働き方 仕事の未来 人財 「やりたいこと」はゆっくり探す 今の若者がキャリア自律するのは20代後半から30代前半

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2024.09.26

文部科学省が推進する「キャリア教育」のもと、日本の若者たちは将来の職業について考える機会が増えた。同時にその影響で、「若者は、将来やりたいことを早いうちに見つけておくべきだ」という空気も社会全体に広がっている。しかし社会に広がる「やりたいこと至上主義」は、若者の選択肢をむしろ狭めてしまう恐れがあると、法政大学キャリアデザイン学部教授の児美川孝一郎氏は警鐘を鳴らす。今の若者がキャリア自律するのは20代後半から30代前半であり、長い目で見る必要性も指摘する。
児美川氏に、若者がキャリア形成をするうえで大事なことは何か聞いた。

「職業」に限定して
「やりたいこと」を考えない

2000年代に日本でキャリア教育が始まって以降、「人はやりたいことを持つべき」という空気も、社会全体に広まってきた。「やりたいことを見つけなければ」と焦る若者もいることだろう。しかし、児美川氏は「やりたいことはなくてもいい」と話す。

「決して『やりたいこと』を否定するものではないのですが、『やりたいこと』を具体的な職業名にまで限定し、それにとらわれすぎてしまうことは問題だと感じています。例えば、アナウンサーになりたいと思っている学生がいますが、実際にはなれない人のほうが多いわけです。そのとき、アナウンサーという職業へのこだわりが強すぎると、次の一歩が踏み出せなくなる」

アナウンサーに限らず、温めてきた「やりたいこと」に手が届かなかったとき、気持ちの切り替えができなくなるのが問題だと児美川氏はいう。

「アナウンサーになりたいのには、理由があるはずです。人に何かを伝えることに魅力を感じているのかもしれないし、あるいは人前に出て目立ちたいのかもしれない。なぜ自分がアナウンサーに惹かれるのか、大事なのはその“根っこ”です。根底にあるものを理解していけば、自身の『やりたいこと』を満たすための方法は1つの職業名に限定されることはないと気づくはずです。人に何かを伝えたいのなら広告業界の仕事でも実現できるかもしれないし、企業の広報でもいいかもしれない。幅を持って考えられるように促してあげることが大事なのです」

「やりたいこと」を1つに絞らず
「絶対に嫌なこと」から決める

「やりたいこと」が見つからない若者は、「自分はダメな人間だ」と感じてしまう傾向があると、児美川氏は指摘する。そういう若者に対しては、「やりたいことや夢は全員が持たなくてもいい」「そのうち見つかるだろう、くらいにゆったりと構えればいい」といった言葉をかけているという。そこで児美川氏が「やりたいこと」が見つからない若者に勧めているのが、「これだけは嫌だ」というものを先に決める方法だと説明する。

「例えば人と接する仕事は嫌だとか、データを扱うのは苦手といったようなことから、消去法で大ざっぱな枠をつくるのです。それを“軸”と呼んだりもしますが、まず、選択肢を大ざっぱに広くとっておき、あとは実践しながら考える。そもそも仕事はやってみないとわかりません。憧れの職業も輝いて見える箇所はごく一部で、実際は地味で大変だということもある。反対に、たまたまやってみた仕事が面白かったというケースが実は少なくないというのも、また現実です。『やりたいこと』は頭で考えて見つかるとは限らない、体験を通した偶然のなかにある、ということも伝えています」(図1参照)

図1「やりたいこと」の認識を捉え直す

やりたいこと 好きなこと

すぐに見つからなくてもOK。
仕事などの体験を通して
偶然見つかることも。

【注意】職業に限定しないで考えること

(例)人に何かを伝えることが好き→アナウンサーの仕事

広告業界の仕事や、
企業広報の仕事でも
実現可能かもしれない

「やりたいこと」は見つからなくても悲観したり、焦ったりする必要はない。仕事の体験などを通して不意に見つかることもある。また職業に限定せず、幅を持たせて考える。

“移行期”の設定で促す
学生から社会人への切り替え

児美川氏によれば「やりたいこと」が明確で、勉強や学外の活動に熱心に取り組む学生の割合は、肌感覚で1割程度だという。いわゆる「Z世代」の特徴もその1割がベースとなっている一方で、企業はむしろ残り9割の実態を知ることが大切だと指摘する。

