『テルマエ・ロマエ』などの人気漫画作品の作者であるだけでなくエッセイや肖像画なども幅広く手掛ける才人、ヤマザキマリ氏。10代でイタリアに留学し、夫がイタリア人であるヤマザキ氏にイタリア人の働き方や幸福観について聞いた。
終業時間になったら何があっても仕事を終える
――イタリアでも少子高齢化が進んでいるそうですね。
進んでいます。出生率は日本とほぼ横並びの6.8%。どちらも世界207カ国のなかで最下10位内です。と同時に高齢化が顕著なのも日本と同じです。イタリアの出生率の低さの主な原因として挙げられるのは、結婚をしない人の増加の著しさでしょう。経済力がないから独立することも結婚することもできず、親と同居している若者がどんどん増えています。結婚する場合も、最近ではお金のしがらみのない事実婚を選ぶ人が多いですね。子どもを産んで育てるなんていう心のゆとりがどんどんなくなっているのがイタリアの現状なのです。
――働き方改革のような取り組みはあるのでしょうか。
ありますが、成果はあまり出ていません。実際、イタリアはほかのEU諸国と比べても労働生産上昇率は低いですよね。理由は技術普及の遅れや雇用維持を重視する制度などいろいろ挙げられると思うのですが、根本にあるのはやはり労働意識の問題ではないかと感じています。例えばイタリアの人は、終業時間になるとまだやることが残っていても、仕事を続けません。もちろんミラノのような経済が動いている大都市ではそうとも言い切れませんし、個人差もあるとは思うのですが、基本的には土日もサービス業や医療従事者など特殊な仕事に携わっている人以外は働きません。残業代が出るとしても、自分の時間はお金には代えられないという徹底した意識がある。自分は仕事のためだけに生きているわけではない、という労働観が染み込んでいるように思います。そんなイタリア人からしてみると、日本人の多くは仕事に依存しながら生きている人種のように捉えられてしまうでしょう。私の夫もイタリア人ですが、しょっちゅう漫画や文筆などの原稿の締め切りを抱えて生きている私をワーカホリックだと言います。漫画という仕事は作業時間の選り好みはできないのだと答えても、その言い訳も仕事依存の表れだろう、と言うわけです。義母からは息子に悪影響を与えるので、息子の前では漫画の作業をしないでほしいと頼まれました。
実写版『テルマエ・ロマエ』がローマのチネチッタで撮影されたのは2011年の3月のことでしたが、イタリア人のエキストラが1000人ほど参加していたあの撮影でプロデューサーが懸念していたのは彼らの労働時間の問題でした。イタリアの労働基準法によりエキストラの拘束時間は確か8時間と決まっていて、超過労働は許されません。それを超えると厄介なことになってしまいます。どんなに撮り残しがあろうと、午後6時になると撮影は終了。それがイタリア式ワークスタイルの基準です。日本の製作チームはそのやり方に従うしかありませんでした。
もっとも、イタリア人のなかにも働いてばかりの人がいないわけではありません。例えばバイクのエンジニアをしている私の義父は75歳になった今でも仕事場にずっとこもって、時間に関係なく昼夜仕事をしています。それが理由で何度離婚の危機と向き合ってきたことか知りません。夫が私の働き方に納得がいかないのは、自分の父親やそれに苦悩する母親を見続けてきたせいもあるのでしょう。結婚当初、義父が妻から付けられたあだなは「日本人」だったそうです(笑)。
――逆に、働き方の点で日本人がイタリア人に見習うべき点はありますか。
最近ではマイノリティになったとはいえ、南部などに行けば昼寝を必須としているイタリア人は今もいます。15分でもいいから、いったん体も頭も休ませる。そうすると頭が冴えて、午後からの仕事の稼働率が上がるそうです。疲れを感じたら思い切って体を休ませたほうが、その後仕事の稼働率が上がるというのは私にもよくわかります。高校の教諭をしている夫も、午後に帰ってくると必ず30分ほど寝ています。私の場合は仕事に疲れたらお風呂に入るようにしていますが、それまで蓄積した老廃物をいったんお風呂で洗い流してからの方が、その後に効率よく働けるようになる気がするんです。1日のなかに適度な区切りを入れることは、働き方の一つのコツだと思います。
「好きな仕事」よりも「自分に合っている仕事」を
――働き方に関して、夫婦間で齟齬が生じたりすることはありますか。
イタリアにいるときは朝5時くらいに起きて漫画や書き物の仕事を始めています。夫は8時くらいに起きてくるのですが、そのときに私が仕事をしていると、「これから長い1日を始めようという時に、君がそんなふうに仕事で煮詰まった顔をしているのを見ると、やる気が失せる」と言って怒られることもあります。だから、夫が起きてくる気配がしたら、仕事をいったんストップし、彼が仕事に出かけたらまた働き、昼に帰ってきたら一緒にご飯を食べて、その後また仕事をする。夜は彼が寝静まってから仕事を再開。面倒ですが、仕事に対しての価値観が根本的に違うのだから、仕方がないことです。国際結婚の現状とはこんなものでしょう。
