小川さやか氏
文化人類学者 立命館大学大学院 先端総合学術研究科 教授
1978年愛知県生まれ。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。大学院生だった2001年からタンザニアのフィールドワークを始める。2011年『都市を生きぬくための狡知』(世界思想社)で第33回サントリー学芸賞、2020年『チョンキンマンションのボスは知っている』(春秋社)で第51回大宅壮一ノンフィクション賞と第8回河合隼雄学芸賞をダブル受賞。
大学院生時代からアフリカのタンザニアに通い、行商人の生計実践を調査してきた文化人類学者の小川さやか氏。タンザニア商人たちの柔軟でたくましい働き方にこれからの時代の仕事のあり方のヒントを探る。
――タンザニアには、営業許可を得ていなかったり、税金を納めていなかったりするインフォーマルな働き方で収入を得ている人が多いそうですね。
タンザニアは農業国なので、正確にいえば、最も多いのは農業人口です。都市生活者に限定すると、6割くらいがインフォーマルセクターを主たる現金獲得の手段としているといわれています。
もっとも、何がインフォーマルかという定義は必ずしも明確ではありません。たとえば、露天商の多くは営業許可を取り、税金も納めていますが、そこで雇われている人たちは税金を払っていなかったりします。つまり、露天商そのものがインフォーマルな商売というわけではないということです。また、会社の社員が収入を補填するために、副業としてインフォーマルな仕事をしているケースもあります。
――タンザニアの人々の多くがインフォーマルな働き方を選んでいる理由をお聞かせください。
もちろん正規の雇用機会が十分ではないからですが、不安定な環境を生き抜くための「生計多様化戦略」もあると考えています。1つの職業だけに従事していると、解雇されたり、商売が立ち行かなくなったりした場合に路頭に迷ってしまいます。しかし、複数の仕事を並行して進めていれば、どれか1つがだめになっても、収入がなくなることはありません。そのような生計多様化を実現するには、インフォーマルな仕事を組み合わせるのが一番の早道です。
インフォーマルな仕事の特徴は参入障壁が低いことです。つまり、誰でもできる仕事ということです。たとえば、スーパーで買ってきたタバコを、利益分を乗せて1本ずつばら売りするとか、ある市場で仕入れてきた服を別の市場で売るとか。そうやっていろいろな小商いを組み合わせて、その全体で生計を成立させるわけです。そうしてお金が貯まったら、倉庫を借りて倉庫業を始めたり、車を買ってタクシー業を始めたり、家を買って人に貸して家賃収入を得たりする人もいます。
――となると、本業と副業という概念もないわけですね。
ほぼありません。そのときに一番儲かっている仕事が本業というわけです。
――そのようなスタイルに馴染めない人はいないのでしょうか。
都会に出てきても、商才がなくてうまく仕事が回らなければ、多くの若者は故郷に帰って農業をします。でも多くの人は、小さなチャレンジと小さな失敗を繰り返しながら、徐々にいろいろな仕事を覚えていきます。1つの仕事で大きく稼ごうとはしていないので、大きなしくじりもありません。手取りが減少したら、その仕事はやめて、少しでも稼ぎがいい仕事を見つけて転々としていきます。ローリスク、ローリターンな仕事を積み重ねて、徐々に仕事の規模を大きくしていったり、範囲を広げたりしながら、人脈を広げていく。そのような人が大半だと思います。
――日本で働いている私たちにはなかなか真似のできないワークスタイルですね。
日本では、会社を何らかの事情でやめると、一から職探しをしなければならないし、その過程で落ち込んだり、場合によっては引きこもってしまったりする人もいますよね。タンザニアの場合はインフォーマルエコノミーがあるので、1つの仕事がだめになってもそのつど求職活動をしたり、落ち込んだりしたりせずに済むというメリットがあります。一方、日本の会社のような保証はないし、失業保険もありません。どちらが幸せか、一概にはいえないと思います。
――インフォーマルな働き方を支えているのはデジタルテクノロジーであると著書にお書きになっています。
私がタンザニアでフィールドワークを始めた2000年代初頭は、携帯電話を持っている人はほとんどいませんでした。しかし、まもなく急速に携帯電話が普及して、電子マネーの送金ツールが使えるようになると、スマートフォンが浸透していきます。