「大学の教員の間でよく話題になるのが、昔と比べて今の若者は成長のステップが1つズレているということです。今の大学生は昔の高校生と同じ、今の高校生は一昔前の中学生と同じ、という感覚です。同様に、企業に入社したばかりの新卒社員は、かつての大学1年生と同じ状態だと思ってちょうどいい。彼らの能力が劣っているわけではないですが、精神的に以前の若者より自立できていないと感じます」

新卒で入社する社員が大学1年生と同等であるのなら、社会人の即戦力として活躍するのは難しい。近年、入社して間もない社員があっさりと会社を辞めてしまうことが珍しくなくなったが、それは企業側が彼らをこれまでの新卒社員と同じように接してしまうことで、精神上のギャップが生じているからだと児美川氏は分析する。

「欧米と違い、日本の学生たちは企業における職業体験を経ず、つまり社会との接点をほぼ持たないまま新卒で入社するのが一般的です。就職活動においては、学生として企業から優しく丁寧に接してもらえる。それなのに入社式を境に急に大人扱いされてしまうと、精神上のギャップが生まれ、耐えられなくなって辞めてしまうのです」

とはいえ、企業が大学1年生を迎えるように新入社員を迎えるのも、少し無理がある。そこで児美川氏が企業に提案するのが、“移行期”の設定だ(図2参照)。

図2社会人になるための“移行期”を設定

就職前 就職活動期 本格的な職業体験なし 入社後 移行期 社会人として自律するための準備期間 本格始動期 新人社会人として仕事の経験を積む キャリア自律へ
就職前 就職活動期 本格的な職業体験なし 入社後 移行期 社会人として自律するための準備期間 本格始動期 新人社会人として仕事の経験を積む キャリア自律へ

以前に比べて成長のステップが遅れてズレている今の若者は、急に大人扱いされると精神的なギャップが生じてしまう。社会人になるための準備期間を設けて、粘り強く成長を促す。

「1年でいいので、学生から社会人に切り替えるための準備期間を、企業側に設けてもらえたらと思います。学生にとって企業への入社は初めての本格的な職業体験であり、仕事をするということに慣れる期間が必要です。たった1年でも定着率は格段に上がるはずです」

移行期を設定するうえでのポイントは2つ。1つは「全員を一くくりにせず、1対1の対応を心がけること」、もう1つは「鍛えようとしないこと」だ。

「若者を全員集めて、集合研修をしても、半分くらいは話を聞いていないでしょう。重要なことなら1対1で指示を受けるものだと、彼らは考えています。また上から何かを押し付けられることを極端に嫌い、そしてそのことに非常に敏感です。大事なのは、彼らが自然と自律していく環境をつくることです。今の若者は自分で選んだこと、自分の好きなことについては私たちの想像以上の集中力と情熱、行動力や責任感を発揮します」

日本のメンバーシップ型の強み
若者のキャリア自律を支援

以前より成長のステップが後ろにズレている若者が、自律的なキャリアを歩み始めるのはいつ頃なのだろうか。

「個人差はありますが、20代の後半から30代前半の間といったところでしょう。それなりに職場経験を積み、仕事を一通り覚えた頃で、顔つきも変わってくるという印象です。それは転職のタイミングともいえますが、日本の企業はまだメンバーシップ型の採用が大半なので、仮に若者が新たな仕事を志望した場合、社内の他部門への異動という形で彼らの希望を満たしつつ転職を防ぐことができます。これは日本企業の強みといえるでしょう」

本人の希望に沿った異動を可能にすれば、それが社員のキャリア形成の支援になると同時に、貴重な人財の流出を防ぐ手だてにもなる。「総じて上昇志向が薄く、ワークライフバランスやウェルビーイングを優先する傾向がある」(児美川氏)一方で、自分の好きなことには強い情熱と行動力を発揮するのも、現代の若者の特徴だ。彼らのキャリア自律をいかに上手にサポートできるかが、企業の将来を左右することにもなるだろう。

Profile

児美川 孝一郎氏
法政大学 キャリアデザイン学部 教授

1993年、東京大学大学院 教育学研究科博士課程を経て、1996年より法政大学に勤務。2007年、法政大学キャリアデザイン学部 教授、現在に至る。
日本教育学会理事、日本教育政策学会理事。専門はキャリア教育。若い世代に「やりたいこと」だけに呪縛されない、新しい働き方と生き方のヒントを伝える。著書に『キャリア教育がわかる:実践をデザインするための〈基礎・基本〉』(誠信書房)など。

児美川 孝一郎氏