――実際、ヤマザキさんはご自身をワーカホリックだと感じますか。
自分自身に対してそんなことを思ったことなどありません。私はそもそも人より燃費の悪い人間なので、多少やり過ぎ程度が心地良いのです。でも客観的には仕事依存に見えるのかもしれない。28年前にイタリアで未婚のまま子どもを産んでから、漫画のヒットを経て今に至るまで、とにかく、脇目も振らずに突進してきましたからね。ワーカホリックなどという甘っちょろい感覚ではありませんでした。でも私は実際働き者のシングルマザーに育てられているし、彼女の口癖は「人生はあっという間。働ける時にたくさん働くべし」だったので、自分の今の生き方に違和感をもったことはありません。
――別の見方をすれば、本当に好きな仕事ならどんどん働けてしまうということなのかもしれませんね。
熱心になれる仕事というのは、好きだからというよりも、むしろ自分のベクトルに合っているから、ということなんだと思うんですよね。漫画というのはとてもしんどい作業で、ご飯も食べず寝ずに作業をしないと締め切りに間に合いません。実際それで体を壊したり亡くなったりしてしまう人も少なくありません。私の場合、子どもが生まれたことがきっかけでした。それまで学んできた油絵では食べていけないので、やむなく漫画を描き始めたわけですが、つらい、しんどいと口にしつつもこうして30年近く続けられているのは、結局漫画家という仕事が自分に合っているからなんだと思っています。好きで始めた仕事だと、嫌いになりたくない、本質を知りたくない、という思いが稼働して、どこかでブレーキがかかってしまう可能性があります。でも自分の体質やメンタリティに合っている仕事なら、最初から好きでも嫌いでもないから、どこまでもできてしまうわけです。
自分に合っている仕事に出会うことができたなら、メンテナンスを怠らない限り何時間働いたっていいんじゃないかと個人的には思うんですが、本人が良くてもそれを見ている周りが穏やかではなくなるということなんでしょうね。私だって自分の家族がそんなふうに働いていたら、まことに勝手ながらイライラするかもしれません。実際、熱心になれる仕事に携わる場合、メンタルの暴走が体を蝕んでしまうことも念頭に置くことは忘れてはなりません。
――「人生100年時代」といわれるようになり、リスキリングや副業を持つことが重視されるようになっています。学び直しをしたり、複数の職業に従事したりすることについてはどうお考えですか。
何歳になっても好奇心を持ち続けるのは猛烈に大事だと思っています。「自分はこうなんだ、こういう人間なんだ。以上」と決めたもの以外になることへの恐れや不安が日本の人にはあるように感じます。自分にはこれしかないと思い込んで生きるのは、とても楽ですが脆くもあります。自分にしても周りにしても「これはこうなんだ」と決めてしまえばいろいろ余計なことを考えずに済むし、必要以上のエネルギーを使う必要もないでしょう。生き方としてはその方が圧倒的に燃費が良い。でも、その通りの展開にならなくなると、だいたいは皆戸惑い、茫然自失に陥って「こんなはずじゃなかった」と何もできなくなってしまう。
いろんなことに好奇心をもって、やってみたいと思うことがあったらやってみる。明日何が起こるかわからないこの世界で、自分という人間の未知なる可能性を試し続けていく。自分の頑強さや粘り強さの実感を詰んでいく。生命力の強さとは美味しいものを食べてストレスを軽減させるだけではなく、こうしたメンタリティの修練も大きく関わってくると思います。10代で私が最初にやったアルバイトはチリ紙交換でしたが、偶然にせよあの経験はすごくのちの自分の役に立ったと思っています。イタリアに留学した後もさまざまな仕事をしましたが、いつも金欠でどん底のような生活でした。でも生きるためと腹をくくって、さまざまな屈辱や失敗といった困難を乗り越えてきたおかげで、今の自分はそこそこ頼りがいのある存在になったと思っています。過度な理想や妄想をもたずにすむようになってから、日々の生き方も随分楽になりました。ヤマザキさんの将来の展望は、理想は、目的は?なんていう質問を受けますが、そんなものはありません。自分が何であろうと、何をしていようと生きていること自体が生きがいであり、展望であり、目的だと思っています。生きている間はおおいに生きる。それだけです。さまざまな人間たちとの接触から失望も幻滅もたくさん経験させられてきたので、今はもうさほど怖いものはないですね。
――漫画家以外にも文筆家や画家としてのお仕事をされています。本業と副業の線引きはありますか。
ありません。世間的には漫画家が本業だと思われていますが、今やっている連載は文章の方が多いですし、去年、山下達郎さんの新作アルバムのジャケットのために久々に油彩による山下さんの肖像画を描かせていただいたおかげで、油絵を描く機会も増えました。自分ができることで世の中に出して恥ずかしくないレベルの仕事だったら、そしてそれが誰かのメンタルにいくばくかの栄養としての効果を為すものであるのなら、何でもやってみようと思っています。
