リスキリングは世界的な命題に
政府が「リスキリングに5年間で1兆円を投じる」と表明したのは2022年10月のこと。AIやロボット技術の発展、ビッグデータの活用により産業の形が大きく変わるとされる第4次産業革命により、世界的な労働移動が進むと考えられています。消える仕事がある一方、新たな仕事も生まれており、働き手が新たな成長事業を担うためのリスキリングが世界的な命題となっています。リスキリングについて、Adecco Groupの日本法人であるアデコ株式会社の人事部門を担うピープルバリュー本部長 籾山直威が解説します。
「リスキリング」とは
始めに、リスキリングとは何かについて押さえておきたいと思います。経済産業省は「リスキリング」を「新しい職業に就くために、あるいは、今の職業で必要とされるスキルの大幅な変化に適応するために、必要なスキルを獲得する/させること」と定義しています。デジタル技術の急速な発達に伴い、現代の働き手はデジタル化によって生まれる新しい職業や職務の変化へ対応することが求められています。
例えば、三菱総合研究所は、2030年にはAIやロボットの普及による業務自動化により、事務職が120万人、生産職が90万人過剰になる一方、専門技術職は170万人が不足するとレポートしています。現在のリスキリングは、新たなデジタルスキルを身につけることと密接に繋がっているといえるでしょう。
リスキリングが日本で注目されるようになったのは2022年頃からですが、その端緒は2013年にマイケル・A・オズボーン博士が発表した「The Future of Employment(雇用の未来)」という論文にあるとされます。この論文の「今後10~20年間の技術革新により、米国の労働者の47%が仕事をAIやロボットなどに取って代わられる」という予測は世界 に衝撃を与えました。
2023年に Adecco Groupが世界の働き手の意識を調査した「Global Workforce of the Future」2023年版では、世界の働き手の6割以上が、AIが仕事にもたらす影響について肯定的な考えを持っていました(図1)。一方で、生成AIによって職を失うかもしれないと考えていた世界の働き手はわずか7%であり、生成AIが仕事にもたらす影響を低く見積もりすぎている可能性も指摘しています(図2)。
社会全体でリスキリングに取り組む必要性をダボス会議が議論
Adecco Groupがストラテジック・パートナーとして参画しているダボス会議は2018年に、第4次産業革命に伴う技術の変化に対応すべく、社会全体でリスキリングやアップスキリングに取り組む必要性を述べています。2020年の同会議では、第4次産業革命による新たなスキル習得のために、2030年までに、より良い教育、スキル、仕事を10億人に提供できるようにするというイニシアチブが発表されました。
Adecco Groupではこのイニシアチブを受け、2030年までに500万人のリスキリングとアップスキリングに取り組むことを発表しました。日本でも、2021年にリスキリングの推進・支援による“人財躍動化” を目的とした「リスキリングプロジェクト」を開始しました。
では、第4次産業革命により、どれだけの数の職業が失われ、どれだけの数の新たな職業が生まれるのでしょうか。世界経済フォーラムの「The Future of Jobs Report 2023」では、今後5年間で世界の仕事の約4分の1(23%)が変化すると予測されています。 詳細を見ると、45カ国・6億7,300万人の労働者を対象に、6,900万の新たな仕事が創出され、8,300万の仕事が失われる予測で、これは現在の雇用の2%に相当する1,400万人の純減となります。日本については12%の増加と12%の減少、つまり24%の仕事の変化が予測されています。
これからの時代はグリーン・トランスフォーメーションへの投資や、持続可能性に対する消費者意識の高まりが、新たな雇用機会を創出するようになるでしょう。WEF(世界経済フォーラム)は、2023年 5 月に発表した「The Future of Jobs Report 2023」のなかで、過去4年間にLinkedInでの募集が最も大きく増加した10の職種のうち、3つがサステナビリティ関連の仕事だったと報告しています。
