宮崎真紀氏
約40年前にベルギーに渡り、日系総合商社の現地法人で営業を5年間経験。その後、ベルギー人男性と結婚。ブリュッセル在住。フードジャーナリストおよび衣食住に関するコーディネーターを務めるほか、食がテーマの生活情報誌「ボナペティ」を刊行する。ベルギー在住の日本人向けに国立料理学校でのフランス料理、フラワーアレンジ、ベルギーボビンレースの教室も主催する。
ヨーロッパ西部に位置するベルギー。九州よりやや小さい国土ながら、公用語が3つもあり、さまざまな民族、文化、考えを持った人々が集まる多様性の国だ。ベルギーワッフルやチョコレート、フリッツ、ビールなどが有名で、美食の国とも呼ばれている。ベルギーの首都ブリュッセルに移住して40年という宮崎真紀さんに、ベルギーにおける働き方や仕事に対する考え方などについて聞いた。
――宮崎さんはベルギーに住んで40年になるそうですね。移住されたきっかけは何ですか。
友人家族がベルギーに住んでいて、遊びに来たのがきっかけです。3カ月で帰る予定でしたが、現地にある日本の総合商社から「働かないか」と声を掛けられて営業を5年務め、その後、夫と出会って結婚しました。気づいたらベルギーで40年が経っていたという感じです。
ベルギーは多様性を受け入れる国で、40年前であっても「東洋人だ」と珍しがられることもなく、とても居心地が良かったのです。結婚後は通訳や翻訳、コーディネーター、またフードジャーナリストとしてベルギーの食文化について雑誌などに寄稿、フランス料理やフラワーアレンジメント、ベルギーの伝統工芸であるボビンレースの教室運営に関わったりしています。
――ベルギーの国としての特徴を教えてください。
多様性はベルギーを象徴する言葉だと思います。オランダに接する北部にはフラマン語(オランダ語)を話すフラマン人、フランスに近い南部にはフランス語を話すワロン人が住んでおり、南北で2つの民族に分かれています。ゲルマン系のフラマン人は質実剛健で保守的、ラテン系のワロン人は明るく開放的で、気質は正反対といえます。
中央にある首都ブリュッセルには南北の人々が住み、首都ではフランス語とフラマン語が公用語です。ドイツに面する東部にはドイツ語を話す小さなコミュニティがあります。異なる言語を話す異なる民族が1つの国を形成しているので、「いろいろな人がいて、さまざまな考え方があるのは当たり前」という意識が根付いています。
したがって、年齢や性別、出自などによる差別や偏見もありません。ベルギー内閣がまさにそのことを象徴しています。2020年10月に今の内閣が発足しましたが、首相は当時44歳の若さでした。副首相はトランスジェンダーで、新設された移民省の長官はイラク難民の父を持つベルギー人です。発足時の大臣の平均年齢は44.05歳で、半数を女性が占めています。
皆がクオリティ・オブ・ライフ(人生の質)の向上を第一に考えている点も、ベルギーの特徴といえます。ベルギーの人は家族との時間をとても大切にしていて、仕事の時間とプライベートの時間を明確に分けています。プライベートの時間を充実させるために家事や育児は夫婦で分担するのも当たり前です。
そういった考えを支えているのが、手厚い社会保障です。たとえば、産後休暇は15週間でほぼ4カ月あり、妊娠中の体調不良にも保障があります。男性も現在、パートナーに子どもが生まれたら15日間休みを取れることになっており、2023年には20日に増える予定です。教育費も、託児所に始まり保育園、小中高、大学に至るまでほぼ無料です。その分、税金が高いのですが、仕事と家庭を両立しやすい環境が整っています。
――ベルギーにおける働き方の特徴はありますか。日本と似ている点はあるのでしょうか。
勤勉で時間を守るところは日本人と似ているかもしれません。ですが、それ以外は大きく異なります。日本では上司の指示のもと仕事をするケースが多いと思いますが、ベルギーでは仕事の進め方は自由で、完全に個人の裁量に任されています。上司はやってほしい業務や実現してほしい目標については指示しますが、プロセスに口を出すことはありません。成果さえ上がればそれでOKなのです。
皆が自分にとって効率的な方法で業務を進めるので、残業はほとんどなく、定時で退社する人が大半です。労働時間は週36時間と定められており、たとえば月曜から木曜は少し長めに働いて、金曜日は午後から休みにしてプライベートの時間を充実させるなど、勤務時間も自分で自由に設計することができます。自律的な働き方といえますね。
かといって、勤務先との関係性が希薄というわけではありません。企業の基本方針は長期雇用であり、働く側も基本的にはそれを望んでいます。
