大室正志氏
産業医
1978年山梨県生まれ。大室産業医事務所代表
産業医科大学医学部医学科卒業。ジョンソン・エンド・ジョンソン統括産業医、医療法人社団同友会産業医室を経て現職。メンタルヘルス対策、インフルエンザ対策、生活習慣病対策など企業における健康リスク軽減にも従事。日系大手企業、外資系企業、ベンチャー企業、独立行政法人など約30社の産業医を担当。著書に『産業医が見る過労自殺企業の内側』(集英社新書)。
世界規模で新型コロナウイルス感染症が拡大して、早2年が経過しようとしている。
その間、在宅勤務やリモートワークといったワークスタイルが定着するなかで、メンタルに不調を抱える人が目立つようになってきた。新しい生活様式に適応したセルフマネジメントや、職場における適切なサポートのあり方とは――。産業医の大室正志氏に聞いた。
コロナ禍でのオフィスで増えている「バーンアウト(燃え尽き症候群)」。Adecco Groupが2021年に行った働き方についてのグローバル調査では、働く人々の10人に4人近くがこの問題を抱えているという結果となった。だが、その実態は従来のバーンアウトとはいささか様子が異なると、大室氏は解説する。
「もともとバーンアウトとは、"仕事を頑張れる人"に多く見られるものでした。ヒトの脳には、夢中になりすぎると疲れに気づきにくくなるという特徴があります。それで、仕事に対して頑張りすぎてしまい、ある日突然、疲れに気づくというのが一つ。あるいは、疲れている自覚はあるのだけれど、使命感などから仕事を頑張りすぎてしまい、その過酷な状況が一向に改善されないことにあきらめを抱くというパターンもあります。いずれにせよ、旧来型のバーンアウトは、良くも悪くも"よく燃えている"のが特徴でした」
現在、こうした旧来型のバーンアウトも増えてはいる。リモートワーク下では、ミドルマネージャー層の業務の負担が大きくなっているからだ。しかし、より深刻なのは、特に「Z世代(1990年代後半から2000年代生まれ)」と呼ばれる若手に増えている、新しいタイプのバーンアウトだという。
「リモートワークが中心になり、自宅のPCに向かって、飛んできた球を淡々と打ち返すだけのようなタスクを日々こなす状況が続くなかで、『自分はなんのために仕事をしているんだろう?』という虚しさにとらわれる若い世代が増えているのです。いうなれば、やりがいを見失った"不完全燃焼型"のバーンアウトです」
もう一つ、新卒・転職・異動組といったニューカマーの間で増えているのが"孤立型"のバーンアウトだ。
「仲間同士のつながりを大事にするメンバーシップ型の日本企業では、組織の一員として認められることがやりがいにつながります。ところが、この2年間というもの、8割方の会社では新人研修がリモートで行われてきました。すると、いつまでたっても仲間になった感覚が得られず『自分はこの場所にいていいのだろうか?』という疑問を抱くようになるのです。実際、ある会社の調査では、新しく入ったスタッフのなかで"歓迎会" が行われなかった人ほど、早期にやめていくことがわかったそうです」
1 | ミドルマネージャー層に多い「働きすぎ」 リモートワーク下でのマネジメント業務が負担になるケースが増加中。真面目に1on1の予定を細かく入れている人ほど、膨大な時間を取られてしまう。リモート下では業務量が可視化されづらいため、過労に陥る人も多い。 |
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2 | Z世代に多い「やりがいロス」 「なんのために働いているのか」がわからなくなって、不完全燃焼に陥ってしまうパターン。リモート下でも、経営者や上層部が会社のフィロソフィーをしっかりと発信し、社員と価値観を共有することが防止策になる。 |
3 | 新卒・転職・異動組に多い「孤立」 メンバーシップ型の弊害で、組織のメンバーとして認められた実感のない"新参者"が疎外感を持ってしまう。徐々にジョブ型雇用が広まりつつある日本だが、働き手の実感としては、まだまだ公私が混在しているのが現状。 |
以上のようなバーンアウトに対して、個人としてはどのような予防策を取ることができるだろうか。
すべてのタイプに共通していえるのは「フィジカルな部分を管理する」こと。具体的には「心・技・体」の3点のメンテナンスを怠らないことだと大室氏は言う。