常に“人”を中心に考える
日本では長らく、新卒一括採用で職務を限定せずに採用し、社内で定期的に職務内容を替えていく メンバーシップ型雇用が主流を占めていました。この前提となっていたのが終身雇用です。それに対し、近年は、大企業を中心にジョブ型雇用を採用する企業が増えてきています。ジョブ型雇用とは個人の担当する業務をジョブディスクリプションで明確に定め、そのポジションごとに採用を行う仕組みです。特に2020年以降は取り入れる企業が増加している傾向にあります。国内でリスキリングが注目されるようになった背景には、こうした変化も関連していると考えられます。
AIの急速な進歩によって仕事の形が大きく変わり、人財の流動化も加速すると考えられているこれからの時代には、さらに新しい雇用の仕方や働き方が広がる可能性があります。仕事を取り巻く環境が目まぐるしく変化し、世界規模でリスキリングが必要となるこのような時代において重要なのは、常に「人」を中心に考えることです。いくらテクノロジーが進歩しても、テクノロジーを活用するのは人です。2023年に始まった人的資本についての情報開示の義務化がきっかけで、現在、「人的資本経営」という言葉をよく聞くようになりました。ただ、人財こそが最も重要な資源であるという考え方は、新しいものではありません。日本においてはむしろ一般的な考え方だといえます。
今後、生成AIなどのデジタル技術を学び、仕事に取り入れることができる人財と、そういった潮流から取り残されてしまう人財が生まれることが予想されます。仮に学ぶ機会に格差があるのであれば、それを解消する必要があります。テクノロジーの急速な発展による変化の激しい時代においては、誰もが新しい技術に触れることができる平等な機会が求められます。 企業は今後、デジタル技術による破壊的な変革、いわゆる「デジタルディスラプション(創造的破壊)」に向き合いながら、事業の持続可能な成長を目指すとともに、雇用を維持していく必要があります。従業員のスキルの習得・向上への継続的な投資は、ますます重要となるでしょう。
従業員に対するリスキリング支援の重要性
なぜ企業にとってリスキリングが重要なのか。それは、企業が従業員のリスキリングを推進することで、人財を注力事業に配置することができるようになるため、持続的な成長を遂げることが可能になるからです。また、移り変わりが激しく先を見通すことが難しい現代においては、リスキリングにより従業員が最新の技術や知識を習得できるよう支援することで、企業は市場の変化に迅速に対応できるようになります。これにより、競合他社に対する優位性を獲得して、業績を向上させることができるのです。
リスキリングは生産性の向上につながるだけでなく、業務の効率化や採用コストの削減も実現することができます。業務の効率化においては、例えば、RPA(Robotic Process Automation)や生成AIは事務作業の工数を大幅に減らすことができ、さらに、より確実かつ正確な処理も可能になるため、業務のクオリティが向上しこれまで以上の成果を生み出せるようになります。社員がリスキリングによってこういったスキルを身につけることができれば、既存の社員を、新規事業を含めた別の業務に再配置することができ、新たな人財を採用するコストが削減できます。 企業における持続的成長と分配の好循環を生み出すことによって、業績向上にも大きな役割を果たすことでしょう。
リスキリングには、従業員のキャリアの自律を促すという効果もあります。自律的な人財は、新たな気付きやスキルを積極的に得て、自身を変化させていけることができるため、組織の活性化や新しいサービスを生み出す原動力にもなります。また、主体的に行動することは成果にもつながりやすく、それがさらなるモチベーションの向上、そしてエンゲージメントと定着率の高まりというポジティブなサイクルを生み出します (図3 )。
日本では2023年の3月期決算から、大企業を対象とした人的資本情報の開示が義務化されました。あくまでも指標の1つですが、働き手にとっては、就職活動や転職活動で企業を選ぶときの判断材料として活用可能な情報になります。企業としては適切に情報を開示していくことで、採用力を高めることにもつなげることができるでしょう。
