働き方 仕事の未来 人財 組織 精神や神経における違いも“個性” ニューロダイバーシティという視点

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2023.11.08
精神や神経における違いも“個性” ニューロダイバーシティという視点

ダイバーシティの概念が進化するなか、一人ひとりの意識や視点にもさまざまなアップデートが必要になる。その1つが、人間の精神面における多様性を尊重する概念である「ニューロダイバーシティ」だ。1990年代からある言葉だが、SDGs(持続可能な開発目標)の「2030年までに『誰一人取り残さない』持続可能で多様性と包括性のある社会の実現」を目指す国際社会の動きと相まって、近年さらに注目されている。
国連本部精神保健・障害チーフ、世界銀行上級知識管理官などを歴任し、世界の多様性と精神的ウェルビーイングに関する研究を行う東京大学大学院農学生命科学研究科准教授の井筒節氏に話を聞いた。

脳や神経に由来する違いを
多様な個性の一つと捉える

「ニューロダイバーシティ」とは、Neuro(脳・神経)とDiversity(多様性)という2つの言葉が組み合わされた用語だ。「脳の多様性」「神経の多様性」などと訳される(図1参照)。

図1ニューロダイバーシティの概念

ニューロダイバーシティの概念
ニューロダイバーシティの概念

Neuro(脳・神経)

Diversity(多様性)=人間の心や精神、
メンタルのあり方の多様性

精神疾患のみならず、社会に生きる
すべての人、一人ひとりの違い

精神疾患のみならず、社会に生きる
すべての人、一人ひとりの違い

人間の心や精神のあり方の違いを認め合うニューロダイバーシティーは、世界で8人に1人がメンタル上の課題を抱えているとされる現代では、すべての人・会社にとってプライオリティといえる。

経済産業省でも「脳や神経、それに由来する個人レベルでの様々な特性の違いを多様性と捉えて相互に尊重し、それらの違いを社会のなかで活かしていこうという考え方」と定義し、推進している。日本では、2018年の「障害者雇用促進法」によって企業に障がい者雇用が義務化され、雇用の数は増加しているものの、職場における包摂や人権、そして人財確保などにつなげるまでのイメージはないのが実情だ。ニューロダイバーシティについて、井筒節氏は次のように話す。

「人はみな心の生き物であり、その感じ方や得意不得意は一人ひとり異なります。それは、遺伝子レベルの違い、脳や精神の状態、過去や現在の置かれた環境や状況などを反映した多様な個性の一部であり、同じ人のなかでも時とともに変化するものです。それに応じて、得意な分野、好ましい働き方、適切なコミュニケーション方法も異なってくるので、社会がそれぞれのニーズや状況の違いに合うように対応することで、人々のウェルビーイングを向上させることができるということだと思います」

そもそもメンタルヘルスはすべての人にとって重要な側面だ。例えば仕事の成功でやる気が高まったり、逆に職場のストレスで気分が落ちたりすることは、多くの人にとって身近なことだろう。「その意味で、『ニューロダイバーシティ』は、社会に生きるすべての人に関わる優先事項なのです」

精神面で課題を抱えることは
誰にとっても身近なこと

ダイバーシティの考え方は近年日本でも広く社会に認知されてきているが、精神や心の面で課題を抱える人をめぐる多様性に応えるまでには至っていないのが現状だ。井筒氏は、ニューロダイバーシティを理解するには、まず多様性の現状について理解することが役立つと話す。

「日本では60歳以上の高齢者は3人に1人。また、ある調査では日本のLGBTI*は人口の約9%とされており、さらに移民は全人口の2%です。加えて、WHOによれば精神障がいを含む障がい者は人口の16%で、これらを足すと人口の約60%になります。高齢者の半数に障がいがあるように、単純に足すわけにはいきませんが、これらだけを見ても多様性は身近で当たり前であることがわかります」

WHOが2022年に発表した「WorldMental Health Report」によれば、世界人口の8人に1人が、精神保健上で何らかの課題を抱えている。世界の人口は80億人超なので、10億人を超える計算だ。

「特に、うつや不安症は、多くの人が経験します。自閉症や統合失調症も100人に1人前後の割合で経験されるものです。診断がつかなくても、心の調子がすぐれない経験はすべての人にあるはずです。これらには、遺伝子、脳や神経、性格、環境・状況などが関わっていて、一人ひとりにユニークなニーズがあるのです」

障がいを生んでいるのは社会
「合理的配慮」でバリア解消を

2006年に採択された国連の「障害者権利条約」で、障がいの概念が大きく変わったことも重要だ。それまでは、障がいには医学的な援助や治療が必須だという『医学モデル』で考えられてきたが、この条約で『社会モデル』という考え方に大きく変わった。

