露木恵美子氏
中央大学大学院戦略経営研究科
(ビジネススクール)研究科長・教授
中央大学大学院文学研究科社会学専攻 博士前期課程修了。北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)知識科学研究科 博士後期課程修了。博士(知識科学)。前川製作所に7年間勤務した後、JAISTに社会人大学院生として入学。2011年中央大学大学院戦略経営研究科に着任。2019年11月より現職。研究テーマは「場と共創」。著書(共著)に、『職場の現象学』(白桃書房)等。
リモートワークが定着し、日本でも働き方の自由度が高まってきた。その一方で、オンラインでのコミュニケーションは意思疎通が図りにくいという新たな課題も浮上している。職場の良好なコミュニケーションを実現し、新しい共創の形を構築するにはどうすればいいのか。
「場と共創」をテーマに研究する中央大学ビジネススクール研究科長の露木恵美子教授に話を聞いた。
コロナ禍で一気に広がったリモートワーク。働き方の自由度が高まり歓迎する声も多い半面、職場内のコミュニケーションに課題を抱える企業も少なくない。こうした状況に対し、コミュニケーションがうまく取れないのは本当にリモートワークが原因なのかと、露木氏は問いかける。
「確かにリモートのコミュニケーションには制約があります。ただ、それ以前は果たしてコミュニケーションがよく取れていたのか?と問いたいのです。もともとうまくいっていなかったコミュニケーション上の課題が顕在化しただけなのでは、という印象があります」
露木氏によれば、コロナ禍以前からコミュニケーションが良好だった職場では、リモートワークになっても特段問題は起きていないことが多いという。この差はどこにあるのか。それを知るには、コミュニケーションの本質について理解する必要がある。
「一般的にコミュニケーションとは言葉のやり取り、すなわち『言語的コミュニケーション』のことだと思われていますが、実はそれだけではありません。人と人との関係性やそこから生まれる感情なども、コミュニケーションにおける重要な要素です。これを『情動的コミュニケーション』といいます」
露木氏は、この情動的コミュニケーションが意思の疎通において強く影響すると指摘する(図1参照)。
コミュニケーションには言語的コミュニケーションと情動的コミュニケーションの2種類があるが、身体で発し、身体で感じる情動的コミュニケーションが「場」においては重要な要素となる。
出典:山口一郎監修、露木恵美子編著、柳田正芳編集
『共に働くことの意味を問い直す ─職場の現象学入門─』(白桃書房)P41の図を基に作成
「情動的コミュニケーションは、身体から発せられ、身体で感じ合うものであり、本人の意図とは関係なく伝わります。例えば、私たちは会議室に入った途端、話し合いが順調か、それとも紛糾しているかを瞬時に察したりします。それは私たちが身体を通じて、五感で情報を受け取っているからです。コミュニケーションは、言葉にならない人と人との関係性や感情も合わせて考える必要があるのです」
そして、こうした言葉にならない感情や人と人との関係性までを含めたものが「場」であると、露木氏は説明する。「場」とは単なる空間ではなく、コミュニケーション上の重要な要素なのだ。
「『場』とは五感を使った感情がまとまりになったものといえます。メンバーが互いに信頼感を持っていれば、人の話す内容はそのまま伝わり、理解を得られます。しかし互いに不信感を抱いていると、言葉を尽くしても届きません。言葉の裏読みや、警戒などが起こるからです。このように、コミュニケーションの良しあしは『場』の状態によって大きく影響されるのです」
「場」の観点から見た場合、コミュニケーションの良しあしを決めるのは、その「場」が「開かれている」かどうかだと露木氏はいう。
「『開かれている』とは、『場』にいる人々の間に信頼関係があり、相手の発言を素直に聞くことができ、実行できる状態のことを指します。反対に、他人をコントロールしようとか優位に立とうとかする人がいると、その思惑が周囲に伝わり、『場』全体が守りに入ってしまうため、コミュニケーションは取りにくくなります」