インフレが続くベルギーでは、物価が高騰しています。経済政策の一環として、ベルギー独特のシステムである「給与の物価連動制(インデックス制)」がありますが、2022年は3回ほど物価に合わせて給与が上がったものの、上昇が続くインフレ率をカバーするまでには至っていません。
こういった状況を補うため、各企業とも福利厚生を強化しています。たとえばガソリン代の支給、カンパニーカー(社有車)、スーパーやレストランなどで使える食券の配布、セミナー旅行、誕生日プレゼントなどです。長期雇用の方がこれらの恩恵を受けやすく、仕事内容や環境に不満がなければ長く勤めたいと考える人が多いようです。
――公用語が3つもありますが、ビジネスでのやり取りに不便はないですか。
北部ではフラマン語を話し、南部ではフランス語を話しますが、首都ブリュッセルでは、フラマン語とフランス語の両方が公用で、道路標識や道路名などは両方を併記するのが決まりです。しかし皆がバイリンガルではないので、コミュニケーションに不便さを覚える人は多いと思います。ビジネス上ではこれら2つの言語および英語が話せる人の方が有利とされています。特に大手企業やお役所勤めの方は必須といえます。
フラマン語は英語やドイツ語に近い言語なので、フラマン人の方が英語に堪能です。南部の人はフラマン語や英語はあまり得意ではありません。そのためワロン地方では、教育制度が変わり、小学3年からフラマン語の授業の導入が始まっています。近い将来はワロン人もバイリンガルになると思います。このような状況から、現在はフラマン語とフランス語、英語もできるフラマン人がベルギーの経済をけん引していると感じます。
――ベルギー人の仕事における価値観やキャリアビジョンを教えてください。
ベルギーでは子どもの頃から、自分の意見をはっきり言うように教育されています。学校の授業でも「あなたはどう思う?」と自分の考えを聞かれる場面が多いですし、「自分はこれがやりたい」と意見を言わないと認めてもらえません。したがって、早い段階から自分は何がしたいのか、将来どうなりたいのか、自然に考える習慣ができています。自身の仕事やキャリアについても学生の頃から考え、ビジョンを決めている人が多いです。
一方で、実際に職に就いてから「想像していたものと違った」と違和感を覚えた場合は、切り替えが早いのも特徴だと思います。転職したり学び直したりと、自身が求める環境を手に入れるためにすぐ行動します。「仕事は楽しくないけれど我慢して働く」なんていう人はほぼいませんね。
――ベルギーは男女平等の意識が進んでいるようですが、社会で女性が活躍するシーンは一般的ですか。
ベルギー内閣に代表されるように、ビジネスの場において男女の差を感じることはほとんどありません。最近では、国を代表するような大手企業のトップに女性が就任するケースも増えています。身体的な性だけでなく、セクシュアリティに関する不平等もありません。トランスジェンダーが副首相になったときも、そのことで騒ぎ立てることはまったくありませんでした。皆が当たり前のように受け入れているのです。
ジェンダー平等については、2004年に世界で2番目に同性婚が合法化されたことも影響していると思います。それまでは偏見があったかもしれませんが、これを機にLGBTQを公表する人が増え、社会も受け入れるようになったと感じます。
――ベルギーには「タイムクレジット」という制度があるそうですが、どのようなものですか。
タイムクレジット制度とは、一定の条件を満たす労働者が利用できるベルギーならではの「労働時間短縮制度」です。具体的には、55歳以上で、会社員として25年以上働いた経験がある、現在の勤務先で勤続2年以上などの条件を満たす人であれば、定年まで時短で働くことができます。労働時間は勤務先企業によりますが、多くは従来の4分の3や5分の4程度に短縮することが可能です。
もちろん、その分給与は減額となりますが、この年代になると「そんなにあくせく働かなくてもいい」「プライベートの時間をもっと充実させたい」と考える人が多く、利用者は多いようです。私の知人でも、家庭菜園をするためクレジットを獲得した人がいますし、DIYで家を建てたい、スポーツや旅行に時間を費やしたいなどの理由で申請する人が多いようです。
日本では、収入が減ることで老後の資金を心配する人がいるかもしれませんが、ベルギーは社会保障がしっかりしているので、このような制度が成り立つのかもしれませんね。
宮崎真紀氏
約40年前にベルギーに渡り、日系総合商社の現地法人で営業を5年間経験。その後、ベルギー人男性と結婚。ブリュッセル在住。フードジャーナリストおよび衣食住に関するコーディネーターを務めるほか、食がテーマの生活情報誌「ボナペティ」を刊行する。ベルギー在住の日本人向けに国立料理学校でのフランス料理、フラワーアレンジ、ベルギーボビンレースの教室も主催する。