コロナ禍を機に働き方が多様化し、「自身のキャリアについて、あらためて考えるようになった」「従業員の働き方やエンゲージメントの課題が浮き彫りになった」という声が個人からも企業からも聞かれるようになった。絶え間なく変化にさらされる社会を背景に、個人はどのように仕事に向き合い、企業はそれにどう応えればよいのか。
「個々人のキャリア自律を支えることが組織の活性化を促す」と説く花田光世氏に聞いた。
――キャリア形成に関する考え方の変遷を教えてください。
キャリア自律とは「働く人一人ひとりが自分のキャリア形成に当事者意識を持ち、自己責任で自分のキャリアを開発していく活動」を意味し、1980年代半ばのシリコンバレーで始まった考え方です。次々に新しいものが生まれ、自らも変化していかなければ生き残れないシリコンバレーでは、「企業が社内で従業員を長期にわたって育成し、キャリア形成を支え続けるのは困難。自分のキャリアをどうするのか考えるのは個人の責任」という結論に至りました。
さらには、何が起こるか分からない世のなかにおいて、時間をかけて一つひとつのスキルを向上させるより、想定外のことが起きても対応できる姿勢「プランドハプンスタンス」を身につけることが大事だという考えも生まれました。
日本では長きにわたり、福祉的な意味合いでのキャリア自律支援が行われてきました。カウンセラーが従業員に「何か心配事はないか」といった声をかけ、不安解消を図るといったやり方です。
大きな変わり目となったのが、2016年に施行された改正職業能力開発促進法です。労働者には自分の責任として自身の職業生活の設計と、そのための能力開発を行うことが課せられ、その支援をキャリアコンサルティングで提供することが企業の努力義務となりました。
上司や人事担当者、キャリアコンサルタントが従業員に対し、主体性の向上と組織の活性化を念頭に置いたコンサルティングやキャリア自律支援を行うことが求められるようになったわけです。
加えて、流動化が加速し、自分のこれから先のことは自分で考えたいと志向する人が増え、帰属意識からエンゲージメントに転換する大きな流れのなかで企業に定着してきたと思います。
――キャリア自律という考えは浸透しつつあるものの、必要性の理解は進んでいないように感じます。
2014 年にオックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン氏が発表した論文「10年後になくなる仕事」では、「AI 技術の進化により、日本では労働人口の49%が就いている職業がなくなるか大きく形を変える」とされ、大きな話題になりました。自分が今は何らかの得意分野を持っていて活躍できているとしても、その仕事がなくなるかもしれないし、スキルを持っていても、その陳腐化の進展は早く、5年後くらいには役に立たなくなる可能性もあるわけです。
これらを回避するために、「キャリアコンピタンシー」、すなわち何が起こってもキャリアを開発し続けることのできる力を磨くことが必要です。これは人間力も含めた総合的な力をいいます。スキルは特定のものを指しますが、タレントは個人の持つ総合的な多様な力を指します。どのような状況になってもキャリアを構築できる力としてのキャリアコンピタンシーや、どんな組織に行っても仕事ができるといったエンプロイアビリティを備えたタレントを目指すには、自分にできる会社への貢献を自ら探り、日頃から学んだりさまざまなことにトライしたりして、新しい武器を持つ努力を続ける姿勢が大切になります。
加えて、日本では定年の延長が進み、70 歳までの雇用延長の機会の提供が、2021 年に企業の努力義務となりました。一方、多くの企業ではポストオフが行われています。当事者の意欲が低下するのは想像に難くないですが、心理的報酬を得られる興味ある仕事を自らつくり出す、あるいは副業や兼業に取り組む、培ってきた職業スキルを社会貢献に生かすプロボノを行うといった選択肢があれば、やりがいを持って仕事に臨めます。そのためには先を見通してキャリア自律の準備をしておくことが重要です。
管理職経験者に限らず、標準的な仕事を無難にこなし、「勤め続けられさえすればいい」と考える人は、少なからずいるものです。かつてのシリコンバレーでもそうで、彼らをそのままにした結果、仕事が陳腐化し、新しいものが生まれなくなりました。変化を起こせない企業が競争力を失っていく姿を多くの人が目にしたのです。
――個人にとっても、企業にとっても、競争力の源泉となるのは、個人が変化に対応する力を備えていくキャリア形成にあるのですね。