「場」が開かれたものになるには、「多様性」「心理的安全性」「リーダーシップ」という、3つの要素が必要だと露木氏は説明する(図2参照)。
必要な取り組み姿勢
事象そのものへ集中 |
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傾聴 |
判断停止 (=エポケー) |
「場」が開かれたものになるためには、「多様性」「心理的安全性」「リーダーシップ」の3つが重要になる。具体的には「事象そのものに集中」「傾聴」「判断停止」という取り組みで実践する。
出典:山口一郎監修、露木恵美子編著、柳田正芳編集
『共に働くことの意味を問い直す ─職場の現象学入門─』(白桃書房)P112の図を基に要素を追加・編集して作成
「多様性というと女性や外国人の雇用や登用のことだと思うかもしれませんが、それだけではありません。私は、一人ひとりが持つ多様な個性を受容することも多様性だと考えています。人は誰もが多様な人生を生きており、さまざまな面を併せ持っています。職場では寡黙な上司が、お酒の席では饒舌になるといったことはよくある話ですが、時には別の面を出すなど、一人ひとりが持つ多様な面を受け入れる環境こそが、多様性の本来の意味ではないでしょうか」
では、一人ひとりに職場で個性を発揮してもらうためには、どうすればいいのだろうか。これには「心理的安全性」という要素が関係していると露木氏は指摘する。
「心理的安全性とは、たとえ自分が失敗をしようと、“場違い”な質問をしようと、否定されずに受け入れてもらえると信じられる心理状態のことです。心理的安全性が高まると失敗を恐れなくなるので、一人ひとりが本来の自分らしさ、つまり個性を出せるようになります」
3つ目のリーダーシップとは、「場」が開かれた状態になるような影響力を及ぼすことだと露木氏は説明する。ポイントは、特定の1人のリーダーだけで発揮するのではなく、職場にいるメンバーそれぞれが、個性や強みを生かしたリーダーシップを発揮すること。これにより、多様性のある開かれた「場」になっていくという。
「リーダーも1人の人間ですから、できることには限りがあります。『場』を構成する全員が主役だという自覚が必要です。リーダーだけがオープンな態度で接していても、メンバーのなかに心理的安全性を脅かす人がいると『場』は良くなりません」
これら3つの要素により「場」は次第に開かれていくというが、いくつかカギとなる取り組み姿勢がある。1つは「事象そのものへ集中」だ(図2参照)。
「目の前のやるべきことに集中せよ、ということです。例えば会議であれば必ず議題やテーマがあるので、本来それに集中すればいいわけです。ところが実際の現場では、『誰が話の口火を切るのか』や『不用意に意見をすると嫌なことを押し付けられるかもしれない』など、本題ではないことに注意が向いてしまう。これは『開かれていない場』の典型です」
上司の様子に敏感な職場は多いが、この状態はすでに黄色信号である。本題から外れたことに神経を使う状態から、開かれた「場」にするには、何を実践すればいいのか。その答えは「傾聴」にあると露木氏は指摘する。
「傾聴とは、相手の話を最後まで聴ききること。話を聴いてもらえることで、心理的安全性は高まります。ですが、しっかり傾聴のできる人は、なかなかいません。特に“仕事ができる”管理職ほど苦手です。自身が成功体験を重ねているため、自分の視点から意見や提案をする人が多く、概して人の話をあまり聴きません。本人は聴いているつもりでも、相手は実は聴いてもらえていないと思っています。最終的には、『どうせ話しても聞いてもらえない』『何を言おうと指示に従うしかない』と、対話を諦めてしまいます」
これは思考のクセのようなもので、修正することは簡単ではないが、有効な手立てはあるという。それが「判断停止(=エポケー)」という方法だ。
「判断停止というと頭のなかが真っ白になる思考停止と勘違いしやすいのですが、『一時的に判断を停止する』ことだと考えてください。動画再生の一時停止ボタンを押すイメージで、何かしらの評価や判断を下そうとする頭の思考を止め、『もう少し詳しく教えて』と、相手の言葉の背景の部分まで丁寧に聴きとるのです。これができれば、傾聴もできるようになります」