「法律や制度にも、すでにこの社会モデルが採用されています」と井筒氏は話す。「社会モデル」とは、「障がい」は社会がつくり出しているという考え方をいう。例えば車いすユーザーの人の前に階段がある場合、スロープやエレベーターをつければ、障壁やバリアがなくなり、誰もが別のフロアにいけるようになる。すなわち当事者に変化を求めるのではなく、創意工夫して社会の障壁をなくせば、さまざまな多様性が包摂できるという考え方だ。

「この条約で広く知られるようになった、差別をなくすためのカギの一つが『合理的配慮』です。これは、障がいのある人から、社会のバリアを取り除くための対応を必要としている意思が伝えられたときに負担が重すぎない範囲で対応をすること。例えば、視覚障がいがある人と契約を結ぶ際は、契約書を紙ベースではなく、音声リーダーで内容を確認できる電子ファイルで作成するなど、公共団体や事業者には合理的配慮の提供が法律で定められました。精神障がいのある人にも、出社時間を遅らせたり、休憩時間をフレキシブルに設定したりするなど、多くの合理的配慮がなされています」

図2具体的な取り組みのポイント

合理的配慮 障がいをめぐる社会的バリアの解消を進めるうえで、
「合理的配慮」を行うことが、企業に法的に求められている

  • ●カテゴリーに基づくステレオタイプな対応をしない
  • ●制度やルール全体を見直し、インクルージョンを主流化する
  • ●一人ひとりと対話し、個別のニーズに対応する
  • ●担当部門のみならず、複数部門で分担・連携する
  • ●管理職・経営層の意識を高める

全体の規定やルールをアップデートし、個別対応との両輪で対応。組織やチームでの連携も重要となる。そのためにもマネージャーや経営陣が意識を高める必要がある。

複数の部門が連携して
一人ひとりに向き合うことが大切

企業は具体的にどのような対応をすればよいのか。

「まず『精神障がい』や『発達障がい』といったカテゴリーでくくり、ステレオタイプに基づく対応をしないこと。人はジェンダー、年齢、心身の状況、置かれた環境などの組み合わせにより、ジェンダーや年齢、疾患が同じ人同士でも、できることやニーズは異なります。重要なのは個々と対話をし、一人ひとりのニーズに合った『合理的配慮』を考えること。例えば車いすユーザーがいたら、後ろから押すことが助けになると思う人もいるでしょう。しかし押してもらいたくない人もいます。本人と対話をして確認しないことには、何がその人のニーズなのかわかりません。ニューロダイバーシティも一緒です。DE&Iの本質の通り、一人ひとりのニーズを尊重、包摂していくのです」

だが現実として、すべての対象者に個別最適な対応をするのは容易なことではない。そこで、井筒氏は2つの方向で対処するのがよいと話す。

「1つは最新のエビデンスやルールに基づいてすべての既存の制度やルールを見直し、精神障がいを含む人権とインクルージョンの視点を入れ込んだものを主流化することです。そのうえで、対話を通じた個別のニーズへの対応もする。この両輪での運用が大切です。メンバー一人ひとりの考えや状況を理解することは、マネージャーに求められる姿勢ですよね。一人ひとりの心や精神のありように耳を傾けることは、特別な対応ではないはずです」

また、複数の部門で対応する体制をつくることも重要だという。

「必要に応じて、職場の上司と人事部門、それにメンタルヘルスの専門家を加えた三者が連携し、協力してニーズに向き合う体制をつくることも効果的。重要なのは、担当部署だけで解決できない課題がある場合には、チームや専門家と連携して対応することです」

今後の企業の課題は、管理職や経営幹部の意識を高めることだという。

「今の若者は心の側面への関心が高い。同じように、部門のマネージャーや経営層もまず理解と関心を深めることが大切です。これらを会社全体の取り組むべき課題として多くの社員が考えるようになることで、社内環境の改善はもちろん、社会全体のウェルビーイング向上にも貢献するでしょう」

*LGBTに「intersex」(身体的な生殖・性的構造が、男性または女性の一般的な定義にあてはまらない状態)の頭文字「I」を加えたもの

Profile

井筒 節氏
東京大学大学院農学生命科学研究科 准教授

東京大学大学院医学系研究科精神保健学分野修了(保健学博士)。国立精神・神経センター精神保健研究所司法精神医学研究部研究員を経て、国連本部精神保健・障害チーフ、世界銀行上級知識管理官、国連世界防災会議障害を包摂した防災フォーラム議長、国連障害と開発報告書精神障害タスクチーム共同議長等を経て現職。

井筒 節氏