ちょっとした家族のイベントでも、簡単に仕事を休んだりするんです。
自分の承認欲求が満たされることにもなるわけです。自己実現や社会貢献といったことに対するモチベーションのある人は、日本に比べて少ないように感じます。
相手を理解しようというマインドセット
──インド企業は従業員のエンゲージメントが非常に高いという調査結果もあるようですね。
おそらく、ダイバーシティとインクルージョンの文化が企業組織に根づいているからではないでしょうか。インドは、民族、言語、宗教、所得などが異なる人々によってつくられている国なので、多様性はあらゆる物事の前提となっています。例えばですが、インドの北と南でも特徴が異なっていて、働き方でいうと、北インドは一人で実現したい起業家タイプの人が多く、南インドは組織やチームで働きたい人が多い印象があります。
一緒に働いている人もみんな価値観が異なるのが当たり前で、しっかりコミュニケーションをとって意思疎通をしないと、仕事をうまく進めることはできません。
別の言い方をすれば、相手を理解しようというマインドセットがすべての人にインストールされているということです。それが組織の心理的安全性を生み出し、エンゲージメントを高めているのだと思います。
GoogleのCEOのサンダー・ピチャイは、私の会社がある南インドのチェンナイ出身ですが、彼はまさに「成功するチームにとって必要なのは心理的安全性である」と言っています。私自身、経営者としていかに従業員の心理的安全性を確保するかを日々考えています。
──心理的安全性を確保する具体的な方法をお聞かせください。
インドは上下関係がはっきりした社会なので、社員は経営者に対してすごく萎縮してしまうんです。その壁を取り払うことが大切だと考えています。一緒にインド料理を食べる。社員旅行に家族を招待する。オンラインでチーム対抗のゲームをやる──。そんな工夫をしながら、対等な対話を実現させる努力を日々続けています。
ある日本企業の経営者が、「経営トップはピラミッドの頂点ではなく、車輪の真んなかにいるような存在にならなければならない」といったことをおっしゃっていました。私もまったく同感です。丸い形をした組織の真んなかにいて、誰よりも熱量を持って車輪を回していく。それが経営者の役割なのだと思います。
インドでDXが進んでいる理由とは
──コロナ禍以降はどのような変化がありましたか。
多くの企業でリモートワークが導入されたのは、日本同様コロナ禍に入ってからでしたが、かなりのスピードで定着しましたね。出勤の必要がないことにメリットを感じている人が非常に多いようです。インドはバイクかバス通勤が多いのですが、いつも渋滞しているし、バスが時間通りに来ることはほぼありません。リモートワークは、通勤時間を省くことができて、効率良く働けて、家族との時間を増やせる。そう考えれば、インドの人たちにとってリモートワークの価値は非常に大きいと思います。
──インドは日本よりもDX(デジタルトランスフォーメーション)が進んでいるようです。その要因はどこにあるのでしょうか。
工学系の大学が国内に3000校以上あって、毎年150万人以上の人財を輩出しています。何よりも、その人財力が大きいと思います。その人財力を目当てに、欧米の多くのトップ企業がインドに研究開発拠点をつくり、高額な給料でエンジニアを採用しています。医者や弁護士よりもエンジニアになることが社会的ステータスになっているのが現在のインドです。
もう一つ、インド政府がつくった「インディアスタック」というデジタル基盤が効果を発揮している点も見逃せません。これは、「アダール(Aadhaar)」と呼ばれているインド版マイナンバーをIDとして、いろいろな行政手続きや銀行送金ができるオープンプラットフォームです。特筆すべきは、この仕組みのなかで民間企業も新しいサービスをつくることができる点です。官民協働で全体最適を実現している理想的なDXといっていいと思います。
──2020年新しい会社を立ち上げたとのことです。最後に、その会社のビジョンをお聞かせください。
「変わることにワクワクできる社会を」──。それが会社のビジョンです。英語では「Be the change」と表現しています。自分たち自身が変化を体現することによって、世の中の変化を牽引していく。そんな思いがここには込められています。
私はこれまでの人生で、「世界は思っているよりもずっと広い」ということに気づく体験が何度かありました。初めて海外旅行に行ったとき、初めて外国人上司のもとで働いたとき、新しい分野にチャレンジをしたとき、そして、インドに来てからも、世界の広さをつくづく実感しています。その気づきが自分の変化に結びつき、自分を成長させてくれたと考えています。そのような経験を多くの日系企業の皆さん、日本人の皆さんにも事業を通じてご提供することで、変わることにワクワクできる社会を実現する──。それが新しい会社で私がやりたいことです。
そのビジョンの実現のために、日系企業のインドとの連携におけるプロダクト開発支援、インド人財の活用を前提としたDXコンサルティングを事業の柱として、日系企業のグローバル戦略とDX戦略をトータルでサポートしていきます。インドと日本を結びつけて新しい価値を生み出し、多くの日系企業の皆さんとともに変化を楽しんでいきたいと考えています。
Profile
田中啓介氏
インド在住 米国公認会計士/株式会社INDIGITAL 代表取締役 CEO
京都工芸繊維大学卒業後、税理士法人に就職。米国公認会計士試験合格後の2012年に南インドに移住し、チェンナイの日系会計事務所に勤務する。
2014年にインドに特化した国際会計事務所Global Japan AAP Consulting社を創業。インド進出および現地法人の設立、会計や税務、人事労務、法務に至るまで、現地法人の幅広い経営管理業務を支援。2020年には、日本企業のグローバル展開とデジタルトランスフォーメーションを支援するINDIGITALを新たに創業した。
Global Japan AAP Consulting Pvt. Ltd.
株式会社INDIGITAL