ただし、傾聴は良い「場」をつくるための単なるテクニックではないと、露木氏はくぎを刺す。
「いい『場』をつくろうという気持ちは、『場』をコントロールしてやろうという作為の気持ちでもあります。安易なテクニックを使うとそれが相手に伝わってしまい、周りは心を閉ざしてしまうのです。『場』は誰かの意図で『つくる』ものではなく、自然に『なる』ものです」
遠回りに見えても、判断停止を伴う傾聴を実践しつつ、自然に「場」が開かれていくのを待つのが肝要だという。やがて各メンバーの心の内に「ここではありのままを受け入れてもらえる」との気持ちが芽生え、心理的安全性が高まっていく。そこでようやく皆が個性を出せる「場」になるのだ。
この段階まで達したとき、ぜひ実践してみてほしいと露木氏が提案するのが、「役割の交換」だ。日本人には、個々の「場」で自分に求められる役割を果たそうとする傾向があるという。そのため多くの職場では、例えばいつも賛成意見を言う人、いつも反対意見を言う人といった具合に役割が固定されてしまい、どんなテーマで議論しても似た役割展開になりがちだという。しかし、職場のなかの役割を意識して替えることで、いつもとは違う議論が期待できるという。
「毎回ポジティブな意見を言う人に、あえてネガティブな発言をしてもらい、反対にネガティブな発言がお決まりな人に、ポジティブな意見を出してもらう。そんなふうに役割を交換することで、これまでとは違う発想が出てくる創造性のある『場』になります」
良いコミュニケーションのある職場とは、単にメンバー同士の仲が良い職場ということではない。それぞれが真剣に議論すれば、意見が対立することもある。
「現代の職場は、新しい価値を生み出すことが常に期待されています。職場のコミュニケーションを良好にするのも、創造性を高めるためといっていいでしょう。そのためには多様な人財がそれぞれの個性を出して、意見を言い合える『場』でなければなりませんし、衝突を避けようとして言いたいことが言えない『場』になってしまったら意味がありません」
開かれた「場」のなかで一人ひとりが主体的に動きはじめることで、誰しも自分1人の力では何一つ達成できないということに気付き、他人への感謝が生まれるものだ、と露木氏はいう。
「新しいことに取り組めば失敗もしますし、傷付くこともあります。しかしそういうときこそ、助けてくれたり、失敗をフォローしてくれるのが、同じ職『場』の仲間です。こうした経験を繰り返すなかで、他人への感謝や信頼が生まれ、苦境への耐性もつきます。何より他人の痛みのわかる人間になる。それこそが仕事を通じた人間の成長です。『場』は、そこにいる一人ひとりを成長させるのです」(図3参照)
開かれた「場」のなかで一人ひとりが主体的に行動するようになることで、人間関係を通したさまざまな経験をし、人間としても成長していく。
日本人は集団で行動することが得意だといわれる。狭い村落共同体のなかで、全員が行動を共にすることで生きてきた長い歴史によって、言葉にしなくても気持ちを通わせ、「場」の空気に合わせた行動ができるようになった。
「日本人は、欧米人のような個の概念への意識が希薄だといわれますが、それは日本人の欠点ということではありません。これは良い悪いの問題ではなく、日本人が持つ特徴なのです。それよりも、日本人が情動的コミュニケーションに長けている点を生かし、一人ひとりが個性を出せる『場』を育むことで、ほかではまねのできない新しいコミュニケーションのあり方が見つかるとよいと思っています」
露木恵美子氏
中央大学大学院戦略経営研究科
(ビジネススクール)研究科長・教授
中央大学大学院文学研究科社会学専攻 博士前期課程修了。北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)知識科学研究科 博士後期課程修了。博士(知識科学)。前川製作所に7年間勤務した後、JAISTに社会人大学院生として入学。2011年中央大学大学院戦略経営研究科に着任。2019年11月より現職。研究テーマは「場と共創」。著書(共著)に、『職場の現象学』(白桃書房)等。