Vol.33 インタビュー:株式会社タイタン 代表取締役 太田光代さん

仕事と私 挑戦を通じて

頭の中のことを具現化すると どうしても「挑戦的」になってしまうんです

「シネマライブ」という前例のないチャレンジ

私が社長を務め、爆笑問題など21組のタレントが所属する芸能事務所タイタンでは、2カ月に1回のライブを15年以上続けてきました。このイベントの悩みは、チケットがすぐに完売してしまい、多くのお客さまに見ていただくことが難しいという点。DVDにすれば何万人という方々に見ていただくことができますが、ライブの魅力は、その日その場だけ、二度と同じものを再現できないという点にあります。その臨場感を保ったままで、多くの人にタイタンのお笑いを楽しんでいただくことはできないか。その問いへの答えが、「シネマライブ」でした。

お笑いのライブを各地の映画館のスクリーンに生中継するシネマライブに挑戦したのは、2009年のことです。お客さまは、椅子に座って飲み物を片手にリラックスして映像を観ることができる。でも、そこで流れている映像は、ライブ会場で芸人さんたちがリアルタイムで演じているネタです。最近では映画のスクリーンを使った生中継という手法は珍しくないですが、当時は前例のない試みでした。

太田光代さん

その一方で、演じる芸人さんたちとカメラマンなどスタッフの方々は、相当苦労したと思います。映画館の巨大なスクリーンは、演者の細かな動きをすべて映し出すので、ネタのうまさも拙さもすべて分かってしまいます。これには、芸人さんたちはかなりとまどったようです。一方、私がカメラマンに要求したのは、「お客さまが直にライブを観ているような映像を撮ること」でした。テレビのような凝ったカメラワークは禁止。あくまでも自然に見えるように撮ってほしいとお願いしました。これも、始めはかなり大変だったと思います。

おかげさまで、この試みは多くのお客さまに支持され、現在では、年6回、全国8つの映画館で継続的に開催できるようになりました。

映画づくりとレストランシアターへの挑戦

私が何のスキルもないまま、芸能プロダクションの社長に挑戦したのは、爆笑問題の2人、太田光と田中裕二をマネジメントする必要があったからです。追い詰められた末に選んだ道でしたが、やってみると、社長業は肌に合っていると感じました。

私は子どもの頃から、考えすぎて疲れ果ててしまうという癖を持て余していました。頭の中をいろいろなアイデアや心配事がぐるぐる回って、ヘトヘトになってしまうのです。しかし、社長になって、その癖を逆に活かせることに気がつきました。頭の中に浮かんだアイデアをビジネスとして具現化できるようになったので、ストレスがたまらなくなったのです。

シネマライブをはじめ、私はこれまで、インターネットコンテンツの配信会社、映画制作会社、ハーブ専門店、フラワーショップなどさまざまな事業にチャレンジしてきました。芸能事務所の社長が取り組む事業としては、どれもチャレンジングなものですが、「挑戦してやろう」という気持ちがあるわけではありません。頭の中のことを実現しようとすると、結果的に挑戦的なことが多くなってしまうのです。

今後、大きな挑戦となりそうなのは、太田光の映画づくりの夢を実現させることです。彼は過去に一度脚本を書き始めたことがあるのですが、完成してみると、どう考えても映画化不可能な『マボロシの鳥』という小説になってしまいました。「映画会社と話し合いをして、映画の制作会社まで作ったのに、何考えてんの!」と腹が立ちましたが、彼が本気にならなければどうしようもないことも知っていました。

太田がいよいよ危機感をもって脚本づくりに取り組み始めたのは、この1年ほどのことです。映画監督として成功している先輩の芸人さんと比較されたりもしますが、彼は彼です。自分のつくりたい世界を見極めて、夢を実現させてほしいですね。

もう一つの私の夢は、いろいろな事業を統合して「レストランシアター」をつくることです。お笑いのライブやジャズの演奏、映画などを楽しみながら、おいしい食事が味わえる。そんな、大人が楽しめる場所を生み出すことに、いつか挑戦したいと思っています。

太田光代さん

profile
1964年、東京都生まれ。雑誌モデルなどを経てタレントに。90年、同じプロダクションに所属していた漫才コンビ、爆笑問題の太田光氏と結婚。1993年に芸能プロダクション「タイタン」を設立し、社長に就任する。ハーブ、アロマの専門店「ウィッチムーン」、トータルリラクゼーションスペース「キューピットハート」、フラワーショップ「アリエル」なども経営している。著書に『女子社長の優雅で過激な毎日』(大和書房)などがある。