個人が自律的にキャリアを考えていくことが企業にとっても有益であることは明白です。ただし、個々人が企業に対して自分の総合力を発揮し、組織の活性化に貢献することが重要です。そのため、個人の意欲や開発した能力、得意な領域を、企業の価値創造に結びつける仕組みが不可欠なのです。多くの企業では、意欲を引き出すために、一般的な方策として給与を上げる、ポジションを上げるなどの方法を標準的なスキームとして用意してきました。しかし、一人ひとり異なる個性を発揮してもらうには、一律のモチベーション管理だけでは足りません。社員一人ひとりのモチベーションを開発するキャリア支援が大切です。
人は、自分がやりたいと思っていることを実行でき、自分が大事だと思っている価値観を大切にしてもらえたら、会社に貢献しようという意欲が湧き、エンゲージメントも高まります。そのために企業は、従業員に対してもっと理解を深める必要があります。その人らしさや得意技、強みを上司が気づいて、そういった領域を磨いていきながら、当人のやりたいことを組織の目標とすり合わせていくのです。それをMBO-S(人と仕事をうまく結びつける目標管理制度)という施策として企業は導入しはじめてきました。従業員自らの成長に向けたモチベーション開発と業務目標の達成を調整し、個人の成長と組織の目標達成をつなぎ合わせます。こうすると、個々人の意欲が増し、その結果は組織の活性化に影響し、個人の成長が組織全体の活性化と成長につながるきっかけとなります。そのためにこそ、組織がキャリア自律の支援を行うことが重要となります。
さらに個々人の特性や事情をベースに「合理的配慮」を通して、個々人の多様な要望を組織の制度に組み込むことも重要です。ダイバーシティ&インクルージョンにも通じることですが、個性というベースがあるからこそ、キャリア自律が組織の価値創造につながるのです。
――近年、ジョブ型雇用を採用する企業が増えていますが、キャリア形成において有効なのでしょうか。
ジョブ型は仕事の領域を固定化し、スキルを通して業務を実践していくことにその本質がありますが、これだけでは標準的に仕事を進める域を越えません。それを越えるには、ジョブ型であっても一人ひとりが自己の仕事に対するミッション(自分の存在意義、何のために自分がここにいるのか)を持つことで、ジョブに対する意義・意味を持つことにつながります。そこからキャリア自律に発展させることも可能となります。
――多様な価値観を持つ個人のキャリア自律が、企業の成長に結びつけられるのか、疑問視する声もありそうです。
チームメンバーそれぞれのしたいことを尊重すると、部署内で偏りが出ないかと心配する声もあるかもしれません。しかし、仕事のベースとして職場の協力体制の構築があります。それぞれが本人の特性を生かしながら、協力体制を築くことは、上司の責任でもあり、個人もそれに協力することは仕事遂行の本質でもあります。新しい職場開発・組織開発として、個々人の相互啓発・相互支援を通した職場の活性化を目指すべきです。
たしかに、支援にあたる上司は大変でしょう。難しい場合は、国家資格を持った組織内外のキャリアコンサルタントと協業することも選択肢の一つです。
――個人が生き抜く力を備えるための心構えを教えてください。
知識やスキルを身につけることは必要です。さらに、組織のなかで自分らしさを発揮し、能動的、主体的に自分の環境をつくっていける人は、不確実性の高い世のなかでも生き抜く可能性を高められます。仮に、自分の適性や興味とはまったく違う仕事に当たったとしても、その仕事を自分のものにして、自分らしさを発揮していく。そういった意識を持つ人を強い個人と考えたいと思います。自分を特定の小さな枠にはめ込むことをせず、仕事にチャレンジしていけば、自分でも知らなかったポテンシャルに気づくはずです。それがプランドハプンスタンスです。
Profile
花田光世氏
一般財団法人SFCフォーラム代表理事
慶應義塾大学名誉教授
慶應義塾大学卒業後、南カリフォルニア大学大学院でPh.D.-Distinction取得。産業能率大学教授、同大学国際経営研究所所長、慶應義塾大学総合政策学部教授、SFC研究所キャリア・リソース・ラボラトリー代表を歴任。組織調査研究所を主宰するほか、産業・組織心理学会理事、人材育成学会副会長を務め、民間企業の社外取締役、経営諮問委員会などにも従事。著書に『「働く居場所」の作り方』(日本経済新聞社)、『新ヒューマンキャピタル経営』(共著/日経BP)ほかがある。