米国の先進企業の間で、人事評価制度を抜本的に見直す動きが進んでいる。"成果至上主義"ともいうべきスタンスからコミュニケーションを重視した評価システムに変わりつつあるのだが、日本企業にもその影響は出てくるのだろうか。日本と海外、両方の人事制度に詳しい専門家に聞いた。
米国の先進企業の間で、人事評価制度を抜本的に見直す動きが進んでいる。"成果至上主義"ともいうべきスタンスからコミュニケーションを重視した評価システムに変わりつつあるのだが、日本企業にもその影響は出てくるのだろうか。日本と海外、両方の人事制度に詳しい専門家に聞いた。
アドビシステムズやGE(ゼネラル・エレクトリック)、マイクロソフト、GAP(ギャップ)といった米国の先進企業を中心に、従来の人事評価制度や成果主義を見直す動きが広がっている。
例えばアドビシステムズでは、2012年に「チェックイン」という新しい人事評価制度を導入した。年1回の面談で、成果に基づいて評価するそれまでの仕組みを廃し、上司と部下の面談機会を増やしてフィードバックを継続的に行うことで、社員のスキルアップやモチベーション向上を図るというものだ。これにより、同社の離職率は過去最低の水準に低下するなどの効果が出ているという。
米国企業の人事評価制度にどんな変化が起こっているのだろうか。また日本企業はこれをどう捉えればよいのか。日本と海外の人事制度を比較研究している神戸大学大学院経営学研究科の上林憲雄教授はこう語る。「これまで多くの米国企業では、『レーティング』や『スタックランキング』などと呼ばれる人事評価制度を導入してきました。これは、定められた評価基準に基づく半年から年1回の上司による面談で個々の社員を評価し、社員全体を上位20%・中位70%・下位10%などに分類。上位の社員は昇給対象、下位は雇用契約の見直しやキャリアチェンジを促す、といった制度です。
最近になってこの仕組みは、手間や時間がかかるわりに社員の能力開発やモチベーション向上につながっていないのではと指摘されるようになりました。またグローバル化に伴う競争環境の変化や、社内人財の多様化などを背景に、より中長期的な視点で社員を育成する人事制度が米国でも求められるようになっています。そこで、従来型の評価と報酬を中心とする成果主義を見直し、社員間のコミュニケーションを重視した人事評価制度の枠組みが模索されているわけです」
ただし、こうした事例が話題になってはいるものの、「有力企業がレーティング評価をやめた」「米国の成果主義が行き詰まっている」といった表面的な捉え方には注意が必要だと、上林教授は強調する。「もともと米国は外部労働市場(企業間・企業外の労働市場)が高度に発達していて、市場を通じて雇用者はより優秀な人財を、被雇用者はより自分の能力が発揮できる職場を求めるという文化が定着しています。日本人にとってはネガティブなイメージを抱きがちなレーティング評価やレイオフ(一時解雇)も、米国ではそれほどイメージは悪くなく、企業の成長や人財の活性化のためにそれなりの成果を上げてきました。新しい人事制度を取り入れつつ、グーグルのようにあえてレーティング評価を残している米国企業も少なくありません。
アドビシステムズがレーティング評価を廃止したのは、事業のグローバル展開に伴って現地人財が増え、従来の一元的な評価制度では対応しきれなくなったことが背景の一つにあります。あくまで自社の環境変化などに対応するために、一部の企業がレーティングに替わる人事制度を模索しているということです」
一方、日本は終身雇用が崩れ転職が一般化したとはいえ、米国に比べれば社員の会社への帰属意識は高い。また年功序列の給与体系を前提にしてきたため、社員を個別に評価する機能や仕組みがまだ十分には構築できていない。そんな状況で米国の成果主義を形式的に取り入れてもうまくいかないという。「日本企業は、人事制度はもちろんですが、より長期的な視点での人事戦略の構築、現場のマネジャーへの権限委譲、迅速な意思決定のための制度の見直しなど、企業の経営姿勢やビジネスのあり方も含めて総合的に再考していくことが重要です」
profile
1989年、神戸大学経営学部卒業。神戸大学経営学部助教授、英国ウォーリック大学大学院ドクタープログラムを経て、2005年より現職。専門は人的資源管理。英国での留学体験を踏まえ、日本的経営の海外移植や日本と諸外国におけるビジネス教育のあり方の研究などにも取り組む。著書に『経験から学ぶ人的資源管理』(共著・有斐閣)など
米国企業が取り入れている最新の人事評価制度について、もう少し具体的に見ていこう。「米国で3~5年ほど前からパフォーマンス・マネジメントのあり方を見直す機運が高まっており、従来型の評価制度の廃止もその一環と捉えられます」
こう語るのは、組織変革や組織の活性化などを手掛けるコンサルティング会社、ヒューマンバリューの主任研究員、川口大輔氏だ。「パフォーマンス・マネジメントとは、一言でいうと個人や組織のパフォーマンス(成果・業績)の最大化を目的としたマネジメント手法のことです。これまで結果としての業績やその達成度に主眼が置かれがちだったのに対し、最近の新しいパフォーマンス・マネジメントでは、成果・業績を高めるためのコミュニケーションや、価値を生み出す源泉として、人財の主体性・創造性を重視している点に特徴があります」
新たなパフォーマンス・マネジメントを理解する上で有効な考え方として、川口氏は「成功の循環(Core Theory of Success)」を挙げる。米マサチューセッツ工科大学(MIT)組織学習センター創始者のダニエル・キム氏が提唱したもので、図1のように、組織が成功に向かうために必要な4つの要素と、その関係性のサイクルを示したものだ。