今は、SNSのチャットでお客さんから注文を受けたり、商人同士で連絡を取り合ったりしています。仕事の依頼があっても対応できない場合や、注文を受けた商品を入手できない場合などは、スマホですぐに知り合いの商人に連絡を取って支援を頼んだりします。デジタルテクノロジーが、顧客や商売仲間とのマッチングツールとして機能しているわけです。決済にも電子マネーを使うことが増加してきました。
――仕事のデジタル化が急ピッチで進んでいるといえそうですね。
いわゆるリープフロッグ(蛙飛び型)発展ですよね。固定電話がそもそもなく、銀行口座も持てない人が多い中で、蛙が大きくジャンプするように発展のステップを何段階も飛ばして、デジタルテクノロジーが一気に普及したということです。
――タンザニアの人たちには、「Living for Today」「仕事は仕事」という考え方があることも紹介されていますね。
「Living for Today」は、将来に向けてステップアップしていくよりも、今日を生きることを大切にする考え方です。インフォーマルな零細商売は変化が非常に激しいので、未来を見通して仕事や生き方の計画を立てることは困難です。1つの商売が儲かると、そこにみんなが殺到して過当競争になるので、すぐに儲からなくなります。そうなったら、すぐに次の商売を探さなければなりません。先を見通すのではなく、そのつどの状況に柔軟に対応しながら、その日その日を生きる。それが「Living for Today」という考え方です。
実際、このようなビジネス環境で1つの仕事にこだわって、「この仕事が自分の人生を決める」といった思い込みを持ってしまうと、それがだめになったときに迅速に撤退することができなくなってしまいます。だから「仕事は仕事」と割り切って、たとえ今の仕事がうまくいっていたとしても、しょせん仕事だからいずれやめることになると頭の片隅で考えていた方が生存戦略上有利なわけです。
――タンザニアの人たちの働き方や考え方を日本の人たちはどのように参考にしたらよいと思われますか。
想定外の事態が起きたときに、タンザニアの人たちのようにいろいろな仕事のネットワークや人脈を持っていることによって、その事態を乗り越えることができるように思います。日本でもコロナ禍にそうやって対処した人や企業も多かったのではないでしょうか。ネットワークや人脈を広げるには、副業ができる仕組みを広げることも1つの方法です。
もう1つ、「緩い貸し借り」の関係をつくることで、ピンチになったときに助け合うことができる。それもタンザニアの人たちの知恵ですね。彼らの多くは、稼いだお金を貯金せずに、人に投資します。人への投資といっても、人財育成にお金を使うというようなことではありません。支援や贈与という形で人にお金をあげちゃうわけです。
タンザニアの友人たちに「稼いだお金はどこにあるの?」と聞くと、しばしば「友だちのところにある」と返答されます。正確にいうと、友だちが困っているときに援助してあげたということです。援助された友だちの方は借りがあるので、逆にその人が困っているときには援助してあげようということになります。その相互支援の関係がセーフティネットになっているわけです。お金による支援や贈与は難しいとしても、助け合いのネットワークをつくるという考え方は、これからの日本にも求められるようになるのではないでしょうか。
――日本企業では、長らく終身雇用や年功序列のシステムが続いてきました。タンザニアの働き方を研究されてきた立場から、日本型の働き方のモデルをどう捉えていますか。
常々思っているのは、どういうモデルが最適かは業種業態や状況によって異なるということです。複数の仕事に従事してネットワークを広げることでそれぞれの仕事がうまくいくケースもあれば、1つの仕事の専門性をより深めていくことで大きな価値を生み出せるケースもあります。
大切なのは、働き方には多様なモデルがあることを知っておくことです。それぞれのモデルに特徴や合理性があって、そのなかからより良いものを企業や個人が選んでいけばいいのだと思います。日本全体でどのような働き方を選んでいくべきか──。まずはそのような発想法から抜け出ることが必要なのではないでしょうか。
小川さやか氏
文化人類学者 立命館大学大学院 先端総合学術研究科 教授
1978年愛知県生まれ。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。大学院生だった2001年からタンザニアのフィールドワークを始める。2011年『都市を生きぬくための狡知』(世界思想社)で第33回サントリー学芸賞、2020年『チョンキンマンションのボスは知っている』(春秋社)で第51回大宅壮一ノンフィクション賞と第8回河合隼雄学芸賞をダブル受賞。