人生には終わりがあるが挑戦に終わりはない。僕はそう信じています
社内の前例を覆した「越境」への挑戦
僕がソニーに入社した頃、社員の多くは理科系の高学歴者でした。経済学部出身で文化系だった僕は、いわば社内の「少数民族」でした。その少数民族たる僕が、41歳のときにオーディオ事業部の事業部長となった。これは、僕にとって極めて大きな出来事でした。それまで、事業部長の席は理系社員の特等席であり、しかも、オーディオ事業といえば、当時のソニーの中核を成す事業でした。その席に自分が座ることになったわけですから。
その時のことを、僕は今でもよく憶えています。理科系がマジョリティであるソニーで、自分が日の目を見ることはないだろう。ならば、早めに会社を去るのが得策である。そう考えた僕は、当時の社長だった岩間和夫さんに、「オーディオの事業部長をやらせてください」と話をしました。「それはできない」「では、辞めさせていただきます」──。そんなシナリオを描いてのことです。しかし、岩間さんはいとも簡単に「いいよ、君に任せるよ」と。僕は拍子抜けしてしまい、結局辞めるきっかけを失ってしまいました。