「まず"体"の部分でいうと、リモートワーク中はどうしても運動不足になりがちです。ある会社の調査では、毎日平均7000歩だった社員の歩数が、リモートワークになって2000歩に減ってしまったとか。この5000歩の差は、遅かれ早かれ体の不調となって表れるでしょう。自宅でPCに向かっていると、ランチもネットサーフィンをしながらデスクで済ませがちですが、こういう状況だからこそ、外に出て食事をとるような工夫をしたいものです」
次に"心"の部分でいうと、「会社以外での人とのつながりを持つ」ことが孤立を防ぎ、心の安定をもたらすことにつながるという。
「私はよく『アイデンティティのポートフォリオを組もう』と言っています。資産運用でも、現金、株式、債券などをバランスよく持つことが推奨されているように、自分のアイデンティティも"仕事"に一点投資すべきではありません。"家族"や"趣味"などにポートフォリオを分散させることで、会社とのつながりが切れてしまったときのアイデンティティ・クライシスに備えることができます。多様な人とのつながりを大事にし、幅広い情報に接することは、自分のスキル=技を向上させることにもつながるでしょう」(図2 参照)
ポートフォリオに"仕事"が占める割合が多いのが、日本のビジネスパーソンの特徴。「仕事好きで趣味がないという人でも、同じ職種の人集まるコミュニティなど、会社以外のつながりを持つことが大切」(大室氏)。
続いて、会社のマネジメント層が、部下のメンタルヘルスを把握するために留意したいポイントを見ていこう。
「先述のように、新卒者や異動・転職してきたばかりの人は、リモート下でストレスを抱えるケースが多いため、とりわけこまめにコミュニケーションをとることが必要です。また、業務量が可視化されにくいためにオーバーワークに陥る人がいるという問題には、スケジュール管理ツールなどの導入によって対応しましょう。こうしたテクノロジーを活用すれば、定量的な情報は簡単に把握することができます。そのぶん、マネジメント層は部下の定性的な情報を拾い上げることにも注力してほしいですね。例えば、かつて営業担当の日報といえば、訪問先や商談の内容を書くものでしたが、昨今は『そのとき何を感じたか』といった"感想文"を書かせる企業が増えています。その人のコンディションを"感情"の面から理解しようという動きが加速しているのです」
先で紹介した"やりがいロス"による若手のバーンアウトを防ぐには、経営層からこまめにメッセージを発信していく必要があるという。
「私の友人でもあるナレッジワークの麻野耕司氏は、人のモチベーションを4つのP、すなわち"理念(Philosophy)""人(People)""待遇(Privilege)""仕事内容(Profession)"で説明しています。このうち、やりがいロスに直結しているのが、最初の"理念"がリモート環境では伝わりにくくなっていること。従来、会社が目指すものや、大事にしている価値観などは、口で説明するよりも"その場にいればわかる"という発想で伝えられてきました。それが難しくなっている今、経営者のブログなり、社内掲示板でのメッセージなりで、意識的に自社のフィロソフィーを発信していくことが、多くの日本企業にとっての課題といえます」
こうした取り組みは、アフターコロナの働き方を見据えるうえでも重要になってくると、大室氏は指摘する。
「現状では、感染者が増えればリモート、減ってきたらオフィス出勤と、働き方がコロナ禍に左右されているようなところがあります。しかし、いずれコロナ禍が収束すれば、リモートワークをどのような理由で認めるか(認めないか)は、会社独自の問題になってくるでしょう。そのときに、明確に自社の価値観を打ち出せる企業は、社員とのアンマッチを回避することができるし、ひいてはバーンアウトのような問題を予防することもできる。私はいずれ、世の中のあらゆる会社が、パタゴニアのような"フィロソフィードリブン"な企業になる時代が到来すると予想しています」
大室正志氏
産業医
1978年山梨県生まれ。大室産業医事務所代表
産業医科大学医学部医学科卒業。ジョンソン・エンド・ジョンソン統括産業医、医療法人社団同友会産業医室を経て現職。メンタルヘルス対策、インフルエンザ対策、生活習慣病対策など企業における健康リスク軽減にも従事。日系大手企業、外資系企業、ベンチャー企業、独立行政法人など約30社の産業医を担当。著書に『産業医が見る過労自殺企業の内側』(集英社新書)。