Vol.31 インタビュー:シスコシステムズ 代表執行役員社長 平井康文さん

仕事と私 挑戦を通じて

仕事は「207本目の骨」。愛する仕事を通じて愛する日本に貢献していきたい。

単身赴任した米国での二つの経験

私のキャリアのスタートは、地方の営業職でした。四国と大阪でそれぞれ5年、休みなくお客さまを訪問しました。昼食をとる暇もなく、自分が運転する車の中でハンバーガーを急いで食べていた日々を昨日のことのように思い出します。

その10年間の経験によって私が得たのは、「仕事のすべての価値基準はお客さまである」という信念でした。シスコシステムズの社長となった現在も、その信念に変わりはありません。

大学を卒業して日本IBMに入社したのは、1983年のことでした。10年間、営業を経験したのち、ニューヨーク州にある本社に出向し、再び日本へ。夢中で働き続け、気がついたら18年が経っていました。そろそろ新しいチャレンジをする時期に来ている。そう考えた私は、再びニューヨークでの勤務を希望しました。自分の体で、もう一度世界を体験しておきたかったのです。

2001年、単身赴任で渡ったアメリカで、私は二つの大切な経験をしました。一つは、自分を正面から冷静に見つめ直す時間を得たことです。冬のニューヨークはよく雪が降ります。一人住まいのアパートの窓から静かに降る雪を眺めながら、私はこれまでの自分とこれからの自分について思いを巡らせました。それはまるで、等身大の鏡に自分を映しているような感覚でした。今思えば、あの時間によって、次なる挑戦へのビジョンが私の中に育まれたのかもしれません。

もう一つの経験は、日本文化の独自性を発見することができたことでした。日本の家庭では、父親用の箸、母親用の箸、子供用の箸がきちんと区別されています。「マイ箸」があり、さらには「マイ茶碗」「マイ湯飲み」もあります。中国と韓国は箸の文化ですが、「マイ箸」はありません。フォークやスプーンを使う欧米でも、食器は共有です。「マイ箸」に代表されるような世界に類のない独自の価値観や行動様式は、これからのグローバル化の時代にあって、必ずや日本の強い武器となる。そんなことを感じていました。

平井康文さん

profile
1960年徳島県徳島市生まれ。83年、九州大学理学部数学科卒業後、日本IBMに入社。米IBMへの出向、日本IBM社長補佐、米IBMソフトウェア・グループバイスプレジデントなどを経て、2003年にマイクロソフトに入社。常務執行役、執行役専務を歴任する。08年、シスコシステムズに入社。副社長エンタープライズ&コマーシャル事業担当を務めた後、10年に代表執行役員社長となる。チェロ演奏、スキューバダイビング、ゴルフ、居酒屋探訪など多彩な趣味を持つ。

「人財」の大切さに気づかされる

その後の数年間は、チャレンジの連続でした。ITの世界はソフトウェアの時代になりつつあると確信した私は、マイクロソフト社に移り、法人向けの営業部門で5年間働きました。

シスコの日本法人に入社したのは、2008年のことです。当時の社長であったエザード・オーバービークは、シスコのビジネスモデルを大きく転換しようとしていました。シスコは通信機器のベンダーから総合ICTソリューションパートナーへと、IT企業からからBT(ビジネス・テクノロジー)企業へと変わらなければならない。そう彼は熱く語りました。その果敢な挑戦に私も参加してみたい、そして、これまでの25年以上の経験をこの会社で生かしてみたいと思いました。

仕事を通して私が実感しているのは、「人財」の大切さです。「人材」ではなく「人財」。人はまさしく企業にとっての財産である。そう強く感じています。

お客さまと接する私たちに求められるのは、製品やサービスについて語るスキルだけではなく、お客さまの課題に耳を傾け、適切な解決策を提示し、親密な関係を築いていくことができる力です。それはまさしく「人」の力であり、一人ひとりがそのような力を身につけていけば、企業は必ず成長できると、私は思っています。

新しいワークスタイルとインターネットの未来

2010年にシスコシステムズの社長に就任してから今日まで、私は二つの大きな課題に挑戦してきました。一つは新しいワークスタイルをつくること、もう一つはインターネットの未来を提示することです。

新しいワークスタイルの基盤となるのは、「人財共有」、ダイバーシティ、柔軟な働き方です。その先にあるモデルを私たちは、「ライフ・ワーク・インテグレーション」と呼んでいます。ワーク・ライフ・バランス、つまり「仕事と生活のバランス」よりも、むしろその「統合」を目指すということです。しかも、「ライフ」を「ワーク」の前に位置づけました。生活全体の中に仕事を位置づけ、人生と仕事とを適切に融合させる。この言葉には、そんな意味が込められています。

社内におけるライフ・ワーク・インテグレーションの試みを通じて、できることなら、日本企業の先進事例を作りたいと私は考えています。前例のないことに取り組めば、火傷をすることもあるし、つまずいてすり傷を負うこともあるでしょう。そんな経験を含めて、取り組みの成果を日本の企業の皆さまに還元していきたいと思うのです。

もう一つのチャレンジをあらわす言葉が「インターネット・オブ・エブリシング」です。現在、世の中に存在するものの中で、インターネットに接続されているものは1パーセント弱しかありません。残りの99パーセント強は、ネットへの未接続の状態にあります。それらが相互に接続されれば、そこに価値の連鎖が生まれ、新しいビジネスが生まれるはずです。そんなインターネットの未来をお客さまとともに作り上げていくのが、私たちシスコの使命であると考えています。

仕事はまさしく挑戦の連続です。だからこそ仕事は楽しいのです。人間の体は、206本の骨で構成されています。私にとって仕事とは、いわば207本目の骨にほかなりません。これからも、愛する仕事を通じて、愛する日本に貢献していきたい。そう思うのです。