仕事は「207本目の骨」。愛する仕事を通じて愛する日本に貢献していきたい。
単身赴任した米国での二つの経験
私のキャリアのスタートは、地方の営業職でした。四国と大阪でそれぞれ5年、休みなくお客さまを訪問しました。昼食をとる暇もなく、自分が運転する車の中でハンバーガーを急いで食べていた日々を昨日のことのように思い出します。
その10年間の経験によって私が得たのは、「仕事のすべての価値基準はお客さまである」という信念でした。シスコシステムズの社長となった現在も、その信念に変わりはありません。
大学を卒業して日本IBMに入社したのは、1983年のことでした。10年間、営業を経験したのち、ニューヨーク州にある本社に出向し、再び日本へ。夢中で働き続け、気がついたら18年が経っていました。そろそろ新しいチャレンジをする時期に来ている。そう考えた私は、再びニューヨークでの勤務を希望しました。自分の体で、もう一度世界を体験しておきたかったのです。
2001年、単身赴任で渡ったアメリカで、私は二つの大切な経験をしました。一つは、自分を正面から冷静に見つめ直す時間を得たことです。冬のニューヨークはよく雪が降ります。一人住まいのアパートの窓から静かに降る雪を眺めながら、私はこれまでの自分とこれからの自分について思いを巡らせました。それはまるで、等身大の鏡に自分を映しているような感覚でした。今思えば、あの時間によって、次なる挑戦へのビジョンが私の中に育まれたのかもしれません。
もう一つの経験は、日本文化の独自性を発見することができたことでした。日本の家庭では、父親用の箸、母親用の箸、子供用の箸がきちんと区別されています。「マイ箸」があり、さらには「マイ茶碗」「マイ湯飲み」もあります。中国と韓国は箸の文化ですが、「マイ箸」はありません。フォークやスプーンを使う欧米でも、食器は共有です。「マイ箸」に代表されるような世界に類のない独自の価値観や行動様式は、これからのグローバル化の時代にあって、必ずや日本の強い武器となる。そんなことを感じていました。