――いろいろなことにチャレンジするなかで、本当に自分に合っている仕事に出会えることもありそうですよね。
そう思います。私の夫はアメリカの大学で比較文学の研究をしていましたが、そのまま大学の教授になるのかと思いきや、「アメリカの実力主義の研究システムには限界を感じた」という理由で突然大学を辞めてイタリアに戻って友だちと小さな出版社を立ち上げました。そして最終的に彼が選んだのは、高校の先生です。小難しい論文などを書くよりも、10代の子どもたちに自分の経験に基づいた話をすることで、これまでの経験が役に立っているという実感があって嬉しいと彼は言っています。夫はさまざまな試行錯誤を繰り返し、40歳を過ぎて、本当に自分に合う仕事を見つけられたのだと思います。
今でも、大学の同僚だった人から「どうして君はあそこまでのキャリアを捨てて、しがない高校教師の道を選んだんだ?」と言われることがあるようですが、しがないとかしがなくないとか誰が決めるんだって話ですよね。どんな仕事だって、それが自分に合っていると思えば、思い入れやプライドは発生するし、やりがいを感じて楽しく働けるわけですよ。世の中が決めた安直で低次元な基準に自分のキャリアを合わせる必要なんかありません。
幸せの形は自分自身が決めること
――イタリアの人たちは人生全般をエンジョイしているように見えます。実際のところはどうなのでしょうか。
夫はよく「イタリア人はいつも不満足」と言っています。彼らは楽観的な人種というイメージが強いのでくよくよしてなさそうに見えますが、実際はかなり思慮深く、疑念に満ち、なかなか難しい人たちです。それに比べて日本人はみんな、仕事に打ち込みながら充実した幸せな人生を送っているように見えるんだそうです。でもそれは幸福という感覚に対する捉え方の違いだと思います。例えば日本では東京都内だけで1日に250もの場所で音楽ライブや演劇などが行われていて、外食産業も盛んで、家族以外の人たちとの付き合いも積極的な日本人の暮らしは人生を謳歌しているように見えるのでしょう。イタリアではこんなにエンタメは発達していないし、外食も友人たちや会社の人間との集いより、パートナーや家族と一緒の方が多い。日本とはかなり様子が違います。
でも、日本人である私から見ると、イタリア人は家族や友人と交流しているだけで十分充実しているように見えますし、メンタル面での自給自足の方法をよく知っているように見受けます。だから、彼らは日本人やアメリカ人ほど、ライブや演劇などエンタメという種類の栄養補給をとくに必要としていない。あるとすればサッカーくらいですが、イタリア人全員がサッカーファンではないですからね。映画に行くといっても、話題の作品の公開初日に映画館に列ができるなんてことはありえません。それぞれの土地が培ってきた歴史やそこから育まれた人間の質によって、生き方の方向性や質感は明らかに違います。だから、あまり幸せ比べをしても仕方がないと思います。
――ヤマザキさんご自身の幸福に対する考え方もお聞かせください。
私は幸せの沸点が異常に低いので、仕事があって生活できている時点でもうこの上なく幸福だし、この先何かもっといいことがあればいいのに、なんてこともまったく考えていません。若い時にたくさん苦労してきたおかげでしょうね。素の自分を受け入れてくれる友人がいて、猫がいて、横溢する想像力を無駄にしない仕事をさせてもらって、自分の力でご飯を食べているんだ、という自覚だけでしみじみありがたい毎日です。
自分にとって何が幸せかは、他人や社会から決められるようなことではありません。目標や理想もそうです。アメリカで大学教授になるキャリアを捨てて、イタリアの小さな町の高校教師になった夫も、周りからはああだこうだと言われつつも、それには耳を貸しませんでした。アメリカの大学でキャリアを積むことにがむしゃらになるより、10代の子どもたちに勉強を教えることが彼にとっての幸せな選択だったということです。幸せの価値観は万国万人に共通するものではありません。自分の幸福の尺度で自分自身を冷静に見てみれば、多くの人は「今の自分って実は結構幸せなんだな」と思えるのではないでしょうか。
Profile
ヤマザキマリ氏
漫画家/文筆家/画家
1967年東京都生まれ。東京造形大学客員教授。84年にフィレンツェに留学し、国立アカデミア美術学院で美術史と油絵を専攻する。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。16年には芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。著書に『仕事にしばられない生き方』(小学館)、『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)、『歩きながら考える』(中央公論新社)ほか多数。23年2月に初のイタリア語翻訳絵本『だれのせい?』(green seed books)を発売。