この考え方によれば、職場で社員間の良好な信頼関係が築かれていると(①)、社員の思考が前向きになってモチベーションも高まる(②)。すると新しい行動にチャレンジする意欲が生まれ(③)、良い結果が出やすくなる(④)。それによって職場の人間関係もさらに良好になる(①)というプラスのサイクルが生まれていく。
逆に職場の人間関係が悪く、不信感が募れば(①')、思考が萎縮して視野が狭くなり(②')、前向きな行動も生まれにくくなり(③')、おのずと結果も出なくなる(④')。ますます人間関係も悪くなる(①')というマイナスのサイクルに陥ってしまう。
「成功の循環」の考え方は、日本人の私たちにも体験的に理解・納得しやすいものだ。しかし企業の経営者や人事部門が、個人と組織のパフォーマンスを高める施策としてこうしたサイクルに戦略的に働きかけるという発想は、これまで多くは見られなかった。「④結果の質(パフォーマンスの質)を引き出すために従来重視されてきたのは、主に『③行動の質』を高めることでした。社員自身に目標を設定させたり、優れた業績を上げた社員の報酬をアップしたりする人事制度も、その発想に基づいています。しかし最近はその前の段階である『①関係の質』や『②思考の質』に目を向け、もっと大きなサイクルに働きかけて成果を高めていくことが重要視されてきています。米国企業の取り組みの本質もそこにあると思われます」
日本企業もパフォーマンス・マネジメントの考え方を前向きに取り入れていくべきでは、と川口氏は続ける。「日本企業の人事部門は、緻密な人事制度の構築や厳格な運用に力を入れがちな傾向がありましたが、最近はそれよりも個々の社員の主体性や創造性を高めることを重視する機運が生まれています。あらゆる業種の企業にとって先が見通せない時代となり、パフォーマンス・マネジメントの考え方にあるような、社員自らが自身の能力を発揮できるような職場環境や人事評価制度を構築することが、ますます求められていくはずです」
国内でも先進的な取り組みの一例として、全社員が会社のビジョン形成や目標設定に参画することで関係性や思考の質を高める企業もある。例えば、多くのメンバーが一堂に参加できる「ワールド・カフェ」と呼ばれる対話手法の活用だ。一人ひとりが自分の想いをオープンに語り、メンバーを替えながら話し合いを繰り返して皆でアイデアを出し合うことで、全社員が共通して目指せるビジョンやゴールを生み出すことができる。「当社のクライアント企業でも、イベント色の強かった全社員大会をワールド・カフェ型に改め、社員同士が『これからどんな会社にしたいか?』『そのために自分たちができることは何か?』といったテーマで自由闊達に対話した例があります。社員一人ひとりが会社の目標やビジョンを我が事として捉えられるようになりました。また、ここで出た意見は日常のチームミーティングでも話し合われ、社員ごとの目標設定や日々の業務につなげています。何より、活発なコミュニケーションはエネルギーや喜びを生む源泉。これも『関係の質』『思考の質』に働きかける人事的な取り組み例といえます」
パフォーマンス・マネジメントを大げさに考える必要はない。まずは部署内のメンバーで普段から挨拶や雑談をしたり、互いに評価し合ったりする小さな関係性の改善から始めることができる。どんな優れた人事制度を取り入れても、日常会話もままならない職場では成果を期待できないだろう。
パフォーマンス・マネジメントにおいて求められる関係性とは、社員たちの主体性を引き出す「ラーニングカルチャー(学び合う企業文化)」と言い換えることもできる。「上司が部下を一方的に問い詰めるようなコミュニケーションでは関係性も思考も萎縮してしまいます。仕事を通じて自分がどういう価値を生み出せたか。体験から何を学んだか。反省点はどこにあるか。部下と上司が一緒に考え、上司が適宜アドバイスするコーチング的なコミュニケーションが理想的です。部下も心を開きやすくなり、結果的に上司の部下に対する理解も深まります。上司と部下の関係においても、このように学び合う姿勢が大切です」
人事部門と各部門との関係性も見直していく必要があるだろう。それぞれの部署のパフォーマンスを高める方法を、人事部門が共に考えていくような関係性を構築していくことが重要だ。
また川口氏は、「思考の質」を高めるためには「働くことの意味」を社員が感じられることが大切だと強調する。「当社が今年1月に実施した国内の会社員約1000人を対象とするサーベイでは、仕事に対するモチベーションを最も左右する要因に、『働くことの意味を感じられること』がありました。働く意味の実感は、報酬などと比べても、モチベーションと強い相関関係があり、かつ『結果の質』につながりやすいことが分かっています。人事部門もマネジャーも、社員のこの部分をケアすることが組織全体のパフォーマンス向上につながるということを理解しておくことが大事です」
パフォーマンス・マネジメントは、日本の人事評価制度のあり方を大きく変える可能性を秘めている。将来的には、効果的な人事評価システムの策定や運用などを通して、「成功の循環」に働きかけ、社員と組織のパフォーマンス向上を図ることが人事部門の主な役割となっていくのかもしれない。
profile
早稲田大学大学院卒業。外資系企業を経て、株式会社ヒューマンバリュー入社。主に組織開発のコンサルティングやマネジメント層向けの研修プログラムの開発に従事するとともに、「学習する組織」に関する調査・研究を行う。主な寄稿に「学習する風土をつくる~組織をシステム(生態系)として捉えた仕組み・制度づくり~」(企業と人材)など。