2022年に、Adecco Groupが世界25か国のオフィスワーカーと非オフィスワーカーを対象に行った調査において、「スキルギャップ」や「リスキリング」が重要なキーワードとして挙げられた。今、ビジネスにおけるスキルや学びにはどのような変化が起こっているのだろうか。そして、企業と働く個人はそれぞれ、リスキリングにどう取り組んでいくべきなのか。
経済・社会の不確実性が高まるなかで、リスキリングのあるべき姿と、これからの学びのヒントについて、早稲田大学大学院経営管理研究科(早稲田ビジネススクール)教授の池上重輔氏に語っていただいた。
経営戦略と人財育成の方向性の整合を図ることが先決
「Global Workforce of the Future」で重要なキーワードとして挙げられた「スキルギャップ」とは、今後のビジネスにおいて求められるスキルや、自身のキャリア形成で身につけたいと考えているスキルと、現時点で自身が保有しているスキルとの差(=ギャップ)を指す。そして、その差を埋めていくプロセスが「リスキリング」である。
今回のAdecco Groupの調査によれば、働き手の77%が「自分にはスキルギャップがある」と考えており、若い世代ほどそれをより強く意識しているという(Z世代86%、ミレニアル世代84%)。また働き手の31%が、退職の理由として「キャリアアップやリスキリング/アップスキリングの機会の欠如」を挙げていた。これらの課題をどう捉えるべきだろうか。
「ビジネスにおけるスキルや学びにおいて、構造的な変化が起こっているのは確かです」と、池上重輔氏は言う。
「かつて日本企業の多くは、上司や先輩が実際の業務を通じて社員を教育する『OJT』中心の人財育成によって成果を上げてきました。しかし近年は経営環境が大きく変わり、ビジネスモデルの転換やイノベーション創出など、過去に経験のない、不連続な変化を企業は求められています。OJTでは、上司や先輩も経験していない未知の領域の知見やスキルを育むことができません。新たな人財育成の枠組みを構築していく必要があるわけです」
イノベーション創出につながるような人財育成に、世代の違いは関係ない。全階層に対するリスキリングが必要になる。そこで不可欠なのは、企業が経営戦略を明確化し、今後求められる組織能力と人財像を明らかにすることだと、池上氏は指摘する(図1参照)。
図1リスキリングにあたって企業がすべきこと
必要なスキル、不足しているスキルが明らかに
経営戦略を明確にし、そのために必要な人財とスキルを明らかにすることで、実行すべきリスキリングの方向性をしっかり定めることが重要だ。
「これらを明らかにすることで、この先自社内にどんな人財が必要で、どんなスキルが不足しているかも明確になり、リスキリングの方向性がしっかり見えてくるからです。しかし実際には、戦略設計の段階で迷っている企業が少なくありません。おのずとリスキリングの方向性も曖昧になります」
例えば社員にデジタルスキルの研修を受けてもらう場合でも、それが今後の事業展開において習得すべき最低限のものなのか、他社との競争において優位性を生み出すものなのか、明確になっていないケースが多いという。
「こうした事態が、リスキリングの混迷の原因となります。この点を企業はしっかりと認識し、『経営戦略』と『人財育成の方向性』に整合性を取っていくべきです」
目的意識の高い社員は辞めない会社はキャリア形成のサポートを
企業にとって、もう一つ重要なのが、「社員のキャリア形成に寄り添う姿勢」だという。今後どんなキャリアを築きたいのか、そのためにどんなスキルを身につけるべきか、自分のなかで明確化できていない社員は少なくない。
「『リスキリングの機会が少ない』という理由で会社を辞める人も確かにいます。しかし私の経験上、キャリア形成やスキル習得に対する目的意識が明確な人は、そう簡単に離職しません。自身のキャリアデザインを考えたうえで、納得して今の会社にいるからです。逆に目的意識が希薄で、リスキリングに対して漠然とした不安感を持つ人は、漠然と会社を辞めてしまいがちです。つまり企業としては、単に研修機会を増やせばいいということではなく、社員一人ひとりのキャリア形成に寄り添い、目的意識をクリアにできるようサポートする必要があるのです」
