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0から1を生み出すイノベーションにつなげる
トランスファラブルスキルとQPMIサイクル

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2025.02.14
0から1を生み出すイノベーションにつなげる トランスファラブルスキルとQPMIサイクル

日本政府が2022年に今後5年で1兆円を投資すると表明して以来、社会への浸透を深めるリスキリングは、研究開発の分野でも意欲的に取り入れられつつあるという。そうしたなかで注目されているのが、「トランスファラブルスキル」だ。端的には自身の研究成果から得られた専門的知識や技術、ビジョンを転用し、0から1を生み出すスキルだといわれている。なぜ0から1が生み出せるのか。研究者集団が創業したベンチャー企業・リバネスで、トランスファラブル研修を実践し、研究者(生命科学修士)でもある立花智子氏に話を聞いた。

リスキリングは研究者の日常
研究成果や専門性を転用可能にする
トランスファラブルスキルとは

企業を中心に社会で活発化しているリスキリングの動きに関連し、昨今注目されているのが欧州発祥の「トランスファラブルスキル」の概念である。東大や京大、東工大(現東京科学大)で修士や博士を修得したメンバーが2002年に設立したベンチャー企業のリバネスは、このトランスファラブルスキル研修を長年実践してきた研究者集団。

トランスファラブルスキルとは、大学や大学院で学んだ研究成果や高度な専門性、ビジョンを転用可能な状態に変化させる考え方を身につけることだ。リバネスの人材開発事業部・ひとづくり研究センター・部長の立花智子氏は次のように話す。

「トランスファラブルスキルは、修士・博士課程の研究者が大学での研究だけでなく、チームでのプロジェクト型の研究、分野を超えた学際的研究など、新たな研究スタイルに対応できるものです。アカデミア以外の企業にも通用するスキルとして注目されています。研究者の資質である実験の組み立て力や段取り力などを組み合わせ、所属する組織や社会の変化に応じて求められるスキルに落とし込むことで、汎用的に使えるようになるイメージです」

世の中でリスキリングという言葉が浸透しつつあるが、そもそも研究者は常に研究者精神を擁して、新たな事象を追究し、世の中の課題解決に邁進していく性質を持っている。そのため、リスキリングのように、新しいものを学び続けるということを日常的に実践しているのだ。

「解釈を少し広げ、未来へつなぐリスキリングの一環としてトランスファラブルスキルを捉えると、その有用性が見えてくる気がします」(立花氏)

「ブリッジ」で相互理解を深め「ベクトル」で周囲を巻き込む

そもそもトランスファラブルスキルは、リバネスのメンバーが自分たちの高度な専門性を企業や社会を通して生かすために必要なスキルセットだった。立花氏は、大学や企業の研究内容を中高生にわかりやすく伝える最先端の科学教育活動を行っていた。

活動するなかで、科学の面白さに目覚めて大学や大学院に進んだ学生たちから、「研究経験を生かせる企業や研究機関がわからない」と相談を受けることがあった。そこで有効だったのが、トランスファラブルスキルを構成するブリッジとベクトルという2つの要素だ(図1参照)。

「『ブリッジ』コミュニケーションとは、物事を解決するために、自分の研究知識やビジョンをわかりやすく相手に伝え、橋渡しして共感を得て、新たな知識を生み出すこと。『べクトル』とは、自分自身がやりたいこと、相手を動かす原動力となる方向性を指し示し、協働作業・共同研究に巻き込むことです。この2つを提示することで、自分という研究者の魅力のアピールにつながるのです」(立花氏)

図1トランスファラブルスキルを構成する2つの要素

トランスファラブルスキルを構成する2つの要素

異分野・異業種の相手と相互理解するには、共感で橋をかけ、わかり合うブリッジコミュニケーションと、自分の方向性を相手に示し、相手を巻き込むベクトルが欠かせない。

出典:リバネス

これに関連してリバネスでは、「話せる/書ける」「つなげる/創る」という共感的コミュニケーションの能力・交渉的コミュニケーションの能力を持つ人財を、先端科学と社会の「橋渡し」をするサイエンスブリッジコミュニケーターと定義している(図2参照)。

図2サイエンスブリッジコミュニケーターの4つの能力

サイエンスブリッジコミュニケーターの4つの能力

『話せる/書ける』『つなげる/創る』という4つのプロセスを回すことができる人をサイエンスブリッジコミュニケーターと定義している。『話せる/書ける』という共感的コミュニケーションの能力を持つ人をサイエンスブリッジリーダー、『つなげる/創る』という交渉的コミュニケーションの能力を持つ人をサイエンスブリッジマネージャーと呼んでいる。言い換えると言葉と文章で相手の共感を得ることのできる人がサイエンスブリッジリーダー、異なる事象や物事をつないで、新たな価値を生み出す力を持つ人がサイエンスブリッジマネージャーである。

出典:リバネス

自分のベクトルを押し付けるのではなく、互いのベクトルが揃う方向を設定してミッションを生み出し、ビジネスを作り出していく、それがトランスファブラルスキルの創造する理想的な成果といえるのかもしれない。

PDCAからQPMIへ
0から1を生むイノベーションを

日本の企業が長らく目標達成や業務改善、生産・品質管理に用いてきたビジネスのフレームワークにPDCAサイクルがある。これは、大量生産・大量消費で右肩上がりの経済成長の時代には有効だった。

しかし今はビジネス環境が激変するVUCA時代。このサイクルからイノベーションが生まれることはないだろう。なぜなら新しい価値の創出であるイノベーションは既存業務の延長線上にあるわけではないからだ。

「『ブリッジ』コミュニケーションと『ベクトル』を生かして、研究の場やビジネスチャンスをつかむという話をしましたが、研究成果をもとに新たなビジネス機会を創出するためにQPMIサイクルというイノベーションの創出サイクルを提唱しています」と立花氏はいう。

