名和高司氏
一橋大学ビジネススクール国際企業戦略研究科 客員教授
東京大学法学部卒業、ハーバード・ビジネス・スクール修士(ベーカースカラー授与)。三菱商事の機械(東京、ニューヨーク)に約10年間勤務。2010年まで、マッキンゼー・アンド・カンパニーのディレクターとして、約20年間、コンサルティングに従事。自動車・製造業分野におけるアジア地域ヘッド、ハイテク・通信分野における日本支社ヘッドを歴任。2010年6月より、一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授に就任。
コロナ禍がもたらした環境変化を、変革の契機として前向きに捉え、組織の生産性や個の成長性につなげていくには何が必要か。ネクストノーマルの時代、働きがいやウェルビーイングのために企業と個人に何が求められるのか。
社会価値と企業価値を両立させる企業変革や、そのためのマネジメント論などに詳しい一橋大学ビジネススクール客員教授の名和高司氏に聞いた。
世界がパンデミックに見舞われて、2年近くが経過した。経済・産業・日常生活に多大なインパクトを与えた一方で、変革の契機として前向きに捉える機運が企業や個人の間で広がっている。
日本の職場や働き方の現状について、名和高司氏は次のように分析する。
「職場のモチベーションの研究で知られる米国の臨床心理学者フレデリック・ハーズバーグは、働き手の『満足』に関わる要因(動機要因)と、『不満足』に関わる要因(衛生要因)を分けて考えるべきだと提唱しています。その論に従えば、多くの日本のビジネスパーソンは今、通勤時間の苦痛や、皆で同じ空間にいながら働くというストレスフルな環境から解放され、不満足につながる『衛生要因』が減った状態だと捉えられます。例えば、仕事と育児・介護の両立に苦労されていた人にとっては、働きやすい環境になったことでしょう。これはもちろん好ましい変化です」
一方で、満足に関わる「動機要因」については課題が残っていると名和氏は指摘する。
「動機要因とは、仕事の意義や働きがい、達成感などを感じながら仕事に取り組めるような、より前向きな要因のことです。若手社員の多くは、まだ仕事に慣れていない段階でリモート勤務になってしまい、動機要因を感じる機会が十分に与えられていません。また、メンバーのクリエイティビティを集約して課題を達成していくタイプの仕事の場合、リモート環境ではチームとしての動機付けを生み出すのが難しく成果をあげにくくなっているでしょう。今後は、新しいスタイルの働き方のなかで、いかに『動機要因』を高めていくかが重要な課題になると思います」
さらに、今後注目が一層高まるであろうテーマとして、名和氏は「ダイバーシティ&インクルージョン(多様性の包摂)」を挙げる。
「以前から性別や年代、人種、文化といった意味での多様性を尊重することは意識されていましたが、コロナ禍を機に『そもそも人間一人ひとりが、多様な個性を持っている』という事実に気づいたと思います。テレワークに移行してみたら、働き方に対する価値観やウェルビーイングに対する考え方が、人によってさまざまだったとわかったのです。今後はそのことを前提に、チームとしての一体感をどう醸成するか、多様な個性をいかにインクルージョンして組織のパフォーマンスに結びつけていくかが、マネジメント上の大きなテーマになっていくはずです」
社員の「動機要因」を高め、多様な個性をインクルージョンしていくうえで欠かせない概念として、名和氏が強調するのが「パーパス」だ。その企業が何のために存在し、社会においてどんな役割を果たすのかという存在意義のことを指す。コロナ禍により社会情勢が激変するなかで、自社の経営戦略や事業展開の指針としてパーパスを重視する企業が日本でも増えている。
ネクストノーマルの時代に向けて、企業は従来の「Mission(使命)・Vision(構想)・Value(理念)」に基づく経営から、「Purpose(志)・Dream(夢)・Belief(信念)」を基軸とした経営にシフトすべきだと名和氏は提唱している(図1)。
マーケット志向を基軸とした「MVV」から、パーパスと自発性を基軸とした「PDB」による経営思想へのシフトが求められる。
「ミッションが外的に与えられた任務を意味するのに対し、パーパスとは内面的・自発的にたどり着いた存在意義であり、志を意味します。志や信念に基づいて、どのような未来を築いていきたいかを明確に打ち出していくことが、社員のモチベーションや主体性を引き出していくためにも、消費者や投資家を引きつけていくためにも、重要になってきます」
そこで、自社のパーパスを明確に定義するためのヒントとして、「パーパスとは、その企業にとっての北極星であるべき」と名和氏は提案している。
「大航海時代に船の位置や針路を見定めるのに北極星が欠かせなかったように、パーパスとは綺麗なお題目を並べることではなく、自社にとっての原動力となるメッセージであるべきです。自社だけが持つ価値を突き詰めていけば、必ず独自の言葉で表せるようになります。『わくわく』『ならでは』『できる』の3要素がパーパスの必要条件といえます。社員をはじめ、すべてのステークホルダーが『わくわく』するか、その企業の『ならでは』が明示されているか、この2つを満たした言葉であれば、自然と『できる』という確信が生まれてくるものです」
パーパスを定義したら、それを社員に「自分ごと化」させていくことも重要だ。実際に名和氏が企業に対し、これらのプロセスを支援していく場合、5年以上の期間を要するのが一般的だという。
「具体的には2つの実践をおすすめしています。1つは『パーパス・ワークショップ』。さまざまな部門や階層の社員を横断的に集めて、ディスカッションやプレゼンテーションを重ねるなかで、皆が納得できるパーパスを探索していく場です。もう一つは、上司と部下との1on1ミーティングの際、自社のパーパスの文言を積極的に対話に取り入れていく『パーパス1on1』です。部下が自分の業務内容やキャリアビジョンなどをパーパスと結びつけて語り、それに対して上司がコメントするようなプロセスです。それらの積み重ねにより、パーパスが少しずつ浸透し、自分ごと化されていくのです」
今後は個人にとってパーパスに加えてパッションが重要になると名和氏は言う。
「稲盛和夫氏は、成功とは『考え方(パーパス)× 未来進行形の能力(ポテンシャル)× 情熱(パッション)』という掛け算で導けると言っています。しかも能力は可変的で、パーパス次第でいくらでも進化するものだと。また、永守重信氏は、『パッションさえあれば能力は伸びる』と語っています。私はこの2人の言葉を合わせて『盛守流成功の方程式』と呼んでいます。つまり、志の高いパーパスと、現状から一歩踏み出す力強いパッションがあれば、成功できるということです。ネクストノーマルの時代を切り拓いていくためのヒントにしてほしいと思います」
稲盛和夫氏と永守重信氏の経営には、「1)「志」から出発していること 2)30年先、50年先といった長期目標を立てるとともに、短期的に結果を出すことにこだわり続けること 3)人の心に火をつけること」という共通点がある。SDGsやサステナビリティに関して意識の高い若い世代も共感する指針だ。
名和高司氏
一橋大学ビジネススクール国際企業戦略研究科 客員教授
東京大学法学部卒業、ハーバード・ビジネス・スクール修士(ベーカースカラー授与)。三菱商事の機械(東京、ニューヨーク)に約10年間勤務。2010年まで、マッキンゼー・アンド・カンパニーのディレクターとして、約20年間、コンサルティングに従事。自動車・製造業分野におけるアジア地域ヘッド、ハイテク・通信分野における日本支社ヘッドを歴任。2010年6月より、一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授に就任。