もし本人の望むキャリアを自社内で形成するのが難しければ、社員が会社を辞め社外に出ていくことも想定する必要があるだろう。その場合、どうすれば働き手としての存在価値を高められるかという視点で、アドバイスしていくことが大切だと池上氏は言う。
働く個人に求められるのは能動的学習スキルと汎用的スキル
一方、スキルギャップやリスキリングに対し、働く個人としてはどのように対応すればよいのだろうか。どんなキャリアを目指すにせよ、これからの時代に身につけるべきスキルがいくつかあると池上氏は言う(図2参照)。
図02働く個人が今後身につけるべきスキル
能動的に学ぶスキル |
未知のものに挑戦したり、
貪欲に学びを得ようとする姿勢 |
課題を発見するスキル |
目の前の事象を深く分析し、
新たな課題・論点を抽出する力 |
物事を俯瞰して捉えるスキル |
部分最適にならないよう、
大局的に物事を見られる視点 |
正解が見えないなかでリスキリングを行うためには、学びそのものに対する汎用的なスキルが求められる。
「例えばラーニングスキル。教わって学習するスキルではなく、未知の分野へ挑戦したり、仕事上のさまざまな出来事のなかから学びを得ようとするといった、能動的に、主体的に学ぶスキルです。変化に柔軟に対応していくためには欠かせないスキルです」
このほか、目の前の事象を深く分析して新たな課題・論点を抽出する「課題を発見するスキル」や、目先の課題解決を優先して部分最適に陥らないよう「物事を俯瞰して捉えるスキル」も重要になると、池上氏は指摘する。
「こうしたスキルは、今まであまり意識的にトレーニングされてきませんでした。今後はこうした汎用的なスキルが求められるようになる可能性が高く、留意しておく必要があります」
これらはいずれも、特定の講座を受ければすぐに身につくようなものではない。異業種のビジネスパーソンと交流したり、ビジネスの現場でさまざまな経験を積むことで身につけていく必要があるだろう。
「正解」がない時代の学び大事なのは決断、努力、自己承認
池上氏は、これからの学びには正解がないと強調する。
「日本のビジネスパーソンは、海外の人々に比べて、『正解があるもの』を学ぼうとする意識が強いと感じます。日本の学校教育のあり方や、欧米の成功モデルを手本として日本が経済成長をしてきた影響も大きいでしょう。必ず正解があり、そこを目指すという形で今までやってきたので、その発想からなかなか抜けられません」
そもそも経営やビジネスに正解はない。今後は、不確実性の高いなかで、課題と正解を探すことへの挑戦がますます求められていくだろう。
「ビジネススクールの受講者の方々に伝えているのが、『判断』と『決断』の違いです。メリット・デメリットを検証し、正しい選択肢を合理的に選ぶのが『判断』で、これは必須です。しかし、絶え間なく変化する世の中で、絶対的な正解はありません。大事なのは、自分の意志の力で決める『決断』です。決断したうえで、そこから良い結果を導くため、いかに努力するかです。これが、正解が見えない課題に取り組む際に大切な姿勢だと思います」
正解が見えないなか、学び続けるのは難しいものだ。これに対して池上氏は、ありのままの自分を受け入れる、自己承認が大事だと話す。
「変化の激しい時代には、レジリエンスのスキルが大切です。レジリエンスとは困難や障害をしなやかに乗り越えて回復していく能力ですが、そこで大事なのは自己承認です。リスキリングは簡単なことではありません。うまくいかなくても、会社や社会から認められなくても、自分の心が折れずに前に進むためには、まずは過剰にならない程度に自分で自分を認めることが大事なのです」
Profile
池上重輔氏
早稲田大学大学院経営管理研究科(早稲田ビジネススクール)教授
経営学博士(一橋大学)、英国ケント大学国際関係論修士、英国シェフィールド大学国際政治経済学修士、英国ケンブリッジ大学経営大学院MBA。
ボストン コンサルティング グループ、ソフトバンクECホールディングス新規事業統括ディレクターなどを経て現職。国際経営、経営戦略、マーケティング、新規事業開拓を専門とし、グローバル企業向けのエグゼクティブプログラムの立案・運営・講義に豊富な経験を持つ。
『シチュエーショナル・ストラテジー』(中央経済社)など著書多数。