QPMIとはQuestion、Passion、Mission、Innovationの頭文字を組み合わせたもので、質(Quality)の高い問題(Question)に個人(Person)が崇高に情熱(Passion)を傾け、信頼できる仲間(Member)と共有できる目的(Mission)に変え、解決し、革新(Innovation)や発明(Invention)を起こすという、研究者集団ならではの発想と行動を具体化したものだ(図3参照)。

図3イノベーションに必要なQPMIサイクルの実践

イノベーションに必要なQPMIサイクルの実践

質(Ouality)の高い問い(Question)に、個人(Person)が情熱(Passion)を傾け、仲間(Member)と目的(Mission)を持って、試行錯誤を続ければ革新(Innovation)や発明(Invention)が生まれる。

出典:リバネス

QPMI の中身をもう少し整理しておこう。

  • Q とはさまざまな事象から課題を見出す。
  • P は課題解決に対して情熱を傾ける。
  • M は課題をミッションと捉え、チームを構成し取り組む。
  • I はチームの推進力により新たな価値創出を目指す。

このなかで重要なのは、最初の Q =問いや課題を見出すこと、そして次のP=それを解決したいというパッションが大事になってくるのだという。よく生みの苦しみといわれ、0から1を生み出すにはあきらめない情熱がカギを握るというが、そのプロセスも重要になってくる。

立花氏は、QPMIサイクルは研究者の枠に留めることなく、さまざまな企業の新規事業に生かすことができるという。

「研究者は自分で課題を設定し仮説を立て、検証するのが得意です。うまくいかなければ、すぐに実験の方法を変え、さらなる仮説を立てて検証し直す。これを企業の商品開発や新たなサービスの提供に置き換えると、課題を見つけて検証を繰り返しながら、ビジネスとして組み立てていくことと一緒だと思います。こうした研究者的思考は、企業の新規事業創出などでも大いに役立つのではないでしょうか」(立花氏)

自分はどうありたいのか、課題は何かということを考えることが重要

立花氏は中高生の出前実験教室や大学生・大学院生向けのトランスファラブルスキル研修の傍ら、企業向けにQPMIサイクルを実践するワークショップも担当している。

「参加者それぞれが自らのQを掘り起こすためのワークショップを行っています。もともとは新規事業創出を目的としたプログラムですが、Qの掘り起こしによって自ら課題を見つけると、情熱(P)が高まり、課題解決のためにベンチャーについていろいろと調べ、この技術を持っているところと仲間になれば新しい事業が始まりそう、などといった気づきが生まれています」(立花氏)

リスキリングの方法論としてQPMIサイクルを活用することで、結果としてリスキリングが日常化する事例が数多く見られたともいう。

また、ある大手企業と共同で開催したカレッジ事業では異分野・異業種のメンバーが集まり、自分のQPMIを掘り起こして、チームを形成して企画を生み出すという実践を行った。

「興味深かったのは、QPMIサイクルのプロセスを進めるうちに、自らの所属する企業のアセット(資源・リソース)に企画のなかで生かせるものがあることに気づいた人がいたことです」(立花氏)

たとえば、古くなった香水を集めて新しいアロマを作るプロジェクトが立ち上がった。その過程で、参加メンバーの勤務する店舗の一角を実証の場とした検証も行われたという。新技術が生まれてもなかなか実証実験を行うのは難しいといわれるが、このケースでは自らの働く店舗をアセットとして活用することができたのだ。

企業では、社員が当たり前に感じていてその価値や活用方法に気が付いていないだけで、客観的に見ると貴重なアセットが眠っているケースも少なくない。可視化されていない職人芸のような技術が、限られた部署でしか認知されていないケースもあるという。そうしたことを掘り起こすのも、QPMIサイクルの一環である。

「ChatGPTをはじめとした生成AIに任せるべき範囲は任せてよいのですが、こうした眠れる技術の抽出や、QやPの掘り起こしはAIにはできません。同じように、自分の人生におけるQやベクトルも、AIに聞いても答えは出てこないので、自分で考えるしかありません。5年後、10年後に自分はどうありたいのか、課題は何かということをじっくり考えることが重要なのです」(立花氏)

企業のパッションやベクトルを示していく

それでは、トランスファラブルスキルを有する人財を確保するにはどうしたらよいか。立花氏によると、トランスファラブルスキルを有し、社会課題解決のために自分のクエスチョンに正直に、パッションを燃やしたいと思っている人財には、福利厚生や給与などといった待遇のインセンティブだけではあまり響かないという。

「自分のベクトルが生かせるか、自分がこうありたいという未来を見せてくれるかが企業を選ぶポイントになっているのだと思います。この企業で何ができるか、企業がどういう社会を作りたいと思っているか、どんな人と働けるかとか、一見わかりにくいものを知りたいと思っている人が多いのではないでしょうか。大切なのは、企業のパッションやベクトルをどう示していくのか。さまざまな事業を手がける企業であればあるほど難しい気はしますが、そうした視点が重要だと考えます」(立花氏)

Profile

立花智子氏
株式会社リバネス
人材開発事業部 部長

生命科学(修士)。大学院在学中、微細藻類研究のかたわら、多様性と普遍性を併せ持つ生き物の魅力を子どもたちに伝えるため、リバネス黎明期のインターンシップに参加。修了後はZ会での理科教材制作を経て、リバネスへ転職。中高生研究者への助成や若手研究者への研究コーチ活動を通し、学校教育の支援を行う。2019年より人材開発へ移行し、博士へと成長したかつての中高生研究者を支援。ひとづくり研究センターでは、研究者の好奇心や課題意識から知識を生み出す人の新たな働き方や組織づくりを研究する。

立花智子氏