従業員のリスキリングの支援には費用も労力もかかるため、そう容易なことではないかもしれません。しかし、業績の持続的な成長や採用における優位性の確保を考えたとき、リスキリングへの投資は大きな効果をもたらす可能性があります。
イノベーションは学びによってもたらされる
企業においてリスキリングが重要な理由としてもう1つ挙げたいのが、イノベーションの促進です。
「イノベーション」という言葉を聞いて、皆さんはどのようなイメージを持つでしょうか。「まったく見たことや聞いたことのない、新しいサービスや商品を生みだすこと」という考えもありますが、既存の要素を組み合わせて新しい仕組みやプロダクトを創出することも、イノベーションの1つなのです。
例えば、今や多くの消費者が利用しているUber Eatsですが、飲食店による出前というサービスは以前から存在していました。Uber Eatsが画期的だったのは、ITシステムやスマホなどのデバイスを活用し、飲食店と配達者と利用者を結びつけてビジネスにした点にあります。アップルのiPodも、代表的なイノベーションといえます。それまでにも多くの携帯 音楽プレイヤーがありましたが、大容量のハードディスクを搭載して「すべての音楽を持ち運べる」 ようにしたiPodは、非常に画期的でした。
既存のものを組み合わせてイノベーションを起こすには、アイデアの蓄積と新たな発想が必要であり、それには学びによって新しい技術や知識を採り入れることが重要です。こういった点からも、従業員のリスキリングの推進が、企業にとっていかに重要なのかが分かるのではないでしょうか。
AI活用が当たり前の時代のエンプロイアビリティ
働き手の視点から見たリスキリングの重要性を考えた場合、まず始めに挙げられるのが、キャリアの自律と成長の機会の拡大です。時代の変遷とともに自己の技術やスキルが陳腐化してしまうリスクもあり、そのスピードも加速しているのが実状です。今携わっている仕事が10年後も存在するのか、誰にも分かりません。このように、先を見通すことが非常に困難な現代においては、リスキリングによって常に新しい能力を開発し、成長を続けていくことが必要になります。自らのスキルを高めたり、新しいスキルを身につけたりすることは、エンプロイアビリティ(雇用されるための能力)を高めます(図4 )。
特に、どのような職種においても、現在の状況においてはデジタル技術の習得が非常に重要な要素となっています。すべての働き手がプログラミングに精通したエンジニアになる必要はありませんが、例えば現在デジタル技術をお持ちでない方がChat GPTをはじめとする生成AIの活用を学んだり、RPAによる自動化のスキルを身につけたりすることができれば、キャリアの選択肢は大きく拡大します。Microsoft Copilotなども、今後、WordやExcelと同じように、仕事をするうえでのスタンダードになる可能性も十分に秘めており、学ぶ価値は非常に大きいといえます。
しかし、テクノロジーはあくまでも手段であり、それを採り入れるたり学んだりする目的は、人に力を与え、人の潜在能力を引き出すことであるべきです。生成AI が人の仕事や働き方にこれまで以上に大きな影響を及ぼすことが見込まれるからこそ、これからの時代は人を中心に考えることが重要になります。
Profile
籾山直威
2003年、サンダーバード国際経営大学院卒。2022年11月より現職。現職就任までの5年間は、ゴディバ・ジャパン株式会社においてHR Director、日本・ベルギー・オーストラリア・ニュージーランド・韓国を統括するグループHRヘッド、常務執行役員を歴任。2014年から約3年間は、アデコ株式会社にHR Development Directorとして在籍し、企業文化の醸成、採用活動やトレーニング、タレントマネジメントを通じた社員の人財開発および企業の成長に貢献。それ以前は、トリンプ・インターナショナル・ジャパン株式会社や日本ヒルティ株式会社など、複数の多国籍企業においてタレントマネジメントや組織開発、制度設計に従